第十二話 選ぶために
第十二話 選ぶために
翌日の放課後。
藍子と琥珀が四季狐大社を訪れると、玄斎は社務所で二人を待っていた。
卓上には三人分の茶と、陰陽連盟から届いた報告書が置かれている。
「玄爺。昨日の怪異、何だった?」
「付喪神じゃ。古い刃物に宿っておったらしい」
二人は玄斎の向かいへ座った。
「長い年月を経た道具には、霊気や人の感情が宿ることがある。
すべてが人に害をなすわけではないが、今回の相手は調査員を襲った」
差し出された報告書を、藍子は受け取った。
山中で発見された傷。途切れた映像。そして、隊員の名前。
「ニュースで亡くなった人は、陰陽連盟の人だったんですね」
「うむ。単独で調査に入ったところを襲われた」
藍子はその名前を見つめた。
怪異のことを知らずに山へ入った人ではなかった。
自分よりもずっと、対処の仕方を知っていたはずなのに。
次の頁には、四人の調査員と《朧》二機の記録があった。一機は肩の装甲を損傷している。
「倒した方の人たちも、危なかったんですね」
「妖殻化され、封印を破られた。じゃが、退路の結界で時間を稼ぎ、《朧》へ引き継いでおる。
準備と連携があったから、全員戻れたのじゃ」
昨日、大社へ来るなと言われた理由が、報告書の中にあった。
機体を動かせるだけでは、あの人たちの代わりにはなれない。
頁をめくると、回収された金属片の写真が現れた。脇には、解析中という文字がある。
「力が強すぎた理由は、まだ分からないんですね」
「うむ。自然に蓄積しただけでは説明しにくい妖気が残っておる。
先日の怪異との関連も、調べているところじゃ」
「これからも、陰陽連盟だけで対処できるとは限らない……?」
「その可能性に備えて、四神を揃えようとしておる。
じゃが、それを理由に、お主へ今すぐ答えを求めるつもりはない」
藍子は報告書から顔を上げた。
「私が乗らないと決めたら、《徒桜》はどうなるんですか?」
「ほかの適合者を探すなど、別の方法を考える。
すぐに見つかる保証はないが、それはわしらが担うことじゃ」
玄斎が報告書を引き寄せる。
「お主はまず、自分に何ができるのかを確かめよ」
「……はい。稽古は続けます」
「私も」
隣から琥珀が言った。
玄斎は頷き、引き出しから二枚の白い紙札を取り出した。
「では今日は、霊力の属性を調べる」
藍子は置かれた札へ目を向けた。
「前に光らせた札ですか?」
「同じものじゃ。現れる色には、属性の傾向も表れる」
「霊力の種類、ということですか?」
「そのようなものじゃ。属性には、表と裏がある。
今日調べるのは、水や火、風、地、光、闇など、どの力を扱いやすいかを示す表属性じゃ」
「裏は、別なんですか?」
「うむ。裏属性は木・火・土・金・水の五行で分ける。こちらは専門の機器で調べねばならん。
この札では分からぬものじゃ」
藍子は紙札を右手へ載せた。
「今日は、表の方だけですね」
「そうじゃ。術の得手不得手や、《纏霊》の性質にも関わる。まずは霊力を流してみよ」
藍子は呼吸を整えた。
胸の奥にある温かさを感じ取り、右手へ意識を向ける。
札の中央に、淡い青色の光が灯った。
薄い紙の上へ、少しずつ広がっていく。
「前よりも安定しておる。そのまま保て」
青い光はわずかに揺れたが、消えなかった。
「お主の属性は水じゃ」
「水……」
藍子は手の上の光を見つめた。
「水の術を覚えることになるんですか?」
「適性を生かす術から始めるとよい。じゃが、水の属性を持つ者が、皆同じ術を使うわけではない。
何に使うかも、扱う者によって変わる」
「もう流してる」
琥珀が手のひらを見せた。
札は白い光を放っている。
玄斎が身を乗り出し、その表面を確かめた。
「少し弱めてみよ」
白い光が揺らいだ。
琥珀が指を開くと、光はわずかに薄れたが、色は変わらない。
「これくらい?」
