第2話 無責任な正義
交差点に充満していた爆炎と黒煙が、静かに風に流されていく。
反乱軍の装甲車群は、頭上から叩きつけられたT-72戦車の質量によって平たく潰れ、激しい黒煙と油の匂いを撒き散らしていた。圧倒的な暴力の前に戦意を喪失した反乱軍の兵士たちは、悲鳴を上げながら瓦礫の街へ散り散りに逃走していく。
だが、安物スーツにプラスチック仮面をつけた男――「無敵さん」の破壊行動は、そこでは終わらなかった。
鳴海は廃ビルの陰から身を潜めたまま、一眼レフの超望遠レンズと超指向性マイクのピントを男へ固定し続けていた。
(……待て。何かおかしい)
鳴海の脳裏に、数十分前の潜入時の記憶が鮮明に蘇っていた。
この交差点周辺の、かろうじて原形を留めている壊れかけの民家数軒。そこには、政府軍と反乱軍の無差別な掃討から身を守るため、すでに転がっていた反乱軍兵士の死体から、血で汚れた迷彩服をなりふり構わずはぎ取って身に纏い、息を殺して潜伏していた逃げ遅れた現地民の家族たちがいた。鳴海は自らの観察眼で、彼らが武器を持たないただの非戦闘員であることを事前に確認していたのだ。
だが、無敵さんの視線が、その民家から這い出てきた二人の人物に向けられた。
死体からはぎ取ったブカブカの迷彩服を着たその二人は、戦車が投げ飛ばされた爆風で家屋の天井が崩落し、パニック状態で脱出しようとしていた。彼らは武器など持っておらず、ただ生きて逃げ延びようとしていただけだった。
『……んあ? まだ残党がいるな』
仮面の奥から、微かな日本語の呟きが漏れた。
次の瞬間、男は足元に転がっていた数トンのコンクリート破片を、まるでドッジボールでも投げるかのような軽快なモーションで投げつけた。
ガッ、ブシャッッ!!!!
目にも留まらぬ速度で放たれたコンクリートの塊が、這い出してきた二人の上半身を直接押し潰した。
破砕音と同時に、爆竹が弾けたような湿った音が響く。頭蓋と肋骨が一瞬で粉砕され、圧縮された内臓と体液が肉片となって周囲の瓦礫へ勢いよく飛び散った。悲鳴を上げる猶予すら与えられない即死。石畳の上に残されたのは、腰から下だけを無残に残した、肉と骨の粘稠な潰れ残しだけだった。
(な……っ!)
鳴海はファインダーを覗く右目を引きつらせた。
男は「反乱軍の服を着ている」という一点だけで、彼らを無条件に「悪党の残党」と判断し、確認も躊躇もなく処理したのだ。殺されたのが、生き残るために必死だったただの現地民だとも知らずに。
さらに恐ろしい光景が続いた。
男は己の拳を握り締め、じっと見つめると、自身の「力」の感触を確かめるように、周囲に残っていた数軒の民家へと歩み寄った。そこに誰が潜んでいるのか、中を確認する素振りすら一切見せない。
男は、子供が積み木を蹴飛ばすような軽い足取りで、まだ形を保っていた民家の耐震壁へと豪快に蹴りを叩き込んだ。
ドォンッ!!
爆発音と共に民家の一階部分が吹き飛び、建物全体が内部の生存者ごと崩落していく。瓦礫の下から、押し潰された人間の短い絶叫が聞こえたが、男の耳には届いていなかった。
男は倒壊していく家屋を見上げ、仮面の奥で感嘆するように漏らした。
『……うわぁ、マジかよ。やっぱりすげぇや……本当に手に入っちゃったんだな、この力……』
無邪気で、まるで懸賞にでも当選したかのような軽い口調。己が振るっている超常の力に対する万能感に浸るためだけの、あまりにも軽率な破壊行為。
(……やめろ……! そこには……!)
