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神機巫女 -SHIKITSUNE-  作者: レイン
第二節 青龍の巫女候補

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第十六話 守るための四分

第十六話 守るための四分


 拘束の光に、二本目の亀裂が走った。


『拘束術式、維持限界まで二十秒!』


 浅瀬へ押さえ込まれた怪異が身体を持ち上げる。

 脚へ巻きついた光の帯が細く伸び、濁った水が波立った。


 二機目の《朧》を招来できるまで、あと三分四十二秒。


 藍子は残量表示を確かめた。

 怪異が動くたびに、穂先へ流す力も増えている。

 このまま押さえ続ければ、残しておくはずの余裕まで使ってしまう。


「現場指揮へ。霊力の減りが速くなっています」

『確認。拘束が破られたら、次の防護線まで下がります。《朧》と位置を合わせてください』


 見取り図に、後退する場所が示された。

 術者たちも、神機陣の後方へ護符を配置している。


『地下からの流入、まだ続いてる』


 琥珀が観測情報を伝えた。


 怪異の足元で、黒い靄が水面を這っていた。

 外殻へ吸い込まれるたびに、拘束の帯が強く張る。


『屋島玄斎殿が奉術衆と合流しました。地下の供給経路を遮断中です』


 現場指揮の声が入る。


 藍子は薙刀の向きを確かめた。

 自分が倒す必要はない。

 玄斎たちが地下で動いている間、ここを守る。


 拘束の光が弾けた。


 怪異が四本の腕を広げる。

 一本は《徒桜》へ、別の一本は《朧》へ。

 残る二本が、その後ろの術者たちへ伸びた。


『四本。後ろへ二本向かってる』


 琥珀の報告と同時に、現場指揮が命じた。


『《朧》は右の腕を押さえろ。《徒桜》は後方へ伸びる二本を逸らせ。

 自分に来る腕は回避し、深追いするな!』


「はい!」


 《朧》が術式弾を放つ。

 命中した光が、迫る腕を横へ押した。


 藍子は薙刀を振り上げた。

 術者たちへ伸びていた二本の腕へ、刃を斜めに合わせる。


 穂先が押される。

 機体の腰をひねり、腕の下をすくうように流した。


 黒い塊が術者たちの頭上を抜ける。

 離れた水面へ叩きつけられ、大きな波が立った。


 残る一本が、《徒桜》の胴体へ迫る。


 操縦桿を横へ倒した。

 機体が半歩ずれ、腕が装甲の前を通り過ぎる。


 避けられた。


『左、曲がってる!』


 琥珀の声で、藍子は視線を下げた。

 振り抜かれた腕が途中で折れ曲がり、左脚へ巻きつく。


「きゃっ!」


 機体が傾いた。

 足が泥から浮き、怪異の方へ引かれる。


 藍子は右脚を踏ん張らせた。

 だが、左脚を戻そうとするほど、巻きついた腕が締まっていく。


『《徒桜》の左脚に拘束!』

『《朧》、解除を援護!』


 現場指揮の命令で、《朧》が術式弾を放った。

 怪異の身体から伸びた塊が、その前へせり出す。

 光が外殻で散り、腕は離れなかった。


『残量、四十八パーセント』


 琥珀が告げる。


『《徒桜》、拘束を外して後退。《朧》も合わせろ。術者は防護線を下げる!』


 退く指示が出た。

 藍子は神機陣の方へ目を向ける。

 術者たちも動き始めていた。


「了解しました。拘束を外します」


 薙刀の柄を、脚と腕の間へ差し込む。

 力任せに引き抜かず、巻きついた部分を少しずつ押し広げた。


『その位置で止めてください』


 《朧》の操縦者が知らせる。

 柄で開いた隙間へ、術式弾が重なった。


 巻きついていた腕が震える。


『今、脚を引いて!』


 左脚を戻す。

 腕が装甲を滑り、泥へ落ちた。


「外れました!」

『後退開始。こちらが正面を押さえます』


 《朧》が長刀を構える。

 藍子は薙刀を怪異へ向けたまま、一歩下がった。


