世界遺産「醍醐寺」山上「上醍醐」伽藍
↑タイトルが、漢字だけになってしまいましたw
豊臣秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺ですが、その歴史はもっと昔にさかのぼります(※1)。
弘法大師空海の孫弟子にあたる人が、山の中でとてもおいしい(醍醐味)水の湧く井戸を発見(大明神に教えてもらう)。
前回の記事で、この山の上に登るのがどんだけキツかったか書きました。
標高450mほぼほぼ階段上りっぱなし(日本で一番高いビル「麻布台ヒルズ森JPタワー」325m。2番目の「あべのハルカス」300mを階段で登ることを想像してみてください)。
そんな険しい山の上に、この湧き水があります。
そして、この井戸の周辺からさらに山頂にかけて、准胝観音・如意輪観音を祀るお堂ができ、醍醐天皇の御願時として薬師堂も建設されました。
もちろん人力で建てたわけですが、あの急斜面を人が行き来して立派なお堂を建てるとは……。
下醍醐には「醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の天暦5年(951)に完成した」五重塔があります(内部壁画ともに国宝)。
京都府下最古の木造建造物です。
京都に行けば、日本史の各時代の古いものが見られるとお思いの方も多いと思いますが、都であったということは戦乱や失火で失われやすかったということでもあり、平安時代までさかのぼるものは、京都といえども多くはありません。
上醍醐の伽藍も残念ながら創建時までさかのぼるものはありませんが、薬師堂は1121年で平安時代末期、清瀧宮拝殿は1434年で室町時代のものでそれぞれ国宝です。
前回書きましたように、山道の途中で休憩しているときにお話しした大阪の建設業にお勤めの壮年の男性は、国宝建築を見て回るというご趣味がある人でしたが、こういう人にとっては険しい山を登ってでも外せない場所ではあります。
さて。
私と友人もゼーハー言いながら、頂上の寺務所前に到着。
道なりに進むと清瀧宮拝殿の下に出ました。
懸造の下から見上げる場所です。
そこから階段を上がって看板など写真に収めました。
あ、写真はnoteに投稿しています。
https://note.com/eagle9052/n/n1545749ee35c
この看板のあるあたりの奥に、醍醐水が湧きでる井戸があります。
蛇口で水を汲めるようになっていて、鷲生と友人もその場でいただき、500mlのペットボトルに入れて頂いて帰りました。
なんか、まろやかなお味でした!
翌朝、このお水でコーヒーを淹れましたが、こちらも柔らかい感じでしたね~。
そこから階段を上がると、清龍宮本殿があり、その奥に准胝堂の跡地がありました。
准胝堂は、wikiによれば以下のとおり。
「西国三十三所第11番札所。1968年(昭和43年)に再建された堂は落雷により2008年(平成20年)8月24日に焼失した。再建までの間は西国札所は下醍醐の観音堂(大講堂)に仮に移されており、納経も下醍醐だけで行っている。」
1968年以前の記述はありませんが、それまでに無くなってはいたんでしょう。そして2008年に落雷で焼けて、今は空き地になっています。
そこで咲いていた山桜に心惹かれて写真を撮影してきました。
そこから少し山頂の方に進んだあたりに国宝の薬師堂。
じっくり建物を見たいところですが、正面はそんなに広くなく、全体像を写真に収めらるほど後ろに下がろうとすると崖に落ちてしまいます。
ここでも山桜が風情があったので、それと一緒に写真を撮りました。
ここにあった国宝の薬師三尊像は下醍醐の霊宝館にあります(帰りに見ました!)。
代わりの薬師像が建物内にあって、窓から見られました。
そこからさらに進むと五大堂。
醍醐寺は真言密教ですから、五大明王も重要な存在ですが、そのお像は現在霊宝館にあります(大威徳明王が平安時代、不動明王踏み下げ像が鎌倉、あとは江戸時代です)。
この五大堂は1940年再建で、中に壁画がありました(撮影ははばかられましたが、醍醐寺の公式ウェブサイトで見られます)。
その奥に進むと、如意輪堂と開山堂が並ぶようにして建っています(どちらも重文)。
ここで私と友人はお昼ご飯にしました。
この友人はAI関連に転職を考えており、集英社インターナショナルから出た『AI経営講座』(※2)という本を持ってきて、鷲生にも勧めてくれました。
東大の松尾教授の有名な講義を本にまとめた内容だそうで、鷲生も読む予定です。
ただ……平安時代までさかのぼる密教寺院でAIの話ってのも、シュールな光景ですねw
開山堂は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもので、桃山時代らしい華やか&大きなお堂です。