「よい。そのままじゃ」
しばらく眺めたあと、玄斎は姿勢を戻した。
「この札では、判別できんな」
「白は、何なんですか?」
「光属性である可能性と、特定の色を示さぬ無属性である可能性がある。
この簡易な札では、二つを見分けられん」
「無属性だと、術は使えないんですか?」
「そうではない。癖が少なく、《纏霊》や結界などの基礎術式へ向いておる。
光属性ならば、浄化や防護の術へ適性を示すことが多い」
琥珀は札へ目を落とした。
「どっち?」
「今は分からん。専用の術具で調べられるよう、陰陽連盟へ検査を頼んでおこう」
「玄爺でも、分からない」
「わしを何じゃと思っておる」
「何でも知ってる狸」
玄斎の丸い耳が動いた。
「何でも分かるなら、ほかの三神もとうに見つけておるわ」
藍子は札から力を抜き、茶へ手を伸ばした。
琥珀も白い光を消す。
「検査までは、稽古を待つの?」
「共通の基礎は続けられる。属性を使う術は、確かめてからじゃな」
◇
玄斎は紙札を片づけ、盆に載せた小さな鉢を卓上へ置いた。
中には水が入っている。
「藍子は、これを使ってみよ」
「水を動かすんですか?」
「うむ。今日は術式を組まず、自分の霊力を水へ届かせる感覚を確かめる」
鉢の上へ右手をかざした。
水面には照明が映り、細かく揺れている。
「触れた方が簡単ではあるが、まずは少し離して試してみよ。手のひらの先まで、霊力を伸ばすのじゃ」
紙札や薙刀を握ったときとは違う。
手と水の間には、何もない。
藍子は水面を見つめたまま、温かさを指先へ向けた。
変化はなかった。
「手元に集めておるな。もっと薄く、先へ伸ばしてみよ」
握りかけた指を開く。
細い糸を垂らすように、手のひらの先へ意識を向けた。
しばらくして、冷たい感覚が返ってきた。
指は水に触れていない。
それでも、鉢の中にある水の広がりが、ぼんやりと感じられる。
「何か、感じます」
「そこでよい。水面を少し動かしてみよ」
指先を右へ動かした。
照明の映り込みが揺れる。
もう一度動かすと、今度は小さな波が鉢の縁へ届いた。
「動いてる……」
目を離さず、ゆっくりと指を巡らせる。
波が縁に沿って回り、水面に浅い渦が生まれた。
「そこまでじゃ。今度は止めてみよ」
藍子は手を止めた。
水はまだ回っている。
「止まりません」
「手を止めただけでは、流しておる力は変わらんぞ。少しずつ減らすのじゃ」
力を抜こうとしたが、どこまで減らせばよいのか分からない。
渦の端で水が盛り上がり、鉢の縁を越えた。
「わっ」
玄斎が鉢を押さえた。
藍子が手を引くと、渦が崩れる。
こぼれた水は下の盆で受け止められ、卓には届かなかった。
「すみません……」
「動かす方へ気を取られたな。止めるところまでが稽古じゃ」
藍子は鉢へ目を戻した。
水面はまだ揺れている。
「使えたら終わり、ではないんですね」
「武器へまとわせる力も同じじゃ。必要な量を出し、保ち、収める。その加減を覚えねばならん」
玄斎は布で盆を拭いた。
「水を動かせるようになったら、何に使えるんですか?」
「相手の動きを阻む術もあれば、水を刃のように変える術もある。
傷を洗い、穢れを流し、結界を補助する使い方もある」
「攻撃だけじゃないんですね」
「今のお主が動かせるのは、この鉢の水じゃ。使い道はあるが、怪異へ向けて試せる段階ではないぞ」
「分かっています」
「私も、それやる?」
琥珀が鉢を見た。
「今日は、札へ流す量を一定に保つ練習じゃ。属性を使う術は、検査のあとにしよう」
玄斎は片づけた紙札を一枚取り出し、琥珀へ渡した。
「ん」
琥珀は札を手のひらへ載せ、白い光を灯した。
藍子も鉢へ手をかざす。
今度は水面をわずかに揺らし、力を減らした。
波が小さくなるまで、手を引かずに待った。
◇
休憩を挟んだあと、玄斎は円形の術式が描かれた札を一枚ずつ配った。