     ◇


 地下水路では、天井から落ちる水滴に混じって、結界の軋む音が響いていた。


 玄斎は奉術衆の三人と並び、通路の奥を見ている。

 光の壁の向こうで、黒い塊が重なり合っていた。


「奥に八体。壁際にも動いています」

「結界を保て。数だけを見て、一度に封じようとするでない」


 隊員の一人が護符を重ねた。

 怪異がぶつかり、壁の光が揺れる。


 玄斎は足元へ目を落とした。

 水は調整池へ向かって流れている。

 しかし、黒い靄は側壁の裂け目から噴き出し、水面とは別の筋を作っていた。


 探索符を近づける。

 その筋に触れたところだけ、光が強くなった。


「この流れじゃ」


 壁の裂け目から、調整池側へ妖気が送り込まれている。

 結界を支える札のそばを通りながら、途切れることなく奥へ抜けていた。


「怪異を押さえる結界とは、別に塞ぐ。右の札を頼む」

「はい!」


 奉術衆が側壁へ護符を貼る。

 玄斎は反対側へ札を置き、印を結んだ。


 水面を覆うように、細い光が伸びる。

 黒い靄がその手前で膨れた。


 護符の端が持ち上がる。


「押し戻されています!」

「継ぎ目を閉じよ。わしが中央を保つ」


 玄斎が掌(てのひら)を向けた。

 光が水面の下へ沈み、側壁の札とつながる。


 怪異たちが、結界へ一斉に身体をぶつけた。

 通路の灯りが揺れ、隊員の一人が足を引く。


「こちらは保ちます!」

「うむ。そのままじゃ」


 玄斎は印を崩さなかった。

 膨らんでいた靄が光の手前へ押しとどめられる。

 調整池へ向かっていた筋が細くなり、やがて途切れた。


「地上へ。妖気の供給を遮断した。残存個体の封鎖は続けておる」

『受領しました!』


     ◇


 調整池を覆っていた黒い靄が薄れた。


『地下からの流入、急速に低下』


 琥珀の報告が入る。

 続いて現場指揮が、玄斎からの連絡を伝えた。


『供給経路の遮断を確認。後退は続行。対象の変化を観測しろ』


 怪異の身体が揺らぐ。

 外殻の隙間から、泥と金属片が落ちた。

 腕の一本が細くなり、身体の中央へ引き戻されていく。


 弱っている。


 藍子は穂先を上げかけた。

 その先で、《朧》が後退する足を置き直している。


 指示は、まだ変わっていなかった。


 薙刀の向きを保ち、機体を下げる。

 怪異も、残った脚でこちらを追ってきた。


『対象、神機陣へ接近』

『術者は外周へ退避。陣を維持できなくなったら、接続を切る!』


 術者たちが声を掛け合い、杭のそばから離れる。

 神機陣の光は残っていたが、いつでも退けるよう、後方の防護線へ人が移っていた。


 増援の招来まで、あと三分十一秒。


 藍子は表示を見た。

 先ほどから、三十秒ほどしか経っていない。

 何分も戦っていたように感じていた。


「現場指揮へ。このまま下がると、神機陣まで届きます」

『承知しています。陣より人員を優先します。防護線へ戻ってください』


 陣が使えなくなれば、増援は来られない。

 それでも、術者を残して守るわけにはいかなかった。


「……了解しました」


 怪異の胴体から、黒い塊が剝がれ落ちた。

 浅瀬(あさせ)へ落ちた影が縮み、不揃いな身体を起こす。

 別の場所からも、一つ落ちた。


『融合状態が崩れています』


 観測担当の声が入った。

 しかし、巨体は倒れなかった。


 外側の塊を切り離すたびに、胸部の光が強くなる。

 藍子は、その赤黒い光へ目を向けた。


『中心へ妖気が集まってる』


 琥珀が観測情報を伝える。


『左側に薄いところがある。でも、中心の反応は上がってる』

『高密度の妖気を確認! 放出に備えろ!』


 現場指揮の声が鋭くなった。


 見取り図に、池の西側が示される。

 そこには、人の位置を示す印がなかった。


『対象正面は、こちらから見て左へ流す。《朧》は後方の防護を補助!』


