誓い
「ここはどこだろう……」
気を失う前の出来事を思い出しながら、私は目を開けた。ぼんやりとしていた視界が少しずつ晴れ、見慣れた天井が目に映る。
「シズカぁ、良かったぁ」
安心したようなクロエの声が聞こえてきた。
ゆっくりと視線を向けると、涙で目を潤ませたクロエが私を見つめている。
ここは私の部屋だ。
「脱出できたのね?」
「はい! 食事を持ってきますね」
そう言って部屋を出ようとするクロエを、私は慌てて呼び止めた。
「待って! こっちに来て」
クロエは不思議そうな顔をしながら近寄ってくる。
私はそっと両腕を伸ばし、そのまま彼女を抱きしめた。
温かな体温が腕に伝わる。
柔らかな感触も、聞き慣れた鼓動も、全部が懐かしい。
ようやく帰ってこられたのだと、胸の奥から実感が湧いてきた。
その時、クロエの頬を一筋の涙が伝った。
私はすぐに気づく。
きっと、この子がいつも「食事の準備をしてきます」と言って部屋を出るのは、涙を見られたくないからなのだ。
「心配ばかりかけてごめんね。泣かないで」
私は指先で優しく涙を拭う。
「本当にぃ……またシズカがいなくなっちゃうんじゃないかって……」
「ならないわよ」
そう答えると、クロエは小さく首を横に振った。
その表情はどこか悲しげで、不安を押し隠しているようにも見えた。
「シズカ、起きたか?」
部屋へ入ってきたのはカリオンだった。
私は名残惜しくクロエを腕の中から離す。
カリオンはベッドの脇へ椅子を運び、静かに腰を下ろした。
「あの森からは、別の方法で脱出した。予想していた通り、別の出入り口があったんだ。ただ、あれはレスィしか扱えないらしい」
「そう……全員無事なのね」
「ああ」
短く答えたカリオンは、少し視線を伏せた。
「だけど……問題がある」
部屋の空気が変わる。
「シズカの体のことだ」
私は思わず身構えた。
「レスィが、お前を調べた後に話してくれたことなんだ」
「……うん」
クロエが小さく俯く。
それだけで嫌な予感がした。
カリオンは一度目を閉じ、小さく息を吐いてから話し始めた。
「シズカほどの魔力を持つ者は、この世界にも存在しないらしい。レスィも、お前を調べた瞬間に驚いていた」
私は気を失う直前の出来事を思い出す。
額に触れられた瞬間、初めてレスィが表情を変えた。
あの驚きは、演技などではなかった。
「そうね。レスィが言っていた。『魔力の塊のようだ』って」
私は両手を見つめる。
「私は、生まれてから少しずつ魔力を溜め込んできたせいなんだろうって、勝手に思っていた」
「レスィも、最初はそう考えたらしい」
カリオンは続ける。
「だが、それだけじゃなかった」
嫌な予感が、さらに大きくなる。
「レスィによると、お前の魔力は今も増え続けているそうだ」
「えっ……?」
思わず顔を上げた。
「増え……続けてる?」
「ああ。このまま何もしなければ、お前の体は、その魔力に耐えられなくなる」
胸が締めつけられた。
だからクロエは、あんな顔をしていたのか。
だから、私が「ならないわよ」と言った時、首を横に振ったんだ。
「……私は、どうなるの?」
震える声で尋ねる。
カリオンはすぐには答えず、ゆっくりと言葉を選んだ。
「レスィにも、あとどれくらい保つのかは分からないそうだ。ただ、このまま放っておけば、いずれ魔力が肉体を壊すと言っていた」
私は唇を噛んだ。
部屋の隅ではクロエが俯いたまま肩を震わせている。
「ごめんねぇ……」
小さな声だった。
「シズカに話したくなかったの。でも、隠したまま笑うなんて、私にはできなくてぇ……」
私はベッドから身を乗り出し、そっとクロエの手を握った。
「謝らないで。泣かせちゃったのは私なんだから」
クロエは何度も首を横に振り、溢れる涙を拭った。
その姿を見ているだけで、私の胸も締めつけられる。
「レスィは、原因も話していたの?」
私の問いに、カリオンは静かに頷いた。
「断言はできないと言っていた。だが、お前の異変は、地下神殿で封じられていた災厄と無関係ではない、と」
やはり。
胸の奥で何かが目覚めるような、あの感覚。
あれは気のせいではなかった。
「そして最後に、レスィは俺たちへこう言った」
カリオンは静かに、その言葉を思い返すように口を開いた。
「『災厄を再び眠りへ還せ。そうすれば、この娘の魔力も再び静まるだろう』と」
私は息を呑んだ。部屋に沈黙が流れた。
私の命と、災厄。
その二つが一つに結びついてしまった。
もし災厄を眠らせることができなければ、私は――。そこまで考えた時、小さくすすり泣く声が聞こえた。
クロエだった。
俯いたまま、涙をこぼさないよう必死に唇を噛みしめている。
その姿を見た瞬間、胸の奥が締めつけられた。
前世で、私はこの子を泣かせてしまった。
病に倒れ、先に命を落とした私を、愛犬だったクロエはどんな思いで見送ったのだろう。一人ぼっちになった家で、どれだけ私を待ち続けたのだろう。
ようやく、この世界でもう一度会えた。また、この子を一人ぼっちにするなんて、そんなことだけは絶対に嫌だった。
私はゆっくりと顔を上げる。
「……つまり、災厄を再び眠らせればいいのね」
カリオンは静かに頷いた。
「ああ。簡単な相手じゃない」
「でしょうね」
私は小さく笑った。
「でも、行くしかないでしょう」
「だから俺は……目が覚めたら、このことだけ伝えて、あとは俺たちだけで何とかしようと思っていた」
私は苦笑しながら首を横に振る。
「そんな選択を、私がすると思う?」
カリオンも小さく笑う。
「……思わない」
私はベッドから降りると、クロエの前まで歩いた。
そして、震える両手をそっと包み込む。
「クロエ」
「は、はいぃ……」
「ずっと後悔してた。もう二度とあなたを一人にはしない」
私は、再び誓った。決して破らない約束を。
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