「次は感知符じゃ。周囲に残った妖気を捉える」
「怪異のいる場所が分かるんですか?」
「近くにいる可能性を知らせるものじゃ。霊脈の乱れや古い呪具にも反応する。
光ったからといって、必ず怪異がおるとは限らん」
小さな木箱が卓上へ置かれた。
蓋には護符が貼られ、細い注連縄が巻かれている。
「その中は?」
「昨日の付喪神から回収された金属片の一部じゃ。連盟から、封印した試料を分けてもらった」
藍子は思わず身を引いた。
「ここに置いて大丈夫なんですか?」
「霊核は破壊されておる。この試料も、残った妖気がわずかなことを確かめてある。
直接触れる必要はない」
玄斎は注連縄を解き、護符を外した。
琥珀が木箱へ顔を向ける。
「昨日の気配」
「分かるの?」
「少しだけ」
藍子には何も感じられなかった。
箱は閉じられたまま、卓の端へ置かれる。
「札へ少量の霊力を流し、それを周囲へ薄く広げる。妖気へ触れれば、術式が反応する仕組みじゃ」
「さっき、水へ伸ばしたときみたいに?」
「今度は広がりを持たせる。水面の波紋を思い浮かべてみるとよい」
藍子は感知符へ手を置いた。
まず、少量を流す。
円形の術式が青く光ったが、その先へは伸びていかない。
「札を強く光らせる必要はないぞ」
水を動かしたときも、力を止められなかった。
藍子は一度流れを収め、やり直した。
紙札から卓上へ、少しずつ意識を広げる。
青い光が円の外周を巡った。
木箱の方を向いた一部分が、ほかより明るくなる。
「こっち……」
顔を上げる。
箱は先ほどと同じ場所にある。
何も感じられなくても、札を通せば、妖気のある方向を確かめられた。
「どのくらい遠くまで分かるんですか?」
「使い手の霊力と技量による。今のお主なら、この部屋の中が限度じゃろう」
「近くに来るまで、反応しないこともあるんですね」
「うむ。反応がなくても、安全とは限らん。札だけでなく、周囲の変化や音にも気を配るのじゃ」
玄斎が箱を少し横へ動かした。
藍子は視線を札へ戻す。
明るくなっていた部分が薄れ、新たに箱へ向いたところが光った。
「方向が変わりました」
「よい。では、力を収めてみよ」
送り込む量を減らす。
青い光が弱まり、やがて消えた。
隣で琥珀も、自分の感知符へ手を置いた。
白い光が円の内側を満たす。
「もう少し弱くじゃ」
「薄くするの、苦手」
「札が働く分だけでよい。明るくする競争ではないぞ」
琥珀が指を開いた。
白が一度薄れたが、すぐに戻る。
円の外周まで光に埋もれ、どちらを示しているのか分からなくなった。
札の端が茶色く変わり始める。
玄斎が琥珀の手首を支え、札から離した。
「ここまでじゃ。流しすぎれば、札が傷む」
琥珀は指先を見た。
「少なくしたつもり」
「そのつもりと、実際に流した量が合っておらんのじゃ。次は、光が薄れたところで保ってみよ」
琥珀は頷いた。
「でも、箱の中にあるのは分かる」
「術を使う前から気づいておったな。どんなふうに感じる?」
琥珀は木箱を見た。
「冷たいような、重いような感じ」
「昨日も?」
「昨日の方が、重かった」
藍子も箱へ目を向けた。
あのとき琥珀が扉を見つめていた理由が、少しだけ分かった気がした。
「その感覚と、札の反応を比べて覚えておけ。ほかの者へ伝えられれば、判断の助けになる」
「ん」
玄斎は傷んだ札を脇へ置き、新しいものを渡した。
「では、もう一度じゃ」
藍子が感知符へ手を置くと、玄斎は木箱を自分の陰へ移した。
見えなくなった箱の方向へ、札の外周が明るくなる。
藍子がそちらを向く。
「感じられぬものを、こうして確かめられる。じゃが、反応した先へ自分で行く必要はない」
玄斎は二人を見比べた。
「亡くなった隊員も、痕跡を追って山へ入った。発見できることと、無事に戻れることは別じゃ」
藍子は札を光らせたまま、箱のあった場所を見た。
