山の民との約束
執政官屋敷の応接室には、春の夜気が静かに流れ込んでいた。
「やはり、そうでしたか」
「わかってるのに怖くないんだ? 護衛もつけずに」
ユウが呆れたように尋ねる。
「ええ、殺意が全く無いもの。王都の冒険者達の方が、ならず者が多いわ」
私が答えると、ザンは豪快に大笑いした。
「侯爵の娘なんて、お嬢様だと思ってたのに。あなたは違うのね!」
「あなたこそ、若いのに山の民の代表でしょ」
「ええ、まあね」
ユウは肩をすくめる。
気安い仕草とは裏腹に、不思議な貫禄があった。彼女は豪華な長椅子に無造作に腰を下ろす。
その姿は、王都の貴族たちよりも、よほど堂々として見えた。
それから、しばらく山の民と歓談をした。
山の民の暮らし。生き方。考え方。
わかったのは、彼らが私の想像を遥かに超える暮らしをしているということだった。
王都では高位貴族しか持てない保温魔道具を、山の民は子供ですら腰に下げている。雪山に耐える軽量の天幕。火を使わず湯を沸かす魔導器具。しかも、それを誇示する様子が全く無い。
自然と共に生きるために、必要だから使う。
ただ、それだけなのだ。
「怖くないの? 山の暮らし」
「怖いさ。でも、ここが私たちの生きる場所だからな」
自然は支配するものではなく、常に死と隣り合わせだ。
それでも彼らが山に留まるのは、そこが故郷だからだ。
※
「羨ましいわね。でも、それらの技術はどうやって手に入れたの?」
「失われた技術が残っている。それと山の民は幼い時に郷を離れて修行に出る。我らが閉鎖的だというのは間違った風評だ」
「私も、この前まで共和国都に住んでたのよ。そうは見えないでしょ?」
なるほど。
だから彼女の話し方には共和国訛りがあるのか。
だが、彼女の名前で税が払われている。
私はそのことを指摘した。
「ああ、それは氷原の村を私が引き継いだからね。ちなみに、私が魔道具を作って稼いでるわ。小さな時からね」
ユウは紅茶を一口飲み、苦笑する。
「あのミラーって野郎はしつこく村人を脅してきた。まあ、村まで来る根性には脱帽するわ」
怒っているというより、本気で呆れている口調だった。
ミラーという男の金への執着心には、驚くべきものがあるらしい。
「ごめんなさい」
私は自然と頭を下げていた。
「ううん、話は聞いたから。今までは、ワールドエンドと関わりを持ってこなかったけど、要望を言ってもいいかしら?」
「ぜひ!」
するとユウは、少しだけ視線を伏せた。
「小さな時から、遠くの町に行かせるのは怖くて……」
その言葉の重さを、私はようやく理解した。
死と隣り合わせで生きる彼らは、“生きて帰る”ことを何より重く見る。
幼い子供を遠くへ送り出す。それは、命を預けるということなのだ。
学校、それと寄宿舎も必要となるだろう。
食事も必要だ。病気や怪我の責任も負わなければならない。
領主としての責任の重さが、胸にのしかかる。
だが――。
「わかったわ。執政官の学校を宿舎にして、初等教育ができるようにするわ」
私が答えると、ザンは黙ったままこちらを見た。
鋭い視線だった。
試されているのだと思った。
「兄様、シズカを信じましょう」
「ああ、期待している」
その一言で、胸の奥が少し熱くなる。
話が一段落すると、エレノアが痺れを切らしたように応接室へ入ってきた。
「さあ、早く。懇親会の時間です」
扉の向こうには、セレディナやカリオンの姿も見えた。
だが、誰がそこにいるのかは、漂う魔力の色でわかっていた。
「剣に手でも掛けようものなら、吹き飛ばそうと思ったのに」
セレディナが、本気のような冗談を言った。
「やめてよ。屋敷が壊れちゃう!」
私は本気で嫌そうな顔をした。
「彼女とは気が合いそうなのに」
「だからです。シズカお姉様の一番の妹は私です」
エレノアは私の腕を抱き寄せる。
独占欲丸出しの態度が可笑しくて、私は思わず笑ってしまった。
暖かな灯りの中で、春の夜風が静かにカーテンを揺らした。
※
「頭が痛い」
昨日は、断りきれずに酒を強か飲んだ。
深夜、自分の部屋に帰ってきたことは薄らと覚えている。クロエとピクシアに手を引かれて。
窓の外では、山の間から昇る朝日が、ワールドエンドの平原を黄金色に照らしていた。
「お見送りをしよう!」
私の布団には、彼女たちの寝た跡がある。
もう仕事に励んでいるようだ。
早朝、宿泊用の天幕や馬車で寝ていた者たちが、帰宅の準備を始めている。
私も慌てて着替えて屋敷を出た。
「おはよう!」
元気そうなユウに声をかける。
おかしいな。かなり彼女も飲んでたんだが。
「お世話になりました。又、来ます。グレイは既に解放してますからね」
「ははは。今度はこちらから行きます」
山の民は、いち早く移動を始めた。
彼らの旅団は、広大な平原を飛ぶように進み、小さくなり、やがて消えた。
屋根の上の巣では、ゼルフィードが眠そうな瞳で、その動きを追っている。
やがて、来訪者が全員帰宅した。
ふと、厩舎に目を向けると、レオナールが馬車の支度をしている。
私は、嫌な予感を振り払うように声をかけた。
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




