第五話「灰を這う令嬢」9
案内された先は、小さな控え室だった。
礼拝堂の祭器室を無理やり改装したような空間で、壁は白く塗られているが、湿気で剥げている。背もたれ付きの長椅子が二つ。小机が一つ。
燭台の火は少なく、影のほうが多い。棚には水差し、白布、薬瓶、火の落ちた香炉。
豪奢ではない。けれど急ごしらえの避難所というほど粗末でもない。使う者の身分に合わせて最低限以上は整えられた、地下の客間。そんな印象だった。
その長椅子に、セラフィナ・アシュベルがいた。
さっきまで石床を這っていた女だと、すぐには同一人物に見えなかった。
もちろん、傷の印象は同じだ。
火に舐められた頬。顎の下から首筋へ残る、まだらな引きつれ。黒布の下から覗く、うまく伸びきらない腕。
けれど、距離が変わると、見えるものも変わる。
セラフィナは椅子には深く腰かけていなかった。
背を預けるでも、崩れ落ちるでもなく、長椅子の端へ浅く身を置き、辛うじて座っている形を保っている。
侍女が背へ手を差し伸べれば、視線だけで静かに制した。
助けを拒むというより、助けを前提にした姿勢へ自分を置かない、その頑固さが先に見えた。
黒布は少し外されている。
だから、石床では見えなかった細部まで分かった。
やはり年は、自分とそう変わらない。
そのはずなのに、同い年の娘にあるべき柔らかな印象が、彼女の輪郭にはほとんど残っていない。
淡い金の髪は、いまはきちんとまとめられていた。
ところどころ熱で傷んだ名残はあるものの、それでも燭火を受けると細い糸みたいに柔らかく光る。
肌は白い。
病の青白さではなく、もともと色素の薄い者の静かな白さだ。だからこそ、その上に散る火傷の痕が痛々しい。
けれど、痛々しいだけで終わらない。
白い額のかたちも、涼しい目元も、薄い唇の線も、まだそこにある。焼かれてなお消えなかった端正さが、逆に傷の残酷さを際立たせていた。
そして何より、目だった。
静かだ、とエレノアは思った。
地下法廷であれだけのことをしてきた直後なのに、その目には熱の濁りがない。
興奮でも、復讐の恍惚でもなく、冷たい水底みたいな澄み方をしている。聡明そうだ、という言葉がやっぱり真っ先に浮かぶのが、妙に腹立たしかった。
こんな場所にいるのに。血の匂いを纏っているのに。
それでもなお、この女から最初に感じるのが、理性の形をした静けさであることが。
「歓迎されている感じではありませんね」
エレノアは思ったより、声が固く出た。
セラフィナは、ほんの少しだけ目を細めた。
「そもそもご招待しておりませんもの」
掠れた声。
「ですが、ここまで見ておいて、何も聞かせずお帰しするのは、さすがに無作法でしょう?」
エレノアは思わず眉を寄せる。
「……ずいぶん落ち着いているんですね」
「そう見えまして?」
セラフィナはわずかに首を傾げた。
その仕草は優雅ですらあった。だが、直後に肩が小さく震える。呼吸が浅いのだ。
無理をしているのは明らかだった。それでも、乱れを先に見せまいとしている。
壁際にいたカイルが、まだ仮面をつけたまま沈黙している。
エレノアは先にそちらを見た。
「あなたは、一体何をしているの」
問い詰めたかった。
さっきまで石床で見たものの全部を、まずこの男にぶつけたかった。
けれど、答えたのはカイルではなかった。
「見ての通りですわ、調停士エレノア・ヴェイス殿」
セラフィナだった。
「わたくしは、法に取り零されたものを拾っておりますの」
エレノアは一瞬、言葉を失った。
それは、ずるい言い方だった。ずるいほど正しく聞こえる言い方だった。
法に取り零されたもの。
その中には、この女自身が入っている。
焼かれ、死んだことにされ、家名ごと帳面の外へ押しやられた令嬢。
表の法が拾わなかったのなら、自分で拾うしかない。そういう理屈に、聞こえてしまう。
だが、聞こえてしまうことと、認めることは別だ。
「……あれを、拾うと言うんですか」
喉が乾いている。それでも言葉は止められなかった。
「王の前で、人を仮面にして、血を見世物にして、勝った側に都合のいい意味を与えるだけの場を。これは裁きではありません。制度の形をした暴力です」
侍女が息を呑む気配がした。カイルの肩が、ごくわずかに強張る。
けれどセラフィナだけは、何も変えなかった。
「ええ」
短い肯定だった。
「暴力ですわ」
その認め方が、エレノアには意外だった。
「けれど、法の外ではありませんの」
エレノアは眉を寄せた。
「……何ですって」
「調停士殿は、昼の法をお使いになる」
淡々とした声が続く。
「帳面を照らし、証言を拾い、争点を切り分ける。人を剣の前で止めるための法ですわ。わたくしは、その法がまだ抱えきれぬものを、賢王陛下がご丁寧にもお残しくださった夜の裂け目で拾っておりますの」




