第十五話 自分で選ぶ
第十五話 自分で選ぶ
『残存個体が第二封鎖線へ接近しています!』
『住宅地側の出口を封鎖。避難誘導を継続!』
社務所の端末から、報告が立て続けに響いた。
玄斎は地下水路の図を開き、奉術衆と陰陽連盟へ情報を送っている。
調整池では、《朧》が融合体を食い止めていた。
地下では、奉術衆が残った怪異の進路を封じている。
二機目の《朧》を招来できるまで、残り十八分。
藍子は切り分けた紙を琥珀へ渡した。
「第二封鎖線は、どれくらい保つんですか?」
「相手が到達せねば分からん」
「破られたら?」
「出口側の結界へ下がる。そこを守る間に、住民を逃がす」
地図の上で、赤い印と黄色い避難区域が重なっていた。
そこには、朝に教室で聞いた通りの名前もある。
『北側の通り、避難を完了しました』
その報告に、少しだけ息が抜けた。
だが、玄斎はすぐに次の通りの状況を尋ねている。まだ終わってはいなかった。
画面の中で、《朧》が長刀を振るった。
融合体の前脚が崩れる。
しかし、地下から流れ込む妖気が傷口を覆い、泥と金属片を引き寄せていった。
先ほど失った脚も、戻りつつある。
「玄斎様」
「何じゃ」
「《徒桜》を出したら、何が変わりますか?」
玄斎の筆が止まった。
「地上を押さえる力は増える。融合体を倒せれば、術者を地下の封鎖へ回す余裕もできるじゃろう」
「私でも、役に立てますか?」
「機体の力は足りる。じゃが、お主が現場で扱えるかは別じゃ」
藍子は右手を見た。
水を飛ばす向きさえ、何度も間違えた。
あの調整池には、琥珀一人よりもずっと多くの人がいる。
「私が出たせいで、誰かを困らせるかもしれないんですね」
「指示を聞き落としたり、味方の位置を見失ったりすればな。
お主を守るために、ほかの者が動かねばならなくなる」
強い機体なら何とかなる。
そう言ってもらえるとは思っていなかった。
それでも、はっきり聞くと怖かった。
「藍子」
隣から琥珀が呼んだ。
「乗る?」
「……怖いよ。失敗する方も」
「ん」
琥珀は確認を終えた紙を玄斎の前へ置いた。
「出していいかは、玄爺が決める」
「私が決めるんじゃないの?」
「乗るかは藍子が決める」
玄斎が頷いた。
「役目を任せられるか、出撃させるかは、運用する側の責任じゃ。
お主が乗ると言っても、認められぬ場合はある」
藍子は卓上へ目を戻した。
切り分けた紙が、玄斎の筆を待っている。
その向こうには、完成した護符の束があった。
地下の分岐を守っているのも、こうして用意した護符だ。
ここにいる自分たちの仕事も、現場へ届いている。
それでも、ほかに任せてもらえることがあるなら知りたかった。
「私は、戦いたいわけではありません」
玄斎へ顔を向けた。
「怪異は怖いです。《徒桜》なら大丈夫だとも思えません。
でも、私に任せられる役目があるなら、乗ります」
「これから先も、か?」
すぐには答えられなかった。
今日の危険が去っても、怪異が現れなくなるわけではない。
まだ知らない場所や、まだ見たことのない相手と戦うことになるかもしれない。
「……そこまでは、今は分かりません」
「うむ」
「でも、今の答えは私が決めました。誰かに言われたからではありません」
玄斎はしばらく藍子を見た。
「その意思は聞いておく。じゃが、今は出撃を認めん」
胸の奥が詰まった。
「《朧》はまだ動ける。結界も保たれておる。今、お主を加えるより、現場の者たちが連携を続ける方がよい。わしはそう判断しておる」
画面では、《朧》が融合体の正面へ戻っていた。
その後ろで、設置班が術式杭を運んでいる。
自分が乗ると言えば、すぐに道が開くわけではなかった。
「……分かりました」
残った紙へ定規を当てる。
悔しさはあった。
けれど、筆を止めてまで聞いてくれた玄斎へ、同じ言葉を重ねることはできなかった。
小刀を引き、切り分けた一枚を琥珀へ渡した。
◇
それから六分が過ぎた。
《朧》は調整池の南側を守り続けている。
玄斎が、連盟との回線を開いた。
「神機陣の拡張は、あとどれほどじゃ?」
『接続試験を含め、十二分ほどです。先行機への供給を維持しながら調整しています』
「了解した。試験の結果も送ってくれ」
別の通信が割り込んだ。
『残存個体、第二封鎖線への到達まで三分以内!』
「数は?」
