森の守護者
人を簡単に踏み込ませない数々の仕掛け。そして、その先に隠されていたこの森。これほどの場所を造り、守り続けた理由とは何なのだろう。
「わからない。だけど、古の時代からこの場はあったのよね」
私は森を見渡しながら呟いた。
「だろうな。だが、小川が流れている。どこかから水が入り込んでいるということは、この箱舟は完全に閉じられた空間じゃない」
カリオンのいる川のほとりへ歩み寄り、しゃがみ込んで水をすくった。
「冷たい……。しかも、流れは生きている。外と繋がっている証拠だわ」
夏だというのに、この場は穏やかな暖かさに包まれている。それでも、小川の水はエベレス山脈の雪解け水を思わせるほど冷たかった。
「光も、水も、空気もある。この森が何千年も生き続けてこられたのは、外界との繋がりを完全には断っていないからだろう」
「だから植物も、動物も、こんなに元気なのですね」
セラフィナが草花を優しく撫でながら微笑む。
「それだけでは無いな」
ラファーガは静かに目を閉じ、森全体へ意識を巡らせた。
「この森には精霊の気配が満ちている。まるで森そのものが、この地を守っているのだ」
その言葉に、誰もが無意識に周囲を見渡した。
風が木々を揺らし、葉擦れが優しく響く。
小鳥がさえずり、小動物が草原を駆け回る。その穏やかな光景とは裏腹に、森全体からは私たちを静かに見定めているような気配が漂っていた。
「警戒は解くな」
炎石が低く言う。
「どれほど美しくても、ここは地下神殿の最奥だ。何が潜んでいても不思議じゃない」
「そうね。油断は禁物よ」
私はもう一度、森の奥へ目を向けた。
木々の間には、細い獣道のような道が続いていた。
私は吸い寄せられるように、その先へ視線を向けた。
その先――森の中心には、他の木々よりもなお高くそびえる一本の巨大な樹が、悠然と立っていた。
※
私たちの目の前に、一人の少女が現れた。
私と同じ黒い瞳をした黒髪の少女。生成り色の素朴な亜麻布の服をまとい、足元には草を編んだ素朴なサンダルを履いている。
年の頃は十歳ほどにしか見えず、小柄な体つきは私の肩にも届かないほどだった。
どこにでもいる村娘のような姿だったが、その澄んだ黒い瞳には、人ではない者だけが持つ不思議な静けさが宿っていた。
「人ではないのか?」
口に出していない問いに、少女は静かに頷く。
「そうだ。人ではない。この森を守る者。守護者レスィと呼ばれている」
守護者の視線がラファーガへ向く。
「精霊王に仕えし森人の血」
ラファーガが目を見開く。続いてセラフィナへ。
「癒やしの力を受け継ぐ森人の血」
セラフィナもまた驚きを隠せなかった。
次にカリオンと炎石を見る。
「大地の炉を守りし人の血」
二人は思わず顔を見合わせる。
やがて、その視線はクロエへ移った。
一瞬――守護者の瞳がわずかに揺れる。
「……黒き狼」
「え?」
クロエが首を傾げる。
「いや……その耳は」
守護者は目を細めた。
「黒犬族か」
「知っているの?」
クロエが驚いたように問い返す。
「忘れるはずがない」
守護者は穏やかに微笑んだ。
「かつて黒犬族は、森を巡る使者であり、諸族の橋渡しを担う者たちだった。争いを鎮め、その誠実さゆえに多くの種族から崇敬を受けた。中には魔物すらその徳に従い、牙を収めた者もいたと伝えられている」
クロエは耳をぴくりと震わせた。
「そんな話、聞いたことない……」
「忘れ去られたのであろう」
守護者は静かに頷く。
「永き時は、多くの真実を伝承へ変えてしまう」
そして最後に、その視線は私たちへ向けられた。
やがて、その黒い瞳がカリオンを静かに見据える。
「男。お前は呪われているな?」
「ああ、そうだ。どうすればこの呪いを消せるんだ。教えてくれ?」
「呪いというのは、祝福でもある。お前に宿っている人並み外れた力の源でもある。使命が終わればやがて消える」
守護者はカリオンから視線を外すと、今度は私をじっと見つめた。
「……妙だ」
それから、不思議そうに目を細める。
「少し、確かめさせてもらう」
その一言だけを呟くと、守護者はゆっくりと私へ歩み寄ってきた。
「確かめる?」
問い返す間もなく、守護者は私の額へそっと指先を触れた。温かな光が流れ込んでくるような、不思議な感覚だった。
だが次の瞬間、守護者の表情が一変する。
「……!」
守護者の指先がわずかに震えた。初めて、その静かな顔に驚愕の表情が浮かぶ。
守護者は信じられないものを見るように私から手を離し、一歩後ずさった。小さく息を呑み、なおも私を見つめ続ける。
「お前は……魔力の塊のようだな」
なおも私を見つめたまま、静かに問いかける。
「だが、その道を開けたのは、奴か?」
私は首を横に振る。
「奴とは何者ですか?」
守護者は静かに息を吐いた。
「我らが古の時代、ここにいる先祖と命を賭して封印した者。この地下神殿の最下層に眠らせた災厄だ」
一同の空気が張り詰める。
「地下神殿の下層……ああ、封印されていた場所、採掘した地下の……」
言いかけた、その時だった。頭の奥を鋭い痛みが貫く。
「っ!」
目の前が白く染まった。
胸の奥で何かが目覚めようとするかのように蠢き、全身を締めつけられるような息苦しさに襲われる。
「まずい!」
小柄な守護者が咄嗟に私の肩を支えた。
「シズカ!」
カリオンが駆け寄る。私は膝から崩れ落ちた。
ラファーガたちが何かを叫んでいる。
けれど、その声はまるで水の底から聞こえてくるように次第に遠ざかり、森の景色もゆっくりと闇へ溶けていく。
最後に見えたのは、守護者レスィの黒い瞳だった。
その瞳には驚きだけではない。恐れにも似た色が宿っていた。
そして私は、そのまま意識を失った。
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