草原での特訓
「どうじゃ、魔術について理解したか?」
プラドが話しかけてきた。
「いいえ。ですが、最後までは読みました。あの本を書いた人は、優れた魔術師になったのでしょうか?」
「ははは、優れた……残念ながら、奴はへっぽこの魔術師どまりじゃったよ。実践向きではなかったから、魔獣の相手はわしがしておった」
「そうですか。魔術書は、まるで大魔術を使えるようになるまでの記録のようでした」
「そうじゃ。苦難の歴史を書いたと言っておった。奴は水を出すだけでも喜んでおったからな」
それを聞いて、私は思わず苦笑した。
いや、私たちからすれば、手から水が出れば、それは手品だ。
「プラド様のご友人は、ミゾグチ・ケンさんと言うんですね?」
「……ああ、そんな名前じゃったかな。ケンだ」
彼女は懐かしそうな声を出した。
「それじゃあ、場所を変えよう! 集中できるところが良いだろう」
プラドに連れられて、何もない草原へやって来た。
同行者は、御者をしているクロエだけだ。
「ここなら他人の目も気にならないだろう。大声で、呪文を唱えてみろ!」
「はい」
「あ、その前に、目を閉じろ。そうじゃな……最初は風が良いかな」
静かな草原に、心地よい風が、吹き抜ける。小川のせせらぎが聞こえる。
自分と世界の領域が少しずつ溶けていくのを感じた。
初歩の風魔術を唱える。
『この世の理に従い、我に眠る力を使って、風よふけ!』
今まで、数十回、数百回と唱えても何も起こらなかった世界に異変が起きる。
微かに目を開けると吹き抜ける風に、私の起こした魔術が乗り、勢いを増している。
「成功だよぉ、シズカ」
髪を風にたなびかせながらクロエが、跳ねながら喜んでいるのが目に映った。
だが、それも一瞬だった。考え込んでしまった私のせいで、風は止んだ。
「これじゃ成功と言えない」
魔術書の最後に書かれていた言葉が頭をよぎった。
『たとえ、この世界が夢でも幻でも、今、私の前にいるプラドを好きだと言う気持ちに嘘はない。それは紛れもない真実だ』
私は、クロエを手招きした。
「どうしたの?」
「ううん、手を握っていて」
魔術が消えてしまったのは、私の疑念のせいだ。私は再び、新たな呪文を唱える。
『偉大なる風の精霊よ、懇願する。我の眠る力を分け与える。風を起こせ!』
祈りこそが、奇跡を起こす。クロと再会できたこの世界、そのものが奇跡なのだ。
ありえないほどの突風が、私を包む。
「シズカぁ!」
クロエは私を掴んだ。私たちは、私の起こした風魔術によって、天空高く運ばれてしまった。
「まずい!」
このままでは、クロエが怪我をしてしまう。一つ間違えば、死んでしまうかもしれない。もちろん、私も。
「プラド様は?」
彼女の姿を探すが、どこにもいない。
私は冷静に、さらなる魔術を唱えた。覚悟が決まったからだ。
『偉大なる風の精霊よ、懇願する。我の眠る力を分け与える。風の膜で我らを包み、地上に降ろせ!』
以前、ラファーガがやっていたことを、想像した。
ゆっくりとはいかない。それでも降下していくのを感じた。
「シズカ、しっかりつかまって」
「あわわわ」
いつの間にか、クロエに抱かれていた私は、飛行機のように地上に着陸した。
「大成功じゃな!」
プラドの声がする。彼女は私たちの背後に隠れていたのだ。
「どこでその呪文を習ったの? エルフのものだけど」
「種族は関係ない。そうですよね?」
「そうじゃ、その通りじゃ」
私にとって、自分を信じるよりも、この世界の神を信じる方が容易い。それだけだ。
※
その後も練習を続けた。
私は成功体験によって、意識の変化が起こり、少しずつ成功の確率が上がっていった。
「これからは、お前の魔術の種類と操作じゃ。出発地点に立ったと考えて良いだろう。わしが考えていたよりも、はるかに早かったな」
「それは、魔術書とノートのおかげです」
「そうか? 残念ながら、わしにはあの本が読めん。特別なことは書いてないだろう?」
ケンさんの魔術書。
最初の章は、概論。次の章は、魔術の体系。魔術書といえるのは、ここまで。
そのあとは、彼の修行の日記。最後の方は、ただの日記だ。
『この本を読めるということは、同郷のものだろうし、プラドが心を許した者だろう。この内容を彼女に教えないで欲しい』
私は、どうしようか悩んだ。
「そうですね。ただ、難解です」
「そうじゃろ、奴は元学者だと言っておったからな」
とりあえず、誤魔化すことにした。
だが、彼の本心はもしかしたら伝えて欲しいのかもしれない。
「まだ、全部写せて無いんです。もう少し借りていても良いですか?」
「ああ、構わんよ。じゃが、大切に扱ってくれよな?」
「もちろんです」
陽が沈み、私たちは執政官屋敷に帰ることにした。
精神的にかなり疲れていたようで、プラドと会話をすることもなく、客車で一眠りした。
執政官屋敷の前が騒がしい。
ゼルフィードも、上空を飛んでいる。
「新たな事件の予感がする」
クロエが呟いた。
「執政官屋敷に、赤いウルフェンハルトの旗。あれはアカリの旗だ!」
私の顔から血の気が引いた。
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