『少なくとも八体。奥にも反応があり、正確には分かりません』
「奉術衆の配置は?」
『三名で結界を維持。一名が出口側の避難誘導に回っています』
玄斎が携帯用の木札を取り出した。
端末に表示された地図と通信先を、そちらへ移していく。
「出口側の結界も用意せよ。追い詰められるまで地下に留まるでない。わしが合流する」
「玄爺が?」
琥珀が顔を上げた。
「残存個体を止め、地上へ流れる妖気を確かめる。奉術衆だけでは手が足りぬ」
藍子は地下水路の図を見た。
八体以上。
その奥から、融合体を再生させる妖気が流れている。
「玄斎様も、気をつけてください」
「うむ。お主らは大社に残れ」
玄斎が立ち上がったとき、画面の中で融合体が身を沈めた。
戻りかけていた前脚へ、黒い妖気が集まる。
『突進が来ます!』
《朧》が長刀を横へ構えた。
巨体がぶつかり、調整池の水が跳ね上がる。
灰色の泥を削りながら、機体が後ろへ滑った。
操縦者が腰をひねる。
長刀に沿って、怪異の身体が横へ流れた。
だが、その前脚が《朧》の右脚へ触れた。
白い装甲が砕ける。
機体が片膝をついた。
『右脚部を損傷! 駆動系の反応が低下!』
「操縦者は?」
『負傷ありません。機体の移動能力が落ちています!』
融合体が向きを変える。
《朧》は長刀を地面へ突き立て、立ち上がろうとしていた。
右脚が動かない。
『拘束を重ねろ! 《朧》の退路を確保!』
現場の術者たちが護符を放った。
光の帯が怪異の脚へ絡みつく。
巨体が足を持ち上げるたび、帯が引き伸ばされていた。
玄斎は地下の図と、動けなくなった機体を見比べた。
手にした木札から、第二封鎖線への接近を知らせる声が響く。
「玄斎様」
藍子は立ち上がった。
「私にできる役目を、決めてください」
玄斎がこちらを見た。
「一人で倒せるとは思っていません。《朧》の人や、現場の人の指示を聞きます」
「指示があれば、退けるか?」
返事が喉まで出かかり、止まった。
危険が残っている場所から退く。
守りたい人が、まだいるかもしれない。
それでも、自分が動けなくなれば、誰かが戻ってこなければならなくなる。
「……退きます。私を助けるために、ほかの人を戻らせたくありません」
玄斎は、再び画面へ目を向けた。
《朧》が立ち上がる。
右脚を引きずりながら、怪異へ長刀を向けていた。
「現場へ確認する」
◇
「こちら屋島玄斎。《徒桜》による防衛支援を提案する」
玄斎が連盟との回線を開いた。
「搭乗者は訓練中じゃ。討伐は任せられん。
損傷した《朧》の援護に役目を絞り、わしは地下の奉術衆へ合流する」
『現場指揮へ確認します』
藍子は画面を見つめた。
怪異の前脚を、《朧》が長刀で押し返している。
動けない右脚をかばうたび、機体の姿勢が傾いた。
『現場指揮より回答。《徒桜》の防衛支援を要請します。
《朧》操縦者も、動作の補助と連携が可能です』
「受領した。四季狐大社の母陣から、一時接続を申請する」
『接続を許可します』
玄斎が端末へ承認を送った。
現場神機陣は、関東支部の母陣とつながっている。
同じ母陣から二機目の《朧》を出すには、経路を増やさなければならない。
《徒桜》の接続元は、四季狐大社の母陣だった。
双方の承認を受け、現場の術式に別の母陣から一機を受け入れる経路が組まれていく。
『接続調整を開始。干渉がないことを確認し、招来します』
「《朧》の増援準備も続けてくれ」
『承知しました』
玄斎は藍子へ向き直った。
「お主には、西側からの回り込みを防いでもらう。《朧》と連携し、怪異を調整池へ留める。
増援が来るまでの役目じゃ」
「はい」
「追って討伐しようとするな。構えを保てぬ、指示が分からぬと思ったら、すぐに伝えよ。
できぬことを隠したまま続ける方が危険じゃ」
藍子は頷いた。
「琥珀。お主には、映像と《徒桜》の表示を見てもらう」
「私も?」
「藍子が見落としているものに気づいたら、指揮回線へ伝えよ。
配置と退却を決めるのは現場指揮じゃ。お主だけで指示を出してはならん」
「ん。伝える」
玄斎が現場へその役目を知らせると、情報を受けるという返答があった。
祭壇へ向かい、御神鏡へ手を触れる。
床が開き、地下格納庫への階段が現れた。
「状況が変わった。《徒桜》の出撃を許可する」
胸が強く鳴った。
藍子は階段の前へ進んだ。
「九條藍子」
玄斎が呼び止める。
