第四話「焼け跡の紋章」2
馬車が石を踏み、大きく揺れる。
王都中心部の整った街路を離れるにつれ、景色は古く、静かになっていく。
使われなくなった門柱。蔦に巻かれた塀。窓ガラスの抜けた屋敷。春の空気は湿っているのに、この一帯だけはどこか乾いた匂いがした。
長く人が住まなかった家の匂いだ。
「旧貴族街は、あまり来ませんか」
エレノアが問うと、カイルは窓の外を見たまま答えた。
「用がなけりゃな」
「私は初めてです」
「嬉しそうには聞こえない」
「嬉しい案件ではありませんから」
言いながら、綴りの頁を繰る。
接収財産一時保管記録。
焼失家屋整理指示。
保全不要。
保全不要。
保全不要。
書き方が雑だ。
雑というより、誰かが“後から見返されるつもりで書いていない”文書の匂いがある。
「……変ですね」
「何が」
「反逆で断絶した家の処分記録にしては、あまりに粗いです。証拠を集めて潰したというより、潰すことが先に決まっていて、帳面のほうが後から追いついたように見える」
返事がない。
エレノアが顔を上げると、カイルはまだ窓の外を見ていた。
だがその横顔は、さっきより硬かった。気のせいだと思いたかったが、そうではないと分かる程度には、彼女ももうこの男を見ている。
「カイル」
「……何だ」
「具合でも悪いんですか」
「見えるか」
「少なくとも機嫌は悪そうです」
「いつもだろ」
それで終わらせる気らしい。
終わらせ方まで、いつもより少し乱暴だった。
やがて馬車が止まる。
降りた瞬間、空気の底に古い灰の匂いがいた。
何年も前に消えた火のはずなのに、石と土だけが忘れ損ねたみたいに。
現場にはすでに人だかりができていた。
再整備局の役人、書記、解体人足、それから、たまたま様子を見に来た顔をしているくせに上着も手袋も立派すぎる者たち。
誰もが瓦礫の向こうを見ている。祈りのためではなく、価値のために。
「調停士殿!」
腹の出た中年役人が、こちらに駆け寄ってきた。再整備局書記官の名札を下げている。
「お待ちしておりました、エレノア殿。いやあ、最初は単なる整理だったんですが、床下から箱が二つ出た途端にこれです。銀器だ聖具だと皆さん急に声が大きくなりまして」
「保全措置は」
「応急で。発掘品はあちらの天幕へ移しました。ですが、見つかったのが見つかった場所でしてな……」
書記官が困ったように視線を逸らす。
その先、崩れた門柱の向こうに、ひときわ黒く煤けた外壁の残骸があった。
「旧アシュベル伯爵邸です」
書記官が小さめの声で言った。
エレノアは黙って頷いた。
横で、カイルは何も言わなかった。
何も言わなかったが、その沈黙が妙に重い。
カイルは人だかりも役人も見ていない。ただ焼け跡だけを見ていた。
崩れた階段の位置、落ちた梁、半ばだけ残った外壁、玄関だったらしい空間。
初めて目にする焼け跡を眺めるというより、失くした配置を確かめるような視線だった。
と、そこで人垣の向こうから甲高い声が飛ぶ。
「その銀器はうちの縁戚家のものですわ!」
「冗談を。接収財産ならまず王庫預かりが筋だろう!」
「反逆家の遺物に、ずいぶん素早く手を伸ばしますのね」
「言葉に気をつけろ!」
上品な言い争いというのは、たいてい内容が下品だ。
「発掘品を先に見ます」
エレノアは言った。
「それから帳簿と出土位置の記録を。立会人名簿も全部ください。あと、当時の確認官の名も」
「は、はい」
「家紋照会の移管記録があれば、それも」
「か、家紋照会まで?」
「あるなら、です」
そう言って歩き出しかけた時、不意に背後の気配が止まった。
振り向く。
カイルが、焼け跡の一角を見ていた。
煤けた石壁に残る、崩れた蔦飾りの下あたりを。顔色は変わっていない。だが、口数が減るどころではない。声そのものを落としてしまった人間の静けさがあった。
「カイル」
呼ぶと、彼は半拍遅れてこちらを見る。
「行きますよ」
「ああ」
その短さが、妙に耳に残った。




