第十一話 熊による事故 (2)
「近づいてるって、ここに?」
「まだ分からない」
琥珀は玄関の扉を見つめたまま答えた。
「でも、こっちの方に動いてる」
母が玄関の鍵を確かめた。
「二人とも、今日は外へ出ないで。境内の掃除もしなくていいわ」
「今、山で何が起きてるの?」
「陰陽連盟が捜しているところよ。
ただ、琥珀ちゃんが感じているものが、その相手なのかは分からないわ」
母は二人を居間へ促し、窓と雨戸を閉めた。
藍子も琥珀の隣へ座る。
「その気配は、前に町へ下りてきた怪異と同じ?」
「違う」
「何が違うの?」
「うまく言えない。でも、前のより、はっきりしてる」
琥珀は目を閉じた。
母が通話端末を取り、玄斎へ気配のことを伝えている。
藍子はその声を聞きながら、琥珀を見つめていた。
「止まった」
「どこで?」
「分からない。町までは来てないと思う」
少しだけ息をついた。
それでも、膝の上に置いた手から力は抜けなかった。
テレビでは、立入禁止となった山林の映像が流れている。
林道の入口には警察車両が停まり、その先を規制線が塞いでいた。
◇
日が沈んだ山中を、陰陽連盟の四人が慎重に進んでいた。
先頭の隊員が手にした探索符は、淡い光を一定の間隔で明滅させている。
「反応は?」
「先ほどより強くなっています。対象は近いはずです」
「足元の器物にも注意しろ。見つけても、不用意に触るな」
隊長は通信符へ手を添えた。
「こちら調査小隊。神機の配置は?」
『二機とも、林道の待機地点に到着しています。神機陣の接続も維持しています』
午後のうちに、設置班は林道脇の開けた場所を浄化し、陣の構築と支部の母陣への接続を終えていた。
さらに術式杭を追加し、二機を送り込むための接続経路の拡張も済ませていた。
そこへ招来された二機の《朧》が、四人の後方で待機している。
「了解。対象を確認次第、位置を送る」
通信を終え、隊長は前方へ目を戻した。
別の隊員が木々の間へ結界用の札を配置する。
退路となる林道にも、すでに護符が置かれていた。
対象の位置と姿を確認し、無理な交戦は避ける。
四人は互いの姿が見える距離を保ちながら、木々の間を進んだ。
先頭の隊員が片手を上げる。
全員が足を止めた。
前方の木に、新しい傷が残されている。
太い幹が、刃物で断たれたように斜めへ裂けていた。
「近いぞ」
声を抑え、周囲を見渡す。
森の中は静まり返っていた。
鳥の声も、獣が動く音も聞こえない。
探索符の明滅が速くなる。
木々の奥で、金属の擦れる音がした。
薄暗い森の中に、大きな影が立っている。
片腕から、長い刃のようなものが伸びていた。
影は動かない。
ただ、四人のいる場所を見据えている。
「対象を確認。こちらにも気づいている。後退する」
隊長が通信符へ告げた。
その瞬間、影の姿が木々の間から消える。
「散開!」
四人が左右へ跳んだ。
直後、先ほどまで立っていた場所を銀色の刃が横切る。
背後の木が大きく傾き、地面へ倒れた。
「攻撃を受けた! 退路を確保する。《朧》は前進を!」
『了解』
隊長が二枚の護符を投げる。
影の左右へ落ちた護符が光り、その間に壁を作り出した。
進路を塞がれ、影が足を止める。
「左を封じます!」
一人が地面へ手を当てた。
光の帯が足元へ伸びる。
影が右へ逃れようとすると、そこへ別の隊員が回り込んだ。
霊力をまとわせた短刀で、迫る刃を受け流す。
鋭い音が響き、短刀を握る腕が押し戻された。
「今です!」
四人目が護符を放った。
金属の身体へ貼りつき、刻まれた術式が一斉に光る。
影の動きが鈍った。
「そのまま押さえろ!」
隊長が新たな護符へ霊力を流す。
