第五話「灰を這う令嬢」6
命じられるまでもなく、侍女たちが動いた。
セラフィナは壇へ身を預けたまま、ほんの一瞬だけ呼吸を乱した。ここまで這い、名を告げ、罪を言い切る。そのすべてだけで、もう限界に近いのだと分かる。
それでも彼女は、自分から崩れることだけは拒むように顎を上げた。
侍女のひとりが焼けた腕へそっと手を添え、もうひとりが反対側から身体を支える。
セラフィナはぐったりともたれかかったが、顔だけは最後まで被告席を見ていた。
一方、エルムレイ卿も壇を下りる。
先ほどまでの余裕は薄れ、唇の端だけが引きつっている。自分は剣を振るわずに済む場所へ退きながら、それでも裁きの当事者の顔だけは保とうとしている。
残された石床の中央へ、被告エルムレイ卿の背後から、先にひとりの男が進み出た。
巨躯だった。
肩幅が広く、首は太く、両腕には鎧袖の上からでも分かる筋肉の盛り上がりがある。
片手半剣を提げ、もう片腕には小盾を巻いている。盾は見せかけではない。擦れ痕があり、縁にも打ち傷が残っていた。実戦慣れした装備だ。
けれどその実戦も、騎士のそれではない、とエレノアは思う。
もっと見せ場を知っている体だ。観客の前で強さがどう見えるかを、よく知っている人間の立ち方だった。
対して、セラフィナ側にはまだ誰も現れない。
その不在が、場に別のざわめきを呼ぶ。
その時だった。セラフィナの背後の闇から、ひとりの男が進み出た。
黒衣。
仮面。
右手には細身の片手剣。
左手には、刃の途中に深い溝を刻んだ捕縛短剣。
その姿が光へ入った瞬間、観覧席の空気がまた変わった。
今度は好奇心ではない。
知っている者が息を潜める時の熱だった。
あれが来た、と。
令嬢の告発が幕開けなら、その剣こそが本番だと知っている者たちの、押し殺した昂り。
エレノアの喉が、ひどく乾いた。
見間違えるはずがない。
昼には無愛想な護衛として自分の隣に立ち、焼け跡では懐中時計を握りしめ、村では誰も殺さずに争いを止めていた男が、いまは人を殺すための静けさをまとってそこにいる。
だが同時に、違うとも思った。
背丈も、癖のない歩き方も、余計な力の入っていない肩も同じ。
なのに、昼の彼にあった、あのどこか投げやりで、面倒くさそうで、感じの悪い空気がまるでない。
かわりにあるのは、研ぎ澄まされた空白だった。
カイルはセラフィナの傍らまで進むと、そこで静かに片膝をついた。
「お嬢様」
低く、落ち着いた声だった。
セラフィナは、ほんのかすかに顎を引く。
「よしなに」
「御意」
その返答の端正さに、エレノアは一瞬、見たことがないはずの場違いな既視感を覚えた。
地下法廷でも、処刑場でも、見世物小屋でもない。
火の入った暖炉と、磨かれた床と、食後の茶器のある伯爵家の居間。そういう場所で執事が主人へ返す礼、そんな情景が頭に浮かんだ。
エルムレイ卿の顔色が変わる。
「噂は本当だったのか。アシュベルの亡霊は、まだ剣を連れていると」
カイルはすぐには答えない。
やがて、その視線が被告席のエルムレイ卿へ移る。
「私は、あの方の記憶だ」
地下の空気が、ひやりと冷えた。
記憶。
剣でもなく、騎士でもなく、家臣でもなく。その言い方だけで、エレノアには分かった。
この男はもう、自分を一人の人間として前に出していない。
セラフィナ・アシュベルに焼け残ったもの、奪われてもなお消えなかったもの、その記憶だけを形にするための器として、そこに立っている。
裁礼官が片腕を上げた。
「始めよ」




