夜道の伏撃
あたりはいつの間にか、夜の帷に包まれていた。
私は暗視の目薬を点していたが、元々あまり良くない視力では、遥か彼方のエベレス山脈の麓までは見通せない。
だが、暗闇でも類まれな五感を誇る犬人族のクロエは違った。彼女はゆっくりと広大な森を見渡し、私に告げる。
「あ、見えました。ゼルは炭鉱の上を飛んでます」
「そう……。じゃあ彼は、どうしたのかしら……」
私の予想とは正反対の結果だった。
救援に向かいたい。だが、そんな余裕はどこにもない。
「心配ありませんよぉ。カリオン様は寝てるんですよぉ」
「もう、貴女じゃないんだから。それにセラフィナも戻って来ないし……」
「それなら連絡しますぅ」
フィィーッ、フィーッ。
クロエは指を唇に当て、夜空へ向かって口笛を吹いた。
澄んだ音色は静まり返った森を抜け、闇の彼方へと吸い込まれていく。
「ダメよ、魔物を呼び寄せちゃう!」
私は慌てて彼女の口を塞いだ。
「むぐっ!?」
すると数秒後――森の奥から返事が返ってきた。
フィィーッ、フィーッ。
まるで鏡写しのような、同じ調子の口笛だった。
「違いますよぉ!」
クロエは私の手をどけると、不満そうに頬を膨らませた。
「そんなおバカじゃありませーん。これはセラフィナと決めた合図なんですぅ」
「口笛吹いて魔物の群れを呼び寄せたじゃない?」
「あの時とは違うんですよぉ。音が違うです」
犬耳をぴんと立てながら、クロエは胸を張った。
どうやら魔術の笛とは別の、連絡用の合図らしい。
「うーん、わからなかった。それなら私にも教えて」
「へへへ。シズカを驚かせようと思って。でも今は教えられませーん」
「それはそうね。混乱させちゃうわね。それで、セラフィナは?」
クロエは耳をぴくりと動かしながら答えた。
「『無事だ!』だそうですぅ」
私は安堵の息を吐いた。だが次の瞬間、クロエの耳がぴくりと動く。
「あ、まだ続きがありますぅ」
ピッ! ピッ! ピィィーツ!
再び森の奥から口笛が聞こえた。
クロエは耳を澄ませながら、何度か頷く。
「『退却する』だそうです」
「それじゃ、ここで待ちましょう」
ガストンたちドワーフは、忙しげに壁や堀の修復を進め、魔物の死骸を片付けている。プロストは魔物の検死に没頭していた。
「シズカ執政官。やはり縄張りを奪われて出てきただけじゃないかな? 特に通常の個体と変わりない」
「じゃあ、ホブゴブリンは? あれも縄張りを奪われて?」
「一匹も仕留めれなかったほど強い。ホブゴブリンの中でも上位の部族。それは考えにくいな。この森には、奴らより弱い魔物がいくらでもいる。奪われたなら、別の場所を奪えばいいだけのことだ」
「そうよね」
プロストは魔物の死体から顔を上げて話を続けた。
「意志を持って出てきたと考えるべきだろう。奴らには知恵がある」
「この地の過去の魔物被害についての資料は、王都には無かったのよ」
「よくあることさ。ワールドエンドのような地では報告しなかったのだろうな」
魔物討伐隊に参加していた私は、つてを使ってこの地の魔物による被害に関する極秘情報も調べていた。だが、そのような情報は一つもなかった。
「長老たちに聞くしかないわね」
「俺がこの地に通って数年は大きな被害は無かったけどね」
話し込んでいると、セラフィナたちが疲れた顔で戻って来た。魔力が枯渇し、矢筒には矢が無かった。
「うわっ、ここはひどい有り様ね。お姉様、お怪我は?」
セラフィナがいつも通り抱きついてきたが、今にも倒れそうだ。
「お疲れ様。無事よ。おかげでまとめて始末出来たわ」
「上手く誘導出来たようです! 次のご命令は?」
「ゆっくり休んで頂戴。再び来襲してくるかもわからないから、その時の為に」
「はい。では執政官邸に戻ります。武器の補充も頼んであるので。お姉様、ここは疲れ知らずの鉱人に任せて帰りましょう」
私は、首を振った。
「別邸の方に行くわ。領民も不安だろうし」
「そうですか……護衛は?」
「いらないわ。近いから。又、明日」
セラフィナとプロストたちが、執政官邸へと引き上げていくのを私は見送った。
「それじゃ、我らはさらに堀と壁を作ります」
ガストンも疲れている筈だが、動きを止めないつもりだ。
「無理はしないで」
「わしらは人数いますんで。警備と休みも交代でやりますから。ほら、あの通り」
彼が指差した壁の脇のテントの中には、食事という名の酒盛りをしている者たちや、仮眠をとる者もいる。
「それじゃ行くわ」
私は別邸の砦へと向かう。クロエが御者を務める馬車に乗る。
「主様、客室に」
助手席に座るつもりだったのだが、彼女に放り込まれた。よほど疲れた顔をしていたのだろう。
ゆっくりと馬車は動き出した。私はほんの少しの間、回想した。
全てが繋がっている。獣人やエルフを解放し、ドワーフを救った。
その事が、結果、ワールドエンドを救っている。間違っていない、そう確信した。
※
「シズカ、魔物が近づいてます。早い!」
クロエの叫び声が聞こえた次の瞬間。
馬車は、衝撃で横転し、私は投げ出されて地面を転がった。もし、レオナールからもらった馬車でなければ粉々だっただろう。
私は痛みを堪えながら、必死に顔をあげた。足が折れてるらしく、立つことができない。
「クロエ!」
彼女は、守護の指輪で守られているはず。どこにもいない。
「え!」
魔物の正体。私の目の前に立っているのは、あの戦士の目をしたホブゴブリンだった。
そして、クロエは、網に捕らえられて、背負われていた。
「シズカ、逃げて!」
彼女の必死の声が聞こえる。
数匹のホブゴブリンに私は囲まれた。奴らは私は殺すつもりだ。棍棒を振り上げて近づいてくる。
ポーションを飲む時間もない。
こんなところで死にたくない。
私は絶望しながらも、願った。