短刀を持つ隊員が一歩下がった。追おうとする影の脚を光の帯が引き止める。
身体に貼りついた護符が震えた。
剥がれるより早く、隊長の手元に術式が浮かび上がる。
「封印する。離れろ!」
三人が距離を取った。
投じられた護符から、幾重もの光の輪が広がる。
輪が狭まり、黒ずんだ金属の身体を縛り上げた。
影が動きを止める。
「封印を確認」
「待ってください。妖気が増しています!」
貼りついていた護符が、一枚ずつ黒く染まっていく。
内側から濃い妖気が噴き出し、光の輪を押し広げた。
「林道へ退避! 妖殻化するぞ!」
四人は走り出した。
背後で封印の光が砕ける。
黒い外殻が幾重にも重なり、金属の身体を覆っていった。
腕から伸びる刃が長くなる。
膨れ上がった巨体が木々を押し退け、四人の後を追った。
隊長が通信符を握る。
「封印に失敗。対象は妖殻化しました!」
『確認しました。二機とも接近中です』
林道へ出た隊員が、地面に配置された護符へ手を当てた。
木々の間に残された札も一斉に光る。
四人が抜けたあとで光の壁が閉じ、追ってきた巨体を囲んだ。
付喪神が腕の刃を振り下ろす。
結界全体が揺れた。
「ここを離れろ!」
四人は林道を横切り、戦闘の妨げにならない場所まで退いた。
背後で、もう一度刃が壁を打つ。
光に亀裂が走った。
林道の奥から、重い足音が近づいてくる。
現れたのは、白を基調に紺と赤の装甲をまとった二機の神機だった。
陰陽連盟の汎用神機《朧》。
長刀を持つ機体が、崩れかけた結界の前へ立つ。
霊装銃を携えた機体は、その斜め後ろで足を止めた。
『調査小隊の退避を確認。これより対象を討伐する』
付喪神が再び刃を振り下ろす。
結界が砕け、巨大な影が林道へ踏み出した。
先に動いたのは、銃を持つ《朧》だった。
付喪神が腕を振り上げるより早く、青白い光弾を放つ。
肩へ命中し、巨体がわずかに傾いた。
その隙に、長刀を持つ《朧》が間合いへ踏み込む。
迫る腕の刃を、長刀で受け止めた。
火花が散る。
『正面は引き受ける。側面へ回れ!』
『了解』
射撃を担う機体が林道から斜面へ移った。
付喪神は正面の長刀へ刃を押しつけながら、もう一方の腕を横へ振るう。
『来るぞ!』
銃を持つ《朧》が後方へ跳んだ。
刃が胸部のすぐ前を通過し、木々をまとめて薙ぎ倒す。
『見た目より速い』
『こちらへ向けさせる。合わせろ』
長刀を持つ《朧》が力を抜き、押しつけられていた刃を横へ流した。
付喪神の身体が傾く。
そこへ光弾が撃ち込まれ、胸部の妖殻に亀裂が走った。
付喪神が銃口の方へ向き直る。
背後に残った《朧》が長刀を振り抜いた。
背中の殻が砕ける。
振り返った付喪神へ、斜面から再び光弾が飛んだ。
付喪神は一方の刃を地面へ突き立てた。
それを軸に身体をひねり、もう一方の刃で周囲を薙ぐ。
『離れろ!』
二機が退く。
銃を持つ《朧》の肩を、刃先がかすめた。
白い装甲が裂け、破片が林道へ落ちる。
『肩部損傷。動作に問題なし』
銃口が再び付喪神へ向けられた。
長刀を持つ機体が、その前へ出る。
敵の胸元では、亀裂の奥に赤黒い光が見え始めていた。
『胸の殻が割れかけている。こちらで開く』
『援護します』
二機が距離を取った。
一機は長刀を正面へ構え、もう一機は霊装銃へ霊力を集める。
銃口の光を見て、付喪神が射撃を担う機体へ身体を向けた。
長刀を持つ《朧》が地面を蹴る。
付喪神が振り返り、腕の刃を迎撃へ向けた。
長刀がその刃を受け流す。
懐へ踏み込んだ《朧》の肩が、付喪神の胸部へぶつかった。
亀裂が広がる。
砕けた妖殻の奥で、霊核が赤黒く輝いた。
『射線、開きます!』