ホント、これ造るのに人が毎日山を登りしていたのかと思うと、スゴイですね……。
また、ここで豊臣の名が出てきましたが、他にも豊臣家のバックアップで建てられたものも多く、それでなのか境内の幕などは桐の御紋が描かれています。
この開山堂のあたりが山頂で標高450m。
そのすぐ下に、白河天皇皇后賢子上醍醐陵があります。
ここまでの山道、傾斜の急さもさることながら、でこぼこに足を取られるというのもしんどい理由でした。
しかし。
この陵の周囲だけは、街中と同じように石で整えられているのです。
鷲生の口から「わあー、久しぶりに『文明的な道』を歩いている気がする!」という感想が漏れてしまいました。
wikiによればこの陵は宮内庁が管理しているとか。
いかに醍醐寺が大寺院とはいえ、一民間団体。国家官庁の宮内庁とは立場が違うんだな……と妙に印象に残りました。
さあ。ここから下山です。
いやー膝がキツイw
前回も書きましたが、ドラッグストアで売っているようなサポーターとかしておくといいかもしれません。
下醍醐もひととおり見ました。
シダレザクラはピークを過ぎていましたが、ソメイヨシノなどまだまだ咲いている桜も多かったです。
友人は醍醐寺初めてだったので、喜んでくれたようで鷲生も嬉しかったです。
下醍醐の金堂は、和歌山にあった平安時代の建築を豊臣秀吉の意向で移築したものだとか。
醍醐寺の中心でありながら、立ち寄るのをうっかり忘れていました。国宝なのに。
上醍醐と違って、下醍醐は気軽に行けますから秋の紅葉の頃に行きたいと思います。
三宝院、特に表書院は桃山時代を代表する建築。
また唐門(勅使門)は門全体は黒の漆塗り、そこに眩い金で菊と桐の紋がドーンとあります。ゴージャス!
霊宝館にも入りましたが、これまで入ったよりずっと広い!(っていうか、隣の仏像棟にしか入ったことがなかった、ような気がしますが……)。
大河ドラマ「豊臣兄弟」の影響か、「黄金に宿る祈りと秀吉の夢」展が開催されていました。
「醍醐花見短籍」(重文)は、醍醐の花見で詠まれた歌を短冊にしたもので、淀君や北政所の作もあります。
鷲生は本人が書いたと思って見ていたんですが、口頭で詠んだものを別人が筆記したものかもしれません。
今、ざっと調べてみても分かりませんでした。
この展示には、「織田信長朱印状」「豊臣秀頼朱印状」「徳川家康・宇喜多秀家・毛利輝元連署状」も出品されていました(すべて国宝)。
それぞれに、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の花押があります。
花押は本人のサインですから、この墨の跡は、まぎれもなくこれらの歴史上の人物が筆をとって書いたもの。なんか、日本史が一気に身近になった気になれます……。
……っていうか、これらのビッグメンバーの花押を自前でさらっと揃えられる醍醐寺も凄いですw
鷲生が醍醐寺の宝物で好きなのは、如意輪観音座像(重文)。
平安時代の作です。
6本の手(六臂)は異様なはずなんですが、きれいに調和がとれており、どこか艶めかしさのある仏像です。
初めて見たときは、家に飾りたいと思いましたよw
今回は、上述の五大明王像や、薬師三尊像(薬師如来坐像、日光菩薩像、月光菩薩像)もありました。
薬師三尊像は観覧スペースとちょっと距離がありました。
モノキュラーを持って行かなかったのが悔やまれます。
ただ、モノキュラーをはじめ、山登りのために極力荷物は持たずに行ったので……。
霊宝館を含む下醍醐は気軽に来れますから、その時には必ずモノキュラーを持参しようと思います。
ともあれ、鷲生の年齢では、これが上醍醐の最後のチャンスではなかったかと思います。
皆様もお若いうちに一度ご覧になるといいですよ~(ただ、前回の記事の、鷲生からの注意事項は読んでおいてくださいねw→「行く人は必読!「上醍醐」への道は険しすぎです!」https://kakuyomu.jp/works/16817330661485429107/episodes/2912051597105806217 )
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※1 醍醐寺公式ウェブサイト
https://www.daigoji.or.jp/
※2
『AI経営講座 スーパーエッセンシャル版』2025 松尾・岩澤研究室/PwCJapanグループ 集英社インターナショナル
https://www.shueisha-int.co.jp/publish/ai%e7%b5%8c%e5%96%b6%e8%ac%9b%e5%ba%a7