鳴海の背中に、凍りつくような冷や汗が吹き出していた。
10年間の戦場取材で、数多くの惨劇を見てきた。だが、これほど不快で歪な光景は見たことがなかった。
この男は、正義の味方を気取りながら、その実、何ひとつ現場の状況を理解していない。
誰が味方で、誰が敵で、誰が守るべき民間人なのかすら判別せず、ただ「目についた反乱軍っぽい服」を叩き潰し、「授かった力の凄さ」を自分で確かめるために生存者が潜む家を踏み潰している。
それは悪意ですらない。蟻の巣を踏み荒らす幼子と同じ、完璧な「無知」による連続殺戮だった。
民家を三軒ほど瓦礫の山に変えたところで、男の動作がふと止まった。
『……ふあぁぁぁあ……あー……めんど』
男は、仮面の上から露骨に頭をぽりぽりと掻いた。
直後、大きく肩が落ちる。つい先刻まで数十トンの戦車を投げつけていた身体から、潮が引くように重苦しい疲労感が滲み出ていた。男は背中を少し丸め、どこか痛む腰でも庇うように首をゆっくりと回す。
『……だる。急激に腹減ってきた……。早く帰らねぇと……今夜のニュース始まっちゃうな……』
どこか億劫で、急激にスタミナが切れたような重たい足取り。
男は膝を軽く曲げると、身体全体をバネのように溜めた。
ドンッ!!
衝撃波が吹き荒れ、砕け散った家屋の粉塵が空へ舞い上がった。
鳴海がレンズで追った時には、すでに男の姿は上空の雲を突き破り、東の空へと飛び去っていた。
……あとに残されたのは、吹き荒れる風の音だけだった。
煙が静かに流れていく。
炎上する装甲車のパチパチという爆破音。
砕け散ったコンクリートと、そこにこびりついた赤黒い肉塊。
「…………」
鳴海は崩れかけた壁に背を預けたまま、動くことができなかった。
一眼レフを握る手の指先が、微かに震えている。
助かったという安堵感も、ジャーナリストとしての功名心も湧いてこない。ただ、圧倒的な虚無感と、胃の底から吐き気が競り上がってくるような眩暈だけが視界を支配していた。
あの男は何だったのか。
圧倒的な暴力。一瞬で粉砕された人間。無邪気な感嘆。そして、去り際のあまりにも惨めな疲労感。
鳴海は開いた口が塞がらないまま、荒れ果てた惨状をただ呆然と見つめていた。
カメラの液晶画面には、無知な神が撒き散らした地獄の記録だけが、虚しく鮮明に光り続けていた。
液晶を指でスライドさせるたび、潰された上半身から飛び散った肉片、砕けたコンクリートの隙間に覗く血濡れた服、そして――その惨劇を背に、腹を空かせて首を回すおじさんの姿が交互に映し出される。
「……ふざけやがって」
最初はかすかな震えだった。だが、胸の奥底から競り上がってきたのは、圧倒的な武力への恐怖でも、命拾いした安堵でもない。ドロドロとした暗い怒りだった。
10年間、戦場で無数の死を見てきた。理不尽な砲撃も、冷酷な処刑も、狂信的な自爆テロも目撃してきた。それらはすべて、どれほど愚かであろうと「意図」と「理由」が存在する人間の業だった。
だが、目の前のこれは違う。
正義の味方を気取りながら、右も左も分からないまま、お気楽に「悪党退治」と「力試し」を楽しんだ結果生み出された、完璧な無価値の死だ。
何も知らず、知ろうともせず、ただ「与えられた力」に酔い痴れて命を踏み潰した。あの日本のどこかに住んでいるであろう、痛いおじさんが。
「……ハッ」
鳴海は自嘲気味に息を吐き出すと、熱くなった頭を10年のキャリアで叩き伏せ、冷徹な思考を取り戻した。
二次被害の危険がある。男の衝撃波で崩れた建物や、爆発した装甲車の煙を見つけて、反乱軍の別動隊や政府軍の偵察が近づいてくるのは時間の問題だった。
鳴海は一眼レフの電源を落とすと、素早く防護ケースに収め、バックパックにパッキングした。崩れかけた廃ビルから身を低くして脱出し、瓦礫の裏を縫うようにして、路地に隠しておいた泥だらけの小型オフロードバイクへと向かう。
エンジンを一発で始動させると、焦げた肉と硝煙の臭いが満ちる死地をあとにした。
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それでは、また次話でお会いしましょう。