「お主は、自分の意思で《徒桜》へ乗るか?」
危険も、自分の未熟さも聞いた。
それでも、任せてもらえる役目がある。
「乗ります。私の意思で、《徒桜》に乗ります」
「よかろう。現場の指示を聞き、必ず帰ってこい」
「はい」
制服の袖が、後ろから引かれた。
琥珀がつかんでいた。
「見てる」
「うん」
「気づいたら、言う」
「ちゃんと聞くよ」
袖から手が離れる。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
藍子は階段を下り始めた。
◇
格納庫の奥で、《徒桜》が片膝をついていた。
淡い青色の装甲。
狐を思わせる頭部。
背後には、五基の遠隔防御ユニットが閉じられている。
近づくほど、自分の小ささが分かった。
この身体で薙刀を振れば、境内の稽古とは比べものにならない範囲へ届く。
昇降台へ乗る。
青く光った台が上がり、胸部の装甲が開いた。
操縦席へ身体を収め、左右の操縦桿を握る。
手のひらから流した霊力へ、青龍コアが反応した。
細い光の筋が装甲へ広がっていく。
正面の表示面が開いた。
機体の状態と、格納庫の様子が映る。
まだ、意味の分からない表示も多かった。
まずは玄斎から教わった項目を探す。
コアとの接続。
各部の動作。
今の自分が扱える霊力の残量。
「藍子、聞こえる?」
琥珀の声が届いた。
「聞こえるよ」
「玄爺、奉術衆のところへ向かった」
「分かった。琥珀は大社にいるんだよね?」
「ん。ここで待ってる」
通信表示に、社務所との回線が残った。
続いて、現場の声が入る。
『こちら陰陽連盟現場指揮。《徒桜》、通信を確認』
「こちら《徒桜》。聞こえています」
『招来後、陣の西側で待機。進路の安全を確認してから、《朧》の左側へ移動してください』
簡略図が表示された。
池の中央に融合体。
南側に《朧》と神機陣。
住宅地へ通じる東側の経路には、結界が置かれている。
藍子は、自分が進む西側を確かめた。
「位置を確認しました」
『霊力残量が半分へ近づいた時点で、後退を判断します。
数値に余裕があっても、動作や制御が乱れたら報告してください』
「はい」
接続の調整を待つ間も、現場からの報告が続いた。
術者たちが拘束を重ね、《朧》が怪異の腕を押し返す。
藍子は配置図を見直し、そのたびに変わる機体の位置を確かめた。
出撃の準備を始めてから、すでに数分が過ぎていた。
表示面の接続状態が切り替わる。
『接続経路の干渉なし。十秒後に《徒桜》を招来します』
中央に数字が現れた。
機体の右手を動かし、そばに置かれた薙刀をつかむ。
左手で柄を支えた。
指が冷たかった。
強く握り込んでいることに気づき、少し緩める。
「藍子」
「何?」
「声、固い」
「……そう聞こえる?」
「ん。息して」
短く息を吐いた。
返事をすることばかり考えて、呼吸まで浅くなっていた。
「行ってくるね」
「ん」
数字が零へ変わる。
格納庫の床が青い光に包まれた。
一瞬、足元の感覚が消えた。
視界が戻ると、《徒桜》は泥と水に覆われた調整池の脇へ立っていた。
怪異がいる。
画面で見ていた黒い外殻が、目の前で動いていた。
その手前に《朧》が立っている。
砕けた右脚の装甲と、泥へ深く沈んだ足が見えた。
『西側の進路を確保。指定位置へ移動してください』
「はい!」
操縦桿を倒す。
《徒桜》が一歩を踏み出した。
足が泥へ沈む。
表示が揺れ、藍子は反射的に操縦桿を引いた。
『《朧》操縦者です。左脚を、ゆっくり前へ。歩幅を小さくしてください』
言われたとおりに動かす。
二歩目は、先ほどほど揺れなかった。
三歩目で、足を置く感覚が少しつかめる。
『その位置で止まってください』
《朧》の左側へ立ち、薙刀を構えた。
『援護に感謝します。こちらは正面を押さえます。左へ回り込まれたら、声をかけます』
「分かりました」
怪異の位置を確かめる。
《朧》の長刀も見える。
その後ろには、術者たちの護符の光があった。
薙刀へ霊力を流す。
青い光が柄を伝い、穂先へ届いた。
融合体が向きを変える。
四本の脚が泥を踏み、《徒桜》へ正面を向けた。
『対象、《徒桜》へ接近!』
藍子は操縦桿を握り直した。
穂先を低く構え、迫る巨体を見た。
◇
怪異の身体から伸びた腕が、横殴りに振るわれた。
『左へ回り込みます!』