 藍子は胸部の光と、自分の左側を見比べた。

 怪異の妖気が薄い部分から、誰もいない池の端まで、進路は空いている。


「《徒桜》、左へ逸らすのを試します」


『許可。後退しながら、一度だけ逸らせ。姿勢が崩れたら回避しろ。残りは後方の結界で受ける!』


「はい!」


 《朧》が術者たちの前へ下がる。

 防護の札が重なり、光の壁が厚くなった。


 藍子は薙刀を斜めに構えた。

 右脚を少し引き、足元を確かめる。


 怪異の胸部が膨らんだ。


 黒い妖気が、一気に放たれる。

 水面を押し分ける奔流が、《徒桜》へ迫った。


 薙刀の刃へ霊力を流す。

 青い光が穂先を包んだ。


 正面から止めない。

 左へ抜ける向きを作る。


 刃が妖気の端へ触れた。


「っ……!」


 両腕が押される。

 機体の足が泥を削り、後ろへ滑った。


『腰を落として、左へ!』


 《朧》の操縦者が声をかける。

 藍子は操縦桿を握り込みかけ、指を緩めた。


 薙刀を傾ける。

 機体の腰を回し、刃に沿って流れを逃がす。


 黒い奔流の端が、左へ曲がった。

 すべては逸らせない。

 背後で、流れの一部が防護結界へぶつかった。


 光の壁が大きく揺れる。


『防護維持!』

『《徒桜》、そこで切れ。下がれ!』


 藍子は穂先を引き、機体を後退させた。

 左へ逸れた妖気が、誰もいない池の端へ走る。

 水面が跳ね上がり、外周の結界に黒い霧が散った。


『残量、三十九パーセント』


 琥珀が告げる。


 《朧》が藍子の前へ長刀を差し出していた。

 その後ろで、術者たちの結界も残っている。


「後退します!」


 今度は、すぐに足を動かせた。


 力を放った怪異は、こちらを追わなかった。

 胸部の光が弱まり、黒い外殻に幾筋もの裂け目が広がる。


 腕が落ちた。

 続いて、胴体を形作っていた塊が崩れる。


 浅瀬へ散った影が、それぞれ小さな身体を起こした。

 最後まで残っていた外殻も砕け、水へ沈んだ。


『妖殻化の解除を確認!』

『観測を継続。封印班は二人一組で対応。《朧》は再融合を警戒!』


 現場指揮が命じる。

 術者たちが護符を手に、前へ進んだ。


『《徒桜》は戦線を離脱。その位置から追わないでください』

「了解しました」


 藍子は薙刀を下げすぎないように保ち、指定された場所へ移動した。


 小さくなった怪異の一体が、水面を跳ねる。

 すぐに光の壁が進路を塞いだ。

 二人の術者が札を重ね、その動きを止める。


 《朧》も、再び集まろうとする塊を術式弾で押し離していた。


 藍子は足を止めた。

 自分が前へ戻らなくても、対処は進んでいる。


     ◇


『地下からの再流入なし。地上の再融合も確認されません』

『増援用の接続調整を中断。二機目の《朧》は待機へ移行してください』


 神機陣の一部から、光が消えていく。

 待っていた増援を呼ぶ前に、巨大な相手を押さえる役目は終わった。


『《徒桜》、帰還準備に入ります。陣への進路を確保するまで待機』

「はい」


 返事が、自分でも驚くほど小さかった。

 操縦桿を握る手が重い。


『藍子、大丈夫?』


 琥珀がすぐに尋ねた。


「うん。ただ、ちょっと疲れただけ」

『ちょっとの声じゃない』

「……少しだけ、すごく疲れたかも」

『それは、ちょっとじゃない』


 藍子は小さく笑った。

 笑った拍子に息が抜け、背もたれへ身体を預けたくなる。


 まだ、帰っていない。


 姿勢を直し、表示された進路へ目を向けた。


『帰還経路の接続を確認。神機陣へ移動してください』


 術者が誘導の印を示す。

 藍子は機体をゆっくりと進ませた。

 損傷した《朧》のそばを通る。


『援護、助かりました』


 操縦者の声が届いた。


「こちらこそ。何度も助けてもらいました」

