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【過剰供給】という言葉を誰が最初に使ったのかは、もう六人とも覚えていない。
ただ、それはたしかに供給ではなかった。
器に収まりきらないほどの魔力を一方的に流し込まれるものだった。
フラグメントでは時折それが行われた。
処理落ちした者の恐怖。
壊れかけた者の視界。
失敗した者が見た最後の光景。
そういう絶望を過剰な魔力と共にそのまま対象者へ流し込む。
理由は教育、効率の向上、再発防止。
言い方はいくらでもあった。
実際には、境界を曖昧にするためだと六人はすぐに知ることになる。
自分の痛みと他人の痛みの区別がつかなくなれば、拒否する理由がなくなる。
自分の恐怖だけでなく、他人の恐怖まで先回りして感じるようになれば、従う速度は上がる。
そういうやり方だった。
その日、六人は細い部屋に一列で立たされた。
前には椅子が一つ。
そこに、すでに一人座らされていた。自分より階級が上
か下かも分からない。
顔色が悪く焦点が合っていない。半分壊れていた。
監督役が六人の状況を見て伝える
「見るな」
見るなと言われると逆に見てしまう。
ノエルはその悪魔の手を見た。
指先が震えていた。
爪の隙間に黒い汚れが入り、手首には何かに擦れた赤い跡がある。
それだけで、胸が嫌に苦しくなった。
ゼロは視線を落とした。
見たいわけではない。
でも、見たら記憶してしまう。記憶したら後で全部思い出してしまう。それが分かっていた。
アルマは最初から見ないようにした。
見ないことでしか、自分の精神的負担の量を減らせない。
「今回は初回だから、軽い方だ」
監督役がそう言った時、イグニスは内心、笑いそうになった。
軽い方、という言葉ほど嫌なものはない。
大抵その場合、内容は十分重いはずだから。
そして次の瞬間、空気が変わった。
部屋の奥に立っていた魔王が者が何かを詠唱したのだろう。視界が一瞬だけブレた。
音はしない。
ただ、頭の奥に冷たい針みたいなものが入ってくる。
ノエルが最初に息を詰めた。
何かが来る。
そう理解した時にはもう遅かった。
視界が、自分のものではなくなる。
暗い通路、濡れた床、足がもつれる感覚。
追いつかれる、と思った瞬間の喉の締まり。
背中に来る熱と振り返れない怖さ。
許してください、と言いたいのに、声が出ない絶望。
全部が一気に流れ込んできた。
ノエルは膝をつきそうになった。
自分が走っていないのに息が苦しい。
自分の背中ではないのに熱い。
泣きそうなのに、誰の涙か分からない。
イグニスは奥歯を噛んだ。ただただ、吐き気がした。
怖いというより、何かと混ざるのが嫌だった。
他人の最後の一歩が、まるで自分の失敗みたいに滑り込んでくる。
プリシラは心を殺した。
全部まともに受けると駄目だと分かる。
だから、流れ込んでくるものの表面だけを撫でるようにして、自分の中心まで落とさないようにする。
それでも心も身体も寒いのは変わらなかった。
ゾーイは必死に言葉を並べた。
これは自分じゃない。
これは別の者の恐怖。
これは今の話じゃない。
ただ、床の冷たさは現実。
けれどこの視界は違う。
切れ。分けろ。混ぜるな。
ゼロは頭が割れそうな痛みの中で、横に並ぶ五人の状況を見ていた。
ノエルの呼吸は浅い。
イグニスはほぼ呼吸を止めている。
プリシラは自身の存在を消し始めてる。
ゾーイは立っているのがやっと。
アルマはほとんど動かなかった
動かなかった。というより、そこだけ妙に冷えていた。
流れ込んできた他人の恐怖に対して、アルマの中で何かが逆に閉じたのだ。
怖い。でも、その怖さに飲まれたら駄目だと、身体が先に判断した。受けるより前に自分で切る。
そうしないと、自分の輪郭まで持っていかれる。
魔王による魔力の過剰供給は長くなかった。
おそらく数秒。長く見ても一分はなかった。
けれど終わった瞬間、六人は全員自分の足で立っていることに少し驚いた。
監督役は淡々としていた。
「今、流された事を自身が繰り返さないために覚えろ」
それだけ言う。
ノエルは思った。 違う、覚えろじゃない。離れない。
今のは覚えるものではなく、離れてくれないものだ。
ゼロは自分の横に並ぶ五人を見た。
ノエルが吐きそうな顔で息をしている。
イグニスは肩が硬い。
プリシラの周りだけ空気が薄く感じる
ゾーイは表情が死んでいる。
アルマはいつも以上に静かだった。
その静けさが妙に怖くて、ゼロは小さく言った。
「アルマ」
アルマは返事をしない。
ただ数秒遅れて、低い声で「平気」と言った。
とても平気だと感じる声ではなかった。
でも、それ以上聞く空気じゃないことも、ゼロは理解していた。
部屋を出たあと、誰もすぐには喋らなかった。
最初に聞いた言葉はイグニスの「最悪」だった。
短く、掠れていて、本気のやつだった。
ゾーイが壁際で言う。
「混ぜちゃダメ。」
ノエルがぼんやり聞き返す。
「え」
「今のやつ混ぜないようにして。自分のと他人のときちんと分けて。」
ゾーイの声は平坦だった。
でも必死だった。
「じゃないと残る」
その通りだった。
プリシラが小さく頷く。
「残る」
ノエルは自分の腕を抱いた。
たしかにもう残っていた。
自分の記憶ではないのに、自分の中にある。
自分が怖かったみたいに、身体だけが覚えている。
アルマがその時、初めてまともに口を開いた。
「切れ」
五人がそちらを見る。
アルマは壁にもたれたまま、低く繰り返す。
「あれが入ってきた瞬間に切れ。奥まで入れるな」
その言い方が、あまりにも自然だった。
まるで、もうそうやって生きるしかないことを知っているみたいだった。
ゼロはその時、アルマの中で何かが一段固まったのを感じた。
ノエルは自分がそのやり方をできないことに少し泣きたくなった。
イグニスは無性に腹が立った。
ゾーイは“切る”という単語を自分のやり方に置き換えた。
プリシラは存在をもっと薄くする方法を覚えようと思った。
その日が、六人がそれぞれ違う生き残り方を覚え始めた日だった。
魔力の過剰供給を初めて受けた日。
自分と他人の痛みが混ざる場所で、六人は逆に自分はどう壊れずに残るかをそれぞれが覚え始めた。