《朧》の操縦者が知らせる。
藍子は機体を下げかけ、左側の空いた進路へ目を向けた。
そこを通してはいけない。
「受け止めるんじゃない……」
薙刀を斜めに構える。
腕が刃へ触れた瞬間、《徒桜》の肩が大きく押された。
操縦桿を握る手に力が入る。
止めようとする。
そのまま、機体の足が滑った。
『半歩下がって、姿勢を戻せ!』
現場指揮の声で、左脚を引いた。
薙刀を固めず、迫る腕に沿わせて動かす。
刃を伝って、怪異の腕が池の中央側へ抜けた。
水面を叩き、水柱が上がる。
「……流せました」
『確認。左側の進路を維持してください』
息を吸った。
木球とは、重さがまるで違う。
同じように動かしたつもりでも、足まで持っていかれそうになった。
《朧》が長刀で、怪異の別の腕を押し返している。
藍子は薙刀を低い位置へ戻した。
『右後ろ。水の中に、小さいのがいる』
琥珀の声が入った。
見取り図に印が付く。
現場映像の片隅で、黒い塊が水を分けていた。
『分離した個体を確認。《徒桜》、石突き側で押し戻せますか?』
《朧》の脚と、塊の間を見る。
柄を動かせる隙間があった。
「届きます」
機体の両手を動かす。
石突きを水中へ下ろし、塊の進路へ当てた。
硬いものが柄へぶつかる。
池の中央へ押し戻すと、塊と本体をつなぐ部分が細長く伸びた。
やがて引き戻され、巨体へ吸い込まれていく。
『そのまま構えを戻してください』
『助かりました。こちらからは死角でした』
《朧》の声に、藍子は頷いた。
「琥珀、ありがとう」
『ん』
正面だけを見ていたら、気づかなかった。
薙刀を戻しながら、表示された印の場所も確かめた。
融合体が身を沈める。
『次の突進は、北側へ流します』
現場指揮が、見取り図に位置を示した。
池の北側にある浅い場所だった。
水底には柔らかな泥が堆積している。
『《徒桜》は腕をそちらへ流してください。本体へ踏み込まなくてよい。
《朧》と術者が拘束を合わせます』
「分かりました」
『了解』
《朧》が長刀を引き、術者たちの護符が光った。
藍子も指定された場所を確かめ、薙刀を斜めに構える。
前脚へ、黒い妖気が集まった。
巨体が泥を蹴る。
「突進が来ます!」
『合わせます!』
藍子は迫る腕へ刃を向けた。
巨体を一人で動かすのではない。
腕が向かう先を変える。
外殻が薙刀へぶつかった。
「くっ……!」
両腕へ衝撃が伝わった。
機体の腰を落とし、刃を外殻に沿って滑らせる。
今度は足を置く場所も見た。
腕が北側へ逸れた。
追うように、怪異の上体がひねられる。
『拘束!』
光の帯が北側の脚へ巻きついた。
《朧》の腕からも術式が伸び、胴体を引いた。
融合体が足を踏み出す。
脚が柔らかな泥へ沈み、身体が傾いた。
さらに重ねられた帯が張り、巨体の動きが止まる。
『その位置を維持。追って入るな!』
藍子は、倒れかけた怪異へ穂先を向けたまま止まった。
自分が流したのは、腕だけだった。
脚を止めたのは術者たちで、胴体を押さえているのは《朧》だ。
その光の帯が、目の前で震えていた。
『増援の招来まで、あと四分。接続試験に入ります』
四分。
表示された数字を見て、初めて腕の重さを意識した。
操縦桿を握る指も痛い。
『藍子。柄の光、強くなってる』
琥珀に言われ、薙刀の表示へ目を向けた。
刃だけでなく、柄まで青い光に包まれている。
必要以上に流していた。
握る力を緩め、送り込む量を少し減らす。
穂先の光を残したまま、柄の明るさが薄れた。
『《徒桜》の残量を送る』
『受領。現在の位置は維持可能です。半分へ達する前に交代位置を指示します』
現場指揮が続けた。
『後退する場合は《朧》と合わせます。術者も防護線を下げます。単独で残らないでください』
「了解しました」
戻るときも、一人で決めてはいけない。
藍子は《朧》の位置と、術者たちの光を確かめた。
怪異の胸部が脈打った。
拘束の帯が強く張る。
外殻の裂け目から、黒い妖気があふれた。
『藍子』
「うん」
『帰ってきて』
短い声だった。
藍子は、まだ半分より上にある霊力の表示を見た。
「帰るよ」
薙刀を構え直す。
右側では、《朧》も長刀を上げていた。
融合体が泥から脚を引き抜く。
腕が持ち上がった。
「北側へ来ます!」
『確認。合わせます』
その返事を聞き、藍子は刃を斜めに向けた。




