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第3話 手がかり

泥と粉塵を撒き散らしながらオフロードバイクを走らせること三十分。国境近くの荒廃した町にある、防音精度の低い薄暗いセーフハウスへ滑り込んだ。


埃っぽい安ホテルの部屋に入るやいなや、鳴海は速やかに二重のドアロックを掛け、遮光カーテンを固く閉め切った。


汗と血と硝煙の臭いが染み付いたジャケットを床に脱ぎ捨て、ノートPCを立ち上げる。

一眼レフのSDカードと指向性マイクの外部メモリを接続し、ローカルの外部ストレージと暗号化されたクラウドへ、撮影データを即座に同期させた。10年のキャリアで叩き込まれた鉄則――命と引き換えに得た一次データの保全を真っ先に行う。


同期を示すプログレスバーが伸びていく間、鳴海はポケットから衛星携帯電話を取り出した。


画面には、この現場へ潜入するためのルートと政府軍の動向を教えてくれた現地コーディネーター――アハメドとのチャット画面が開かれている。


鳴海が打った「今どこにいる? 無事か?」というメッセージは「未読」のままだ。

だが、その上に、事件の直前に届いていたアハメドからのメッセージが残っていた。


『無事かマイフレンド? こっちは相変わらず平和だよ。ところで聞いてくれ、弟のバカが反乱軍の死体から迷彩服なんて剥ぎ取ってきやがってさ。「これで俺も兵士だ!」なんてはしゃいで出かけて行ったよ。まったく、見つけ出して痛い目見せてやる。お前も無事に帰ったら、約束通りとびきり冷えたビール奢れよな』


語尾に付けられたふざけた絵文字。

過酷な戦場で唯一、鳴海が軽口を叩き合えるおちゃらけた男の、いつもの呑気な文章だった。


「……くそが」


鳴海は高解像度モニタに、先ほど撮影した現場の4KRAWデータを展開した。


画面を拡大していく。コンクリートの塊によって上半身を粉砕された、二つの肉塊。

その潰れた肉片の脇に転がる、泥と血にまみれた革製の腕輪。アハメドが「露店で買い叩いた」と自慢気に見せていたハンドメイド品だ。そして倒壊した民家の瓦礫の下には、アハメドがいつも持ち歩いていた愛用のカメラバッグが潰れていた。


弟を連れ戻そうと現場へ飛び出し、巻き込まれたのだ。


無知な神が「残党」と決めつけて投げつけたコンクリートの塊。そして自身の「力」に酔い痴れるためだけに踏み潰した民家。その下で、つい先刻まで軽口を叩いていた男の命が、虫ケラのように潰されていた。


「……ハッ」


鳴海は自嘲気味に息を吐き、激しい吐き気と憤りを10年のキャリアで強引に押し殺した。

怒りに身を任せても何ひとつ始まらない。鳴海は冷徹な観察者としての思考を取り戻すため、ヘッドフォンを装着し、指向性マイクが捉えたノイズ除去後の音声データを再生した。


『……ぬおっ……マジかよ……最悪だ……。クリーニング代、いくらかかると思ってんだよ……。今月マジで小遣いピンチなのに……』

『……うわぁ、マジかよ。やっぱりすげぇや……本当に手に入っちゃったんだな、この力……』


情けなく、どこまでも生々しい日本語の響き。


鳴海は動画のコマ送り再生を開始し、無敵さんの全身を1フレームずつ凝視した。

ヨレたネイビーの安物スーツ。安っぽいプラスチック製のヒーロー仮面。


その時、鳴海の指が静止した。


「……なんだ、これは?」


男が胸元のススを払い、袖口を大きく振った数フレーム。

ネイビーの生地の袖口の内側から、チラリと覗く鮮やかなピンク色の小さな紙片。


ズームを極限までかける。

ピクセルの荒れの中で浮かび上がったのは、衣類にホチキス留めされた、見覚えのある形状――クリーニング店の受付タグだった。


(……タグを着けたまま外出している……? かなりズボラな人間だな。それ以上に、これを指摘する同居人がいない……一人暮らしか?)


鳴海は画像を補正しようとフィルターをかけたが、現地のノートPCの簡易ソフトでは画素が潰れ、店舗名や電話番号までは判別できなかった。


鳴海は椅子に深く背をもたれかけ、天井を仰いだ。


(……だが、どうやって追う?)