どちらへ進めばよいかを知る札だと思っていた。
けれど、近づかずに済むように使うこともできる。
「反応したら、知らせるんですね」
「うむ。まず距離を取り、家の者か、わしへ連絡する。相手の姿を見ようと、追ってはならんぞ」
「はい」
「ん」
琥珀の札にも、白い光が灯った。
今度は円の線が見える。
木箱へ向いた部分だけが、少し明るくなっていた。
「琥珀、そっちも反応してる」
「見えた」
琥珀が札を持ち上げかける。
光が膨らみ、慌てたように手を止めた。
藍子も自分の札から力を抜く。
もう一度流し、箱の方向を確かめてから収める。
玄斎は箱を動かしながら、二人の手元を見ていた。
◇
「今日はここまでじゃ。迎えの時刻になる」
玄斎が木箱へ護符を貼り直す。
琥珀は箱を見つめていたが、注連縄が結ばれると目を離した。
藍子も感知符を返した。
「ありがとうございました」
「玄爺、また明日」
二人で卓上を片づけ、社務所を出る。
境内には冷たい風が吹いていた。
山の端に、夕日の色が残っている。
「今日は、水を動かして、怪異を探す札を使って……」
藍子は教わったことを数えた。
「覚えること、多かったね」
「水、止まらなかった」
「そこだけ覚えてるの?」
「最後は止まった」
藍子は隣を見た。
琥珀はいつもの顔で、石段へ向かっている。
「……うん。最後はね」
石段の下には、母の車が停まっていた。
降りてきた二人に気づき、母が手を上げる。
藍子も手を振り返し、琥珀と並んで段を下りた。
後部座席へ乗り込むと、暖房の温かい風が頬に触れた。
「今日は何を教わったの?」
「属性と、感知符の使い方。私は水だった」
「水なのね。琥珀ちゃんは?」
「白」
「光属性か無属性か、この札では分からないんだって。連盟に検査を頼んでもらうことになった」
「そう。日にちが決まったら教えてね」
車が走り出す。
藍子は窓の外へ目を向けた。
山道の脇に、修復作業のための札と縄が残っている。
「ニュースで亡くなった人、陰陽連盟の隊員だったんだね」
母は前を向いたまま頷いた。
「ええ」
「感知符も、護符も使えたはずなのに……」
「何ができるかだけでは、安全かどうかは決まらないのでしょうね」
藍子は膝の上で右手を開いた。
水も、札も、少しは扱えるようになった。
けれど、流す量を間違えれば止められなくなる。反応する範囲の外に、何がいるのかは分からない。
「琥珀」
「ん」
「次に何か感じたら、今日の箱とどう違うのかも教えて」
「重いとか?」
「うん。それから、お母さんか玄斎様に知らせよう」
「分かった」
琥珀がこちらを向いた。
「藍子も、一人で行かない」
「行かないよ」
「ん」
車は山道を抜け、町へ入った。
店先に明かりが灯り、歩道を買い物袋を持った人が歩いている。
藍子は、その背中を目で追った。
あの日、自分たちも普通に歩いていた。
何かがいると分かるだけでも、今なら違う動きができるかもしれない。
「お母さん」
「何?」
「私、まだ《徒桜》に乗るかは決められない」
「うん」
「でも、危ないと分かったとき、どうすればいいかは覚えたい」
母がバックミラー越しにこちらを見た。
「ええ。自分の身を守るためにも、知っておいた方がいいわね」
藍子は頷き、右手を膝へ戻した。
家へ着いたときも、空には夕暮れの色が残っていた。
玄関の明かりの下で靴を脱ぐと、琥珀が先に廊下へ上がる。
「お腹空いた」
「休憩にお菓子を食べてたよね?」
「あれは休憩」
「食べた分は、なくならないんだけど」
台所へ向かった母が、振り返った。
「夕食まで待っていてね」
「ん」
琥珀が居間へ入っていく。
藍子は鞄を置き、その後を追った。
水を動かした感覚は、まだ覚えている。
けれど、明日はまず、少し動かして、きちんと止めるところから始めよう。
それができたら、次を教わればいい。




