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第一話 石投げ水車村の相続争い3

 西門を抜けると、街道はすぐに春先の土の匂いに変わった。

 王都近郊は麦畑と小さな果樹園が広がり、そのあいだを荷馬車道が縫っている。昨夜の雨が乾ききっておらず、轍に空が薄く映っていた。


 エレノアは外套の裾を持ち上げながら歩く。


「あなたは」


「なんだ」


「護衛兼、荒事担当とのことでしたけれど。調停士付きの代闘士は、元は法務局付きの者ですか?」


「違う」


「ではどこから?」


「雇われだ」


「それは分かります」


「分かってるなら聞くな」


「分からないから聞いているんです」


 カイルはしばらく黙っていた。答える気がないのかと思った頃、やっと口を開く。


「前は、もっと金にならない揉め事の仲裁をしてた」


「傭兵組合の喧嘩仲裁とかですか」


「そんな上等なもんじゃない。賭場、荷運び場、裏路地、安宿。剣抜かせる前に机ひっくり返して終わらせる仕事だ」


「……それは、たしかに荒事担当ですね」


「役に立つぞ。人間、金と身内と意地が絡んだ時の顔は、身分が違ってもだいたい同じだ」


 その言い方に、妙な実感があった。


「……あなたは、争いを止める仕事が好きですか」


 気づけば、そんなことを口にしていた。

 カイルは一瞬だけ怪訝そうな顔をした。


「好き嫌いでやるもんかよ」


「そうかもしれませんけれど」


「止まる争いなら安い。止まらない争いは高くつく。それだけだ」


 あまりにも彼らしい答えで、エレノアは小さく口を閉じる。


 好きではない。正しいとも言わない。ただ、損得の言葉に置き換えているだけだ。

 なのにその言い方の奥に、妙に冷えたものがある。

 まるで、止まらなかった争いが何を残すかを、よく知っているような。


     *


 しばらく歩くと、道の先から、騒がしい声が風に乗って届いてきた。

 怒鳴り声。女の悲鳴。何か硬いものが木に当たる音。


 カイルが先に足を止める。


「着いたな」


 街道脇の緩い坂を下ると、川沿いに小さな村が開けた。

 中央には大きな水車小屋があり、回るはずの輪は止まっている。その前で、二十人ほどの村人が二手に分かれ、互いに怒鳴り合っていた。


「盗人娘に継がせるかよ!」


「十年も世話してきたのはあの子だろうが!」


「血も繋がらねえ女だぞ!」


「だったら死ぬまで来もしなかった甥が何しに来たんだい!」


 その瞬間、誰かが石を投げた。


 石は水車小屋の板壁に当たり、乾いた音を立てる。すると今度は反対側からも石が飛ぶ。

 あっという間に罵声が悲鳴へ変わり、老人が庇い、子どもが泣き出し、村の空気が一気に尖った。


「……本当に石を投げるんですね」


「村名に偽りなしだな」


「感心している場合ではありません」


 エレノアは書類束を抱え直し、一歩前へ出た。

 その瞬間、胸元の銀の徽章が揺れる。


 村人の何人かが、それに目を止めた。

 王都ほどではない。だが、その一瞬のためらいはあった。


 賢王の新制度。調停士。

 決闘の前に話を止めに来る役人。

 名だけは、この村にも届いているのだろう。


 エレノアは胸の前で短く指を組み、誰にも聞こえない声量で祈る。


 神よ。

 奇跡ではなく、見落とさぬ目を。


 そうして顔を上げる。


「王都法務局より派遣された調停士、エレノア・ヴェイスです! 皆さん、全員石を下ろしてください!」


 誰もすぐには従わない。


 石はもう一つ飛んだ。今度は、エレノアめがけて。

 だが届く前に、横から伸びた手がそれを掴んだ。

 鈍い音とともに、カイルの指の中で石が止まる。


「挨拶にしちゃ固えな」


 無愛想に呟くと、彼はその石を足元へ捨てた。

 視線だけで前方の男たちをなぎ払う。威嚇ではない。計算だ。この場の誰が次に投げるか、誰が先に殴りかかるか、すでに見切っている目だった。


 エレノアは一つ息を吸う。

 さて、と胸の内で呟く。


 口は悪いが護衛兼、荒事担当はしっかり自分の仕事をやり終えた。

 ここからは私の仕事だ。


     *


「今、石を投げた方」


 エレノアはできるだけ通る声で言った。怒鳴り返さない。怒声は怒声を呼ぶだけだ。


「次に投げた場合、その場で調停の対象を相続争いだけでなく、暴行と公務妨害にまで広げます。そうなれば、どなたにとっても面倒です」


 村人たちのざわめきが、一瞬だけ鈍る。

 法務局の看板は、地方ではまだ半信半疑で見られている。けれど「面倒が増える」という言い回しなら、身分を問わず効きやすい。


「まず、相続を主張されているお二人。前へ」


 前に出てきたのは、三十前後の男と、エレノアと同世代ぐらいか、二十歳そこそこに見える女だった。