重い課題が押し寄せる。

正面から接触などすれば、あの巨大なコンクリートと同じように叩き潰されるだけだ。

そもそも、世界中の軍事機関や情報機関すら足取りを掴めていない存在だ。ただのフリージャーナリストが、どうやってこの男の居場所を特定するのか。手詰まりの壁が重く立ち塞がる。


鳴海はため息を吐き、世界の目撃情報や過去の事件データを参照するため、ネットの暗号化掲示板やSNSのアーカイブを開いた。


画面には「救世主降臨!」「神の天罰!」といった熱狂的な書き込みが溢れている。鳴海はその愚行に冷ややかな視線を向けながら、過去の無敵さんの出現事例と、その時のニュース速報のタイムスタンプを片っ端から突き合わせ始めた。


そこで、ひとつの奇妙な法則性に思い至る。


「……出現時間が、毎回『遅い』」


戦闘が始まった瞬間でも、惨劇が起きた直後でもない。

無敵が現れるのは、常に「大手メディアが速報を流した数時間後」、あるいは「SNSで映像が拡散された後」に限られていた。軍事的なインテリジェンス(事前情報)を持って動いている痕跡がどこにもないのだ。


「まさか……こいつは」


鳴海はノートを開き、ペンを走らせた。


【人物像の考察】


情報ソース: 特殊な情報網ではなく、一般人と同じ「テレビやネットのニュース」を見て現場へ向かっている可能性が極めて高い。


言語と生活環境: 日本語を話し、「今夜のニュース」という言葉から日本(JST圏)で生活している可能性。スーツのタグから察するにズボラな性格で、指摘する同居人がいない一人暮らしの可能性。


力のルーツ: 『本当に手に入っちゃったんだな』という発言や、自分の拳を見つめて家屋を破壊する行動から、生まれつきではなく「後天的に得た力」ではないか。


精神性: 現場の文脈や敵味方を理解せず、報道を見て駆けつけ、自分の力を試して満足する、極めて未熟で身勝手な一般人。


保留事項: 去り際の疲労感やあくび(単なるスタミナ不足か、気まぐれな飽きなのかは判別不能)。


「……ニュースを見て、正義の味方気取りで飛び出してくる……ただの一般人か」


ノートに書きつけた言葉を凝視しながら、鳴海は静かに胸の奥で冷たい炎を燃やした。


どれほど圧倒的な力を持っていようと、男の正体は世界のどこかに潜む「しがないおじさん」だ。

ならば、彼が仮面を脱ぎ、日常に埋もれている素顔の瞬間を突き止めるしかない。


だが、画面上で止まったままのピンクのタグを見つめ、鳴海は小さく首を振った。


ノートPCのスペックでは、この解像度の限界を突破する超解像アルゴリズムすらまともに回らない。指向性マイクが拾った音声の周波数解析や、仮面内部の反響音から喉の物理的な構造を割り出す作業も、セーフハウスの不安定な回線とモバイル端末では何日かかるか分からなかった。


おまけに、政府軍や反乱軍の偵察がいつこの潜伏先を割り出して踏み込んでくるかも分からない死地だ。時間的にも環境的にも、ここで指をくわえて解析を待つのは自殺行為に等しい。


(……これ以上の分析は、ここでは不可能だ)


タグの印字を復元し、声帯の特徴から個人を絞り込むには、東京・神田の事務所に組んである専用の高並列サーバーと高精度解析システムが絶対に不可欠だった。


「神の仮面を剥いでやる」


決断は早かった。鳴海はノートを閉じると、大容量の暗号化一次データを神田の自作サーバーへ自動転送するバッチ処理を起動した。そして画面を切り替え、隣国の闇ブローカーへ極秘帰国用のルート手配メールを速やかに打ち込む。


ノートPCを閉じ、機材を衝撃吸収用ハードケースへ手際よくパッキングしていく。

最後にアハメドとのチャット画面をそっと閉じ、液晶の電源を落とした。


ターゲットは日本。

無知な神をただの男として引きずり下ろすための追跡劇が、いよいよ本格化する。

お読みいただきありがとうございました!


ここから本格的に謎の解明と作品の全体像がハッキリとしてくると思うので楽しみにしていてください。

毎回のことですが、「続きが気になる」「面白い」と感じていただけましたら、ブクマ登録や評価ポイントで応援していただけるとすごく嬉しいです。


それでは、また次話でお会いしましょう。

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