『互いに持ち場を守れました。それで十分です』


 神機陣の中央へ入る。

 足元の術式が青白く輝いた。


『九條藍子。任務完了です。よく持ちこたえてくれました』


 藍子は通信表示を見た。


「《徒桜》、帰還します」


 周囲の景色が、光の向こうへ消えていった。


     ◇


 視界が戻ると、四季狐大社の格納庫だった。


 《徒桜》を所定の位置へ移し、膝をつかせる。

 表示を確かめてから、操縦桿を離した。


 指が、すぐには開かなかった。

 一本ずつ動かし、手のひらを見つめる。


「……終わったんだ」


 操縦席が開いた。

 冷たい空気が流れ込み、熱を帯びた頬を撫でる。


 下から昇降台が上がってきた。

 台の上には、琥珀が立っている。


「藍子」

「琥珀……社務所にいたんじゃないの?」

「帰ったって聞いたから来た」

「早くない?」

「走った」


 差し出された手を借り、昇降台へ移る。

 台が下り始めると、膝から力が抜けかけた。


「わっ……」


 琥珀が腕を支えた。


「やっぱり、大丈夫じゃない」

「けがはしてないよ。ただ、身体に力が入らなくて」

「なら、座る」


 床へ着くと、長椅子まで連れていかれた。

 腰を下ろした途端、両腕の重さがはっきりした。


 走ったのは《徒桜》だった。

 それなのに、自分で薙刀を振り続けたあとのように、肩も脚も重い。


 初めて乗ったときは、何が起きているのか確かめる余裕さえなかった。

 今回は残量を見て、指示を聞き、機体を動かした。


 それでも、使う量を加減できたとは言えない。


「もう少し、無駄に流さずに済んだら……」


 藍子は手を開いた。


「今日と同じ役目でも、もう少し余裕を残せたのかな」

「玄爺に聞く」

「うん」


 琥珀が隣へ座った。


「柄、ずっと光ってた」

「途中で教えてくれたでしょう。あれで少し減らせたよ」

「もっと早く言えばよかった」

「私も、自分で気づけるようにならないとね」


 格納庫の入口で、足音がした。

 玄斎が、奉術衆の者たちとともに戻ってくる。

 衣の裾が濡れ、手には封じた札を持っていた。


「無事に戻ったな」


 《徒桜》を見上げてから、長椅子へ目を向ける。


「立てるか?」

「少し休めば、大丈夫だと思います」

「今は座っておれ。痛むところは?」

「ありません。身体が重いだけです」


 玄斎が頷いた。

 奉術衆の一人へ札を渡し、保管を頼む。


「玄斎様。霊力のことで聞きたいことがあります」

「どこで多く使ったのか、か?」

「はい。それと……もっと長く動かすには、どうすればいいんですか?」


 玄斎は《徒桜》の状態を端末へ呼び出した。

 青龍コアの反応と、戦闘中の運用記録が並ぶ。


「まず、この二つを分けて考えるのじゃ」


     ◇


「青龍コアが持つ力と、お主が今、安全に扱える力は同じではない」


 玄斎が、記録の一方を示した。


「操縦席で教えた残量表示は、今の同調状態で使える余力じゃ。

 コアが持つ霊力すべてを測ったものではない」


「使える分が減っている、ということですね」

「うむ。減っているときに退く判断は、今日と同じでよい。コアに力があるからと、表示を無視してはならんぞ」


 藍子は頷いた。

 三十九パーセントになった表示を思い出す。

 数字以上に、機体の腕を動かすことが重く感じられていた。


 もう一方の記録では、コアの反応が大きく衰えてはいない。


「コアには、まだ力があるんですね」

「今回の戦闘で、青龍の力が尽きかけたわけではない。じゃが、お主の側には負担がかかっておる」

「じゃあ、藍子が疲れないように、そっちから使えないの?」


 琥珀が尋ねた。


「そのために、同調と運用を覚えるのじゃ。

 適合しておるからといって、初めから自在に引き出せるわけではない」


 玄斎が歩行中の記録を開く。

