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第一話 石投げ水車村の相続争い2

「……すみません、お待たせしました。新任のエレノア・ヴェイスです」


 息を整えながら扉前で頭を下げる。

 その拍子に、胸元の銀のブローチが朝の光を弾いた。

 まだ王都でも新しいその意匠を、扉脇にもたれていた男が一瞥する。面倒そうな視線だったが、少なくとも「得体のしれない小娘」としては見ていない目だった。


 背の高い男だった。体格は大きすぎないが、無駄なく詰まっている。安物の外套、磨いてあるのかないのかよく分からない長靴、腰には細身の片手剣。左腰の後ろには、普通の短剣より少し幅広で、刃の途中に不自然な溝を刻んだ短剣が差してある。

 武器に詳しいわけではないエレノアにも、それがどこか変わった得物だとは分かった。


 何より、その男の立ち方が、街で見かける用心棒とも傭兵とも違っていた。

 無駄に威嚇しない。だが、いつでも動けるようにだけはなっている。気だるそうな雰囲気なのに何故だか姿勢が良い?


「護衛兼、荒事担当だ。カイルって呼べばいい」


 ぶっきらぼうな声だった。


「……エレノア・ヴェイスです。本日より、こちらで地方案件を担当します。よろしくお願いします」


「その顔」


「はい?」


「寝不足だろ」


 出し抜けに言われ、エレノアは思わず目を瞬かせた。


「分かりますか」


「鏡は嫌いか?」


 なんか感じが悪い。

 一言で済むのに、なぜこうも棘を混ぜるのか。

 だが、エレノアも任命二十三日目にして学んでいた。こういう手合いにいちいち眉をひそめていては、こちらが先に消耗する。


「鏡は嫌っていません。ただ、今朝は見る時間がありませんでした」


「見なくて正解だ。ひでえ顔だ」


「……あなた、本当に初対面の相手によくそういうことが言えますね」


「初対面なら取り繕う価値があると思うか?」平然と言う。


 エレノアは小さく息を吐いた。祈りの前の呼吸に似た、短い整え方だった。

 神よ。この無礼な男にも祝福を。


「それで、今回の案件は何なんだ?」


「村の相続争いです」


 カイルが詰所の壁にもたれていた体を起こす。エレノアは腕の書類束から一番上の綴りを捲って渡した。


「王都西方、石投げ水車村。先日、村の粉挽き職人が亡くなりました。実子なし。甥と養女が水車小屋と畑の相続を巡って揉めています。すでに石の投げ合いが始まっているとのことです。このままだと村単位で決闘裁判の立会い沙汰になるかもしれません」


「石投げ水車村……?」カイルが怪訝な顔をする。


「はい」


「それは、あんたなりの冗談か?」


「いえ、報告書にも書いてあります。『投石騒ぎ常習のため村名に偽りなし』」


 エレノアは思わず綴りを開いてカイルに記載個所を示してやる。

 たしかに末尾の余白に、小役人の走り書きでそうあるのだ。

 誰がこんな余計なことを記すのか。しかも少しだけおもしろいのが腹立たしい。


「とにかく」とエレノアは咳払いした。


「現地でまず当事者双方の聞き取り、それから村役人の台帳確認、納税記録、水車の補修費負担の確認、養女の身分登録の履歴――」


「朝飯は」


「はい?」


「食ったかって聞いてる」


 話の流れというものを、この男はまるで尊重しない。


「……まだです」


「だろうな」


 カイルは詰所の窓辺に置かれていた紙包みを放った。危うく落としそうになりながら受け取ると、まだ温かい。市場の平パンと、塩気の強い干し肉が挟んである。


「毒は入ってませんよね」


「入ってたら俺も困る」


「あなたが困るんですか」


「護衛対象が仕事前に倒れたら面倒だ」


 言い方はひどいが、朝食を用意していたのは事実らしい。感じが悪いのか気が利くのか。

 エレノアは礼を言いかけて、やめた。言えばこの男はたぶん、余計なことを返す。


「移動しながら食べます」


「口の中のもん飲み込んでから喋れよ、調停士殿」


 調停士殿。

 棘のある口ぶりなのに、その呼び方だけは妙に形が整っていた。


「あなたも敬称を使えるんですね」


「使えるのと使いたいのは別だけどな」


 そんなやりとりをしながら詰所を出る。

 朝の王都は明るく、活気に満ちていた。荷馬車の車輪が鳴り、教会の鐘が遠くで鳴り、洗濯女たちが噂話に興じている。

 そのあいだを進むと、何人かの視線がエレノアの胸元へ落ちた。


 銀のブローチを見る。

 王冠の下の天秤を見る。

 それから、少しだけ道を空ける。


 年嵩の野菜売りが籠を引き寄せながら、「調停士さま」と小さく会釈した。子どもを連れた女が、喧嘩しかけていた二人の男のあいだを肘で割って退かせる。

 調停士の印を見るその動きに、まだ戸惑いは混じっている。だが無視ではない。

 賢王の新制度は、少なくとも王都では、顔も知らぬ人々の足を半歩ぶんだけ止める力を持ちはじめていた。


 エレノアは歩きながら、平パンを一口齧った。思ったよりずっとおいしい。悔しいことに。


「その飾り、よく効くな」


 カイルが言う。


 エレノアは口の中のものを飲み込んでから答えた。


「飾りではありません。徽章です」


「札みたいなもんだろ」


「違います。調停士が、王命のもとで事実確認を行う者だと示す印です」


「言い方を綺麗にしただけじゃないか」


「綺麗にすることにも意味はあります。人は、最初に信じるものの形で、話を聞くかどうかを決めるので」


 カイルは横目を寄越した。


「へえ」


 その声が、感心なのか皮肉なのかは分からない。


「石投げ水車村の争点は、単純な血縁相続だけでは済まないかもしれません」


 エレノアがパンを飲み込んでから言うと、カイルがまた短く相槌を打つ。


「ほう」


「亡くなった職人に実子はいません。ただ、養女は十年以上同居していた。実際、工房も水車も支えていたはずです。そういう家で、後継の届けだけが妙に遅れているのは、少し気になります」


「ずいぶん見えてるな。まだ会ってもいない相手のことが」


「見えているわけではありません」


 エレノアは少しだけ唇を引き結んだ。


「子どもの頃、市場で帳場の手伝いをしていたんです。父の本職は役所まわりの記録仕事でしたが、母はじっとしていられない人で、教会の施療院を手伝う合間にも、顔なじみの店をよく手伝っていました」


 エレノアが帳場に座っていたのも、そういう流れの延長だ。

 人が困る時は、たいてい金と家と病のどれかが絡む――子どもの頃に覚えたのは、ずいぶん夢のない世の仕組みだった。


 カイルは横目だけ寄越した。


「それに、調停士になる前は法務局で古い記録の写しや文書整理もしていました。相続や後継の届けを読んでいると、出すべき書類だけが妙に遅れている案件があります。そういう時は、手続きを面倒がったか、誰かにとって遅れたほうが都合がよかったか、そのどちらかです」


「村役人か」


「その可能性はあります。あるいは血縁側から何かしら圧力があったか。ですから、職人が亡くなった時期と、納税帳簿や身分登録の更新日をまず照らしたいんです」


「まだ会ってもいない相手の嘘を、よくそこまで先回りして考えられるな」


「嘘を前提にしているわけではありません」


「してる顔だぞ」


「事実確認を前提にしています」


「同じようなもんだ」


 失礼な男だ、とまた思う。

 だが不思議と、嫌悪だけではなかった。彼は彼なりに、物事の芯を見ている。口が悪いだけで。


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