機体が横へ飛び退く。
次の瞬間、霊装銃から放たれた光が胸元を貫いた。
霊核の光が揺らぎ、巨体の動きが止まる。
全身を覆っていた妖殻が崩れ、黒い粒子となって夜の山中へ消えていった。
『対象の消滅を確認』
『周囲を警戒。残留妖気と本体を調べる』
待機していた調査小隊が、慎重に林道へ戻った。
妖殻が消えた場所には、黒ずんだ金属片が散らばっている。
隊長は直接触れず、護符で一片を包んだ。
「本体の一部かもしれん。封印箱へ」
「解析班へ回します」
箱の蓋が閉じられた。
ほかの隊員は、周囲に残る反応を確かめている。
新たな犠牲は出なかった。
だが、失われた隊員が戻るわけではない。
この相手が異常な力を持っていた理由も、まだ分からなかった。
◇
東雲神社の居間で、琥珀が不意に顔を上げた。
「消えた」
「何が?」
「さっきの気配」
閉じられた雨戸へ目を向ける。
「遠ざかったんじゃなくて?」
「違う。急に消えた」
藍子には、その違いが分からなかった。
それでも、琥珀は雨戸を見つめるのをやめていた。
母が通話端末へ手を伸ばす。
「玄斎様に確認するわ」
藍子は頷いた。
テレビでは、山林への立ち入りを控えるよう呼びかけている。
新しい情報は入っていない。
母が番号を入力する間も、藍子は画面を見ていた。
陰陽連盟には専門の隊員がいて、《朧》もある。
今も、誰かが山で捜している。
分かっていても、その人たちが無事なのか、ここからでは確かめられなかった。
藍子は鞄を脇へ置いた。
◇
四季狐大社の社務所では、玄斎が陰陽連盟から届いた報告を読んでいた。
『付喪神級一体の討伐を完了。《朧》一機が軽度の損傷。新たな人的被害はありません』
画面を下へ送る。
回収された金属片は、山仕事に使われていた古い刃物の一部と推定されていた。
長い年月を山中で過ごし、周囲の妖気を取り込んだことで付喪神となった可能性が高い。
玄斎は、続く測定結果へ目を留めた。
『回収物から検出された妖気は、器物が自然に蓄積できる量を大きく上回っています。
外部から何らかの影響を受けた可能性について、現在解析中です』
「また、か」
先日現れた魑魅魍魎も、その分類から予想される力を大きく超えていた。
今回の付喪神にも、自然な蓄積だけでは説明しにくい妖気が残っている。
玄斎は二件の記録を並べた。
卓上の通話端末が鳴る。
九條家からだった。
「もしもし、玄斎じゃ」
『先ほど、琥珀ちゃんが気配が消えたと言いました。山で起きていたことは、終わったのですか?』
「捜索しておった付喪神は討伐された。新たな人的被害もないと報告が来ておる」
受話器の向こうで、母が息を吐いた。
『そうですか……。周辺の警戒は、まだ続くのですね』
「うむ。ほかに異変がないか、連盟が確認を続けておる。二人は家におるな?」
『ええ。一緒にいます』
「今夜は、そのまま過ごしてくれ。変わったことがあれば知らせる」
『藍子たちにも、討伐されたことは伝えます』
「頼む。詳しい話は、明日わしからしよう」
『何か分かったのですか』
「相手の力が強すぎた理由を調べておる。先日の怪異との関連も含めてな」
母はしばらく黙っていた。
『それを聞けば、藍子も、自分に何ができるか考えると思います』
「じゃろうな。じゃが、今回の討伐にあやつらを呼ばなかった理由も話す。
力があるからといって、準備もなく戦わせるわけにはいかん」
『……お願いします』
通話が終わった。
玄斎は画面へ目を戻す。
生まれた場所も、元となったものも異なる二体。
それぞれの記録に残された、分類に見合わぬ妖気の反応。
玄斎は二件の資料をまとめ、解析班へ照合を依頼した。