 男は日に焼けた顔に無精ひげ、旅装のまま駆けつけたのか、靴に街道の泥をこびりつかせている。体つきは悪くないが、怒りをこじらせて膨らませたような肩をしていた。


 女のほうは、麻布の作業着の上から古い上着を羽織っている。髪は後ろで雑に束ねてあり、袖口には粉と油の跡がついていた。

 泣いてはいない。だが、泣く暇もないままここまで来たような顔だった。


「お名前を」


 エレノアが言うと、男が先に口を開いた。


「ガレスだ。故ベルンの甥にあたる」


 女は一拍遅れて、硬い声で言った。


「ミラ……です。ベルン親方の養女でした」


 でした、という過去形が耳に引っかかった。

 親方が亡くなった瞬間から、自分にはその資格がなくなったとでも言いたいような言い方だった。


 こういう言い方を、エレノアは何度か聞いたことがある。施療院で、商家で、洗濯場で。

 誰かが死んだ瞬間、自分の立場まで一緒に消えた気がしてしまう者の声だ。

 泣くより先に、居場所を失う不安が口へ出る。


「承知しました。では、ガレスさん。あなたは何を根拠に相続権を主張していますか」


「血だよ」


 間髪入れず返ってくる。


「俺は姉の息子だ。親方――伯父貴には子がいねえ。なら血筋の俺が継ぐのが筋だろうが」


「最後にこの村へ来られたのは、いつですか」


「……去年の冬だ」


「親方の看取りは」


「間に合わなかった」


「水車小屋の維持費、畑の租税、粉挽きの取引先との契約更新について、どの程度ご存じですか」


 ガレスの眉間に皺が寄る。


「そんなもん、継いでから覚えりゃいいだろ」


 その瞬間、村人たちの片側から小さな怒号が上がった。

 おそらくミラ側だ。


「静かに」


 エレノアが制すると、すぐ横でカイルがわざとらしくどすりと音を立てて地面を踏み抜いた。視線が一斉にそちらへ向く。

 あの男は本当に、口より先に空気の向きを変えることを知っている。

 エレノアはミラへ向き直る。


「あなたは」


「十歳の時からここにいます。親方に拾われて……その、最初は住み込みで働くだけでしたけど、五年くらい前から帳場も手伝うようになって、粉の帳面も、挽き賃の記録も、畑の租税も、だいたいは私が」


「水車の修繕は」


「去年、軸を替えました。春先に羽根板も二枚」


「費用の記録は残っていますか」


「はい。小屋の中に」


 エレノアは頷いた。


 ミラは答えるたび、言葉尻に「余計なことを言っていないか」を確かめるような間がある。虚偽というより、怯えの癖だ。対してガレスは、嘘をつく気は薄いが、自分に都合の悪いことを重要だと思っていない顔をしている。


 そこに割り込むように、丸顔の老人が前へ出た。腹の出た体を、やたらと立派な上着で包んでいる。村役人か村長職の類だろう。


「調停士殿、わしがこの村の記録係、オルドです」


 愛想よく頭を下げてくる。

 だが笑顔が少し早い。自分が話を主導できる場面だと思っている者の笑い方だ。


「こういったことは、村の慣習もございますでな。養い子に情が移るのは分かりますが、やはり土地も水車も、血のある者へ返すのが穏当かと」


「その慣習は文書化されていますか」


 エレノアが即座に返すと、オルドはわずかに言葉を詰まらせた。


「文書、と申しますと、いやその、村では長らくそうしてきた、と」


「長らくそうしてきたことが、常に妥当とは限りません。まして今回は、水車小屋そのものが生業の場です。生活の実態を見ずに血縁だけで判断するつもりはありません」


 老人の笑みが少しだけ薄くなった。

 その横で、カイルが何でもない顔で呟く。


「嫌われる言い方だな」


「好かれに来たわけではありません」


「それは知ってる」


 知っていてなお言うのだから性質が悪い。でもまあ確かにカイルの言うことももっともで、もう少し穏便に進めるべきだったかと心の中で反省する。


「では、まず水車小屋を見ます。それと、村の戸籍台帳、租税帳簿、後見登録、養子縁組ないし養育者届の控えがあれば全て。オルドさん、ご案内の程をよろしくお願いします」


「い、いやあ、その、台帳は今ちょっと立て込んでおりましてな」


「相続争いの最中にですか?」


「春先は色々と忙しいので」


「なるほど。では最優先で見せてください。忙しいからこそ、後回しにはできません」


 エレノアはにっこりとしてみせた。

 ただし要望はしっかりと言い切る。視線を合わせて堂々と伝えれば、断り文句はたいてい行き場を失う。


 オルドは露骨に困った顔をした。

 その小さな変化を見て、エレノアの胸の内で、ひとつ仮説が輪郭を持ちはじめる。


 やはり、何かを止めた人間がいるな。


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