怒り
「誤解は解いておくわ。クライン殿下とシズカの婚約が破談になったのは、私のせいじゃないわ」
アカリは腕を組み、いつになく真剣な顔で言った。
「私と殿下じゃ釣り合いが取れないって、アカリが言ったって」
「もう、それは奴には勿体無いって意味よ。奴の取り巻きが勝手に流した噂よ!」
アカリは、心底呆れたようにため息を吐いた。
「シズカらしくないわね。そんなものを信じるなんて。私は奴に興味なんて少しもないわ」
「……」
そう言われても、すぐには言葉が出てこなかった。
小さな頃から婚約者として紹介され、幼馴染として共に育ち、遊んだ彼。
それが、ある日突然、私に婚約破棄を突きつけた。
あまりにも唐突だった。
何が起こったのか理解できないまま、私はただ、自分の何がいけなかったのだろうと考え続けた。
だからこそ、つまらない噂を信じてしまったのだ。
「私は……彼に似合う女性になろうとしていたのに」
「ふふふ……」
隣から、堪えきれないような笑い声が漏れた。
アカリは口元を押さえている。
「……何がおかしいの?」
私が睨むと、アカリは慌てて笑いを引っ込め、真顔になった。
「ごめんなさい。でもね、シズカ」
少しだけ声を落とす。
「貴女が努力家で優秀なのは認めるわ。でもね、ここ数年、貴女は何をしてたの?」
「え? 勉強……いや、魔物討伐隊の活動よ」
「そうね」
アカリは深く頷いた。
「シズカの生活の中心は、それだったわね」
言われてみれば、その通りだった。
役所やギルドで討伐隊の準備をする。魔物討伐に出て、戻れば報告書を書き、空いた時間には勉強をする。
彼と会う約束を何度も断ったのも事実だった。
けれど、それは彼を蔑ろにしたかったわけではない。
「あの男は待つ間、何もせず遊んでいた。その癖、嫉妬をする。いや……そういう奴ほど嫉妬するのよ」
「……嫉妬?」
「そうよ」
アカリは呆れたように肩をすくめた。
「貴女が自分より評価される。貴女の功績ばかりが話題になる。自分は何もしていないのに、婚約者は周囲から褒められている。そんな状況に耐えられなかったのよ」
私は黙って聞いていた。
私は、細かな感情の機微がよくわからない。
だからなのだろう。
「でも、私にそんな態度を見せなかったと思うの。一度も」
「見せられるわけがないでしょう」
アカリは鼻で笑った。
「奴の小さなプライドが許さなかったのよ。だから、貴女には何も言わず、裏で手を回した」
「……」
胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
私はもう、この国で結婚相手を見つけることは難しいだろう。
問題のある女。王子に捨てられた女。
そんな評判が、すでに広まっている。
別に構わない。もう諦めている。
そう思っているはずなのに、完全に何も感じないわけではなかった。
「それにしても、父さんが、ウルフェンハルト侯爵が婚約破棄を認めるからいけないのよ!」
突然、アカリの声が大きくなった。
「他にやりようはあったでしょう! 国王からの命令だからって、まともに受けるから……!」
「でも……私がいけない部分もあったのね」
「違うわよ、シズカ!」
食い気味に否定された。
「あの男には、貴女の活躍が自分への侮辱に見えたのよ」
「私の活躍が……?」
「そう。普通の王族や貴族なら、他人の功績を自分の功績のように言えばいいのに」
「それはどうなの?」
「貴女には理解できない貴族の世界よ!」
アカリは手を振った。
「ま、いずれにしても――」
その顔から笑みが消える。
「貴女を傷つけたから、復讐したわ!」
妙に堂々と言い切った。
彼女は怒れる女だ。
なぜ、そこまで怒れるのか。私には理解できない。
私自身は、心の整理が済んでいるのに。
「ま、そういう訳だから」
アカリは立ち上がると、パン、と両手を叩いた。
「罠に嵌った間抜けな奴を、堂々と捕まえてくるわ!」
つい先ほどまで怒っていたとは思えないほど、晴れやかな笑顔だった。
「貴女も行く?」
「いえ……」
私は悩みながらも、首を横に振った。
「そ。じゃ、カリオンを借りるわ!」
「え?」
「大丈夫。ちゃんと返すから」
「いや、そういう問題では――」
言い終わるより先に、アカリは踵を返した。
「じゃあ、行ってくるわね!」
そのまま勢いよく部屋を出ていく。
扉が閉まった。
「……」
静かになった部屋で、私は一人残された。
復讐。
その言葉が、妙に胸に残っていた。
けれど――
アカリが怒ってくれることを、少しだけ嬉しいと思ってしまった。
「おや、アカリは出かけて行ったのか?」
プラドが素知らぬ顔で入ってきた。
「ええ、すいません。話を一緒にするつもりでしたのに……」
「まあ、あやつらしい。仲直りは出来たのか?」
「……許しましたが、そこまでは……」
「そうか、一つ面白い話をしよう!」
アカリとプラドの出会いの話だった。
姉が、彼女を訪ねたのは私のためだった。
「でも、アカリは学んだノートがあったわ」
「そうじゃな、だが、あの子はそれほど悩んでいなかった。あの性格じゃ、この世界の理も受け入れて、魔術が使えていたからな」
「ああ、アカリらしいわ」
私は微笑んだ。
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