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第二話「婚約破棄と神前侮辱の訴え」6

 高等記録院にて資料を回収し、教会へ移動した後に教会記録庫の確認を告げると、当然、司祭長は露骨に嫌な顔をした。

 したが、鍵は貸してくれた。ロズミア侯爵家の名を聞いた瞬間、怒りの向きが変わったからだろう。

 神前の誓いを侮辱された怒りは、教会の人間にとって扱いやすい。だがそれが上流の遊びとして繰り返されているかもしれないとなれば、話は別になる。


 記録庫は冷えていた。高い棚、革表紙、蝋の匂い、乾いた紙の擦れる音。


 エレノアはこういう場所に入ると、むしろ呼吸が整う。

 父の指先はいつも、薄く墨と紙粉の匂いがした。

 記録は綺麗だから正しいんじゃない、あとで読む者が困らないように残すから正しいんだ――幼い頃、何度も聞かされた言葉を思い出す。

 人の記憶は嘘をつく。だが記録は、消されるまではそこにある。


 神前誓約の控え。破談の届け。持参金契約の補足書。借財証書の写し。紹介状。保証人の筆跡。


 そこへ、昼間の違和感が順に繋がっていく。


 ディンケル伯爵家は去年から複数の借財を抱えている。そのうち一つは、ロズミア侯爵家傍流名義の保証のもとに繋がれていた。婚約誓約の二日前、新たな借換え。破談の四日前、別家との縁談に関する紹介状。筆跡は、夜会で見た帳面係のものと一致した。


 それだけではない。


 ここ三年で、神前誓約ののち、短期間で解消された婚約が妙に偏っている。いずれも相手は中位貴族か、家格はやや下でも持参金の厚い家。解消後すぐ、より有利な縁談へ移っている例が二件。そこにもまた、ロズミア家の保証や紹介が影のように添っていた。


「……繰り返している」


 エレノアは掠れた声で言った。


「一度きりじゃない」


「だろうな」


 壁にもたれていたカイルが答える。


「神前まで行かせた婚約を、そのまま札付きの品みたいに回してる」


 エレノアは手元の紙片へ視線を落とした。カイルが夜会から抜き取ってきた札には、ラウル・ディンケルの名があった。


 家格 中上

 借財 大

 従順

 押しに弱い

 神前済

 差替可


 差替可。


 胸の奥が、冷たく縮んだ。


 神前済。

 差替可。


 誓いは終わりではなく、値を吊り上げるための印にされている。


「……こういうことですね」


 エレノアは静かに言った。


「ロズミア侯爵家は、縁談を結んでいるのではない。いったん神前誓約まで進ませて、どの家とどの家が結ばれるかを公に固定する。そうなれば、その婚約には家格も、持参金も、借財も、信仰の重さも乗る。まずは、その婚約そのものに値をつけるのですね」


 手元の札を見下ろす。


「そのうえで、さらに高い値をつける他家があれば、そちらへの差し替えまで仲介する。差し替え先からは、おそらく相応の仲介料を取っている」


 夜会の笑い声が、まだ耳の奥に残っていた。


 恋が壊れたことを笑っていたのではない。

 壊したあと、どう沈むかを見ていたのだ。


「そして、そこから先で分かる。どこまで押せるか、どこで折れるか、どれだけ黙らせやすいか。捨てられた側も、それで終わりではない」


 エレノアの声は低かった。低いまま、少しずつ硬くなる。


「誓いを踏まれた傷、落ちた評判、表へ出しづらくなった借財、こちらに借りを作った負い目――家が弱ったあとに残るものを、全部まとめて握る。次の縁談かもしれない。保証かもしれない。口利きかもしれない。あるいは、別の家を揺らすための手駒かもしれない」


 カイルは否定しなかった。


「最初に値をつける。次に差し替えて利を取る。最後に、壊れた家まで使い回す」


 低く言って、壁へ預けていた肩をわずかに起こす。


「そういう話だろうな」


 エレノアはゆっくり顔を上げた。


「……家を助けているのではないのですね」


「ああ」


 カイルの声は低かった。


「使える形にしてるんだ。壊し方まで選びながらな」


 夜会の笑い声が、エレノアの耳の奥でまた蘇った。

 信仰深い令嬢の名誉が削られる音を、あれは余興として聞いていたのだ。


「最低です」


「上等な連中ほど、あくどさまで洗練される」


「神前誓約を」


 エレノアの声は冷えていた。


「人の一生を預かる誓いを、家を縛るための印にして、そのあと傷ごと売り買いするなんて」


「だからお前は怒るんだろ」


 彼女は答えなかった。

 答えなくても、十分だった。


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