 一歩を踏み出したところで、線が大きく跳ね上がっていた。


「お主の霊力は、コアへ働きかけ、機体のどこへ力を送るかを伝えるためにも使う。

 ところが今日は、動かそうとするたびに必要以上の力を流しておった」

「足を出すだけでも?」

「うむ。薙刀を握り直すときもな。強く念じれば動くと思って、流す量まで増やしておる」


 そのとおりだった。

 足が滑ると怖くなり、操縦桿を握り込んだ。

 刃が押されれば、もっと力を流さなければと思った。


「減らしたら、動かなくなる気がして……」

「どこまで減らせるかを、まだ知らぬからじゃ。戦場で試させるわけにはいかん。

 そこは稽古で確かめる」


 玄斎が、薙刀を構えたときの記録へ切り替える。


「コアとの経路も、まだ安定しておらん。急に大きな力を引き出そうとすれば、扱い切れず動きが乱れる。少しずつ慣らし、流す量と受け取る量を合わせていく」


「自分の霊力を減らすだけでは、駄目なんですね」


「そうじゃ。必要な指示まで弱めては、思った動きにならん。

 余計な力を流さず、コアから受け取った力を、使う場所へ導くのじゃ」


 藍子は記録を見つめた。

 歩行のたびに揺れていた線が、途中から少し小さくなっている。


「歩幅を小さくしたところですか?」

「うむ。落ち着いて動かせた分、無駄も減っておる」


 《朧》の操縦者に声をかけてもらった場面だった。

 同じ一歩でも、違っていた。


「次の稽古で、それを教えてください」

「まずは今日の疲れを取ってからじゃな」

「はい」

「そのあとは、機体を構えたまま保つところから始めよう。

 動かさぬときにも、流しすぎておらぬか確かめる」


 藍子は《徒桜》を見上げた。

 すぐに長く戦えるようになるわけではない。

 それでも、次に確かめることは分かった。


「琥珀も、今日の記録を見ておけ」

「私も?」

「お主は見落とされた動きと、消耗を知らせた。あの報告が、現場の判断を助けておる。

 何を見て、何を先に伝えるかを学べば、もっと役に立つぞ」

「ん」


 琥珀が記録へ目を向ける。


「藍子の柄は、先に言う」

「柄だけじゃなくて、私が見てないところもお願い」

「多い」

「……減らせるように頑張ります」


 玄斎が、小さく息を吐いた。


「二人とも、相手に任せるところと、自分で覚えるところを取り違えるでないぞ」

「はい」

「ん」


     ◇


 奉術衆の一人が、入口から声をかけた。


「玄斎様。地下の封鎖は維持されています。遮断した妖気の再流入もありません」

「流れの起点は?」

「側壁の先にある古い水脈まで追いましたが、その先は確かめられていません」


 玄斎が記録板を受け取った。

 水路の図に、地図にはなかった細い筋が書き込まれている。


「地下では、どこから力が来ていたんですか?」


 藍子が尋ねた。


「調整池へ通じる水路の横からじゃ。残存個体も、その流れの近くへ集まっておった」


 奉術衆の者が、記録の一部を開く。


「こちらが、側壁の先にある古い水脈の記録です。水と妖気の流れを比較しています」


 二本の線が、逆向きに動いていた。


 古い水脈の中では、妖気が水の流れに逆らって進んでいる。

 その流れが側壁の裂け目へ達し、調整池へ向かう水路に入り込んでいた。


「自然に溜まっていたものではないんですか?」

「溜まっておっただけでは、あの向きに送り続けることを説明しにくい」


 玄斎が答えた。


「誰かが送っていた……?」

「その可能性もある。強い怪異の影響か、土地に別の異変が起きておるのかもしれん。

 今は、流れがあったことまでしか確かめられておらぬ」


 先日の付喪神も、自然に蓄積しただけでは説明しにくい妖気を持っていた。

 今回は、地下から送り込まれる力が怪異を結びつけていた。


「前の付喪神と、比べるんですね」

「うむ。採取したものを照合する」


 玄斎が奉術衆へ向き直る。


「水脈の先を無理に追うな。地上からも出口を探し、連盟と情報を合わせよ。

 封鎖を維持する者は交代させるのじゃ」

「承知しました」


 奉術衆の者たちが格納庫を出ていく。

 玄斎は記録を端末へ送り、通信先を確かめた。


 藍子は、その手元を見ていた。


 地上の巨大な怪異は崩れた。

 けれど、妖気が送られてきた理由まで分かったわけではなかった。


「こういうことが、また起きたら……」


 言いかけて、膝の上の手を重ねた。


 今日乗ったことを、後悔してはいない。

 それでも、次にどんな役目を任されるかは分からない。


「今日、乗ると決めたから、次も必ず乗ることになるんですか?」


 玄斎が顔を向けた。


「ならん。今日引き受けた役目は、今日で終わりじゃ」

「……はい」

「次に必要になれば、状況と役目を説明する。出せるかは我らが判断し、乗るかはお主に確かめる。

 その手順は変えぬ」


 藍子は息を吐いた。

 これから先のすべてを、一度に決めなくてもよかった。


「ただし、稽古は続けるぞ」

「そこは変わらないんですね」

「次は今日より正しく扱いたいと言ったのは、お主じゃろう」

「そうでした」


 琥珀が立ち上がった。


「藍子、帰る」

「うん」


 玄斎は時刻を確かめ、地上へ連絡を入れた。


「母君は社務所で待っておる。今日は迎えを頼んである」

「ありがとうございます」


 長椅子から立つ。

 まだ身体は重かったが、足へ力は戻っていた。


 琥珀が隣へ並ぶ。

 腕が触れるほど近かった。


「もう、歩けるよ」

「さっきも、大丈夫って言った」

「……そうだけど」


 玄斎が二人を見送る。


「藍子」

「はい」

「よく戻った」


 藍子は足を止めた。

 それから、頷いた。


「ただいま戻りました」


     ◇


 地上へ出ると、境内は夜の暗さに包まれていた。

 灯籠の光が石畳を照らし、冷たい風が乾いた葉を転がしている。


 藍子は社殿の前で立ち止まり、地下格納庫のある方角を振り返った。


「藍子」

「なに?」

「また、《徒桜》に乗る?」


 琥珀の問いに、すぐには答えられなかった。


 怖くなかったわけではない。

 操縦席で身体へ伝わった衝撃も、霊力が減っていく感覚も、まだ鮮明に残っている。


 それでも、自分の動きに《徒桜》が応えた瞬間も覚えていた。

 稽古で繰り返した薙刀の動きが、誰かを守る力へ変わったことも。


「まだ、分からない」


 藍子は正直に答えた。


「でも、今日乗ったことは、間違いじゃなかったと思う」

「ん」

「それに、次に選ぶ時は、今日よりちゃんと選べる気がする」


 知らなかったことを、一つ知った。

 できなかったことが、一つだけできた。


 それだけで、恐怖がなくなるわけではない。

 けれど、立ち止まったままでもなかった。


「だから、稽古は続けるよ」

「私も続ける」

「今度は、通信や状況判断の稽古も増えるんじゃない?」

「問題ない」

「本当に? 座学も増えると思うけど」

「……それは、少し問題」

「そこは頑張ろうよ」


 二人の声が、夜の境内へ小さく響く。


 藍子は社務所へ向き直った。

 窓には明かりがあり、母の姿が見える。


 二人で歩き出すと、社務所の戸が開いた。

 母がこちらへ歩み寄る。


「お帰りなさい」


 藍子は立ち止まった。

 返事をしようとした途端、喉の奥が詰まる。


 戦場では、指示を聞くことばかり考えていた。

 戻ってからも、機体と霊力のことを尋ねていた。


 母の声を聞いて、ようやく帰ってきたと感じた。


「……ただいま」


 母が、そっと背へ手を添える。

 琥珀も隣にいた。


 藍子は二人とともに、明るい社務所へ入った。


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