領民集会
「お待たせしました! ただいまより受付を開始いたします!」
クロエのよく通る声が、庭園いっぱいに響き渡った。
最初に受付へ向かったのは、隣のテント村で暮らす獣人族たちと、執政官屋敷で仮住まいをしているエルフたちだった。
それを皮切りに、マークスたち近隣の住人や、元ミラー邸に身を寄せるガストン家の一団、さらに遠方の領民たちまで、次々に馬車で到着し始める。
移動手段を持たない領民には、事前に約束していた通り、執政官府の乗合馬車が巡回して迎えに向かっていた。
領民を降ろした馬車は、休む間もなく次の迎えへ走り去っていく。
馬車を降りた領民たちは、揃って屋敷の屋根を見上げ、目を見張った。
「ははは、わしたちと同じ反応だな」
「そりゃそうですよ。あんな立派な魔獣がいたら。でも壮観ですね。こんなにワールドエンドに人がいるなんて」
「わしも驚いたよ。知らんうちに、こんなに人が増えていたんだな」
マークスとロン爺さんは、楽しげにその様子を眺めている。
屋根の上では、ゼルフィードが大きな翼を畳み、巣の中で悠然と喉を鳴らしていた。
その穏やかな姿に、領民たちも次第に警戒を解いていく。
私は、ひっきりなしに領民たちから声を掛けられていた。
「執政官様、今日はどんな発表があるんでしょうか?」
「楽しみにしていてください!」
「少し相談事が……」
「あとで相談の時間も設けましょう」
次々に交わされる言葉。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
ここにいる人々は、みな私の領民なのだ。
向けられる視線の一つ一つに、この土地へ根を下ろそうとしている命の重みを感じる。
「一度、お色直しをしましょう」
「え? ちゃんと執政官の服を着てるわよ?」
「いえ、新しい服が届いておりますので」
エレノアに促され、私は屋敷の自室へ連れ戻された。
「その正服も、ずいぶん長く着ておられますしね」
「ええ、お気に入りだもの」
彼女が仕立ててくれた、執政官の正服。
「でしたら、こちらも気に入っていただけるかと」
差し出されたのは、私のトレードマークとも言える黒衣とは正反対のドレスだった。
淡い赤。
思わず、指先が止まる。
――赤。それは姉、アカリの好きな色だった。
胸の奥が、わずかにざわつく。
鮮やかな紅を纏い、人々の中心で笑っている姉の姿が脳裏をよぎった。
私の反応を予想していたのだろう。
エレノアは小さく首を振る。
「違いますよ。アカリ様は濃紅に黒の刺繍。これは薄紅に白の刺繍です」
そう言われ、私は改めてドレスへ目を向けた。
暗がりで見た時とは印象が違う。
エレノアが部屋の灯火をともすと、薄紅の布地に縫い込まれた白い花の刺繍が、柔らかく浮かび上がった。
華やかというより、春先に咲く花のような優しい色合い。
ワールドエンドには、先人たちによって桜に似た木々が数多く植えられている。
長い冬を越えたあと、静かに花を咲かせる木々。
その色だった。
刺繍された花もまた。
――私のために選ばれた服だ。
そう気づいた瞬間、胸のざわめきが静かに溶けていった。
「……どうです?」
エレノアが、試すように微笑む。
私はもう一度、目の前のドレスを見つめた。
鏡の前に立てば、どんな自分が映るのだろう。
エレノアに手伝ってもらい、着替えを済ませる。
「それと、本日はエスコート役もおります」
「は? 誰?」
「俺だよ!」
ひょいと顔を覗かせたのは、カリオンだった。
彼の服装は、騎士団の制服でも普段着でもない。
まるで私に合わせたかのような礼服姿だった。
「暇なのね!」
「違うぞ。森の異変と巡回隊の件で話があるんじゃないのか?」
「あ、そうだった。ごめん」
彼の行動には無駄がない。それでも、どこか余裕があるせいで遊びのように見えてしまう。
これから領民たちの前で演説をする私には、まだ持てないものだった。
「別に。それより、あの魔鳥には驚いたよ! シズカが飼ってたのか?」
「ううん、保護しただけ。可愛いでしょ? それより、その服は?」
「エレノアさんに着替えろって言われてさ」
私はエレノアに化粧を施されながら、椅子に座ってカリオンとの会話を続けた。
少しずつ、張りつめていた緊張がほどけていく。
机の上から原稿を取り上げ、軽く目を通す。
内容はすでに頭へ入っている。
けれど、これは半ば儀式のようなものだった。
その時、屋敷の外がさらに騒がしくなる。
窓の外を見ると、多くの馬車が列をなし、屋敷へ向かってくるのが見えた。
「ヴァイスウルフェン家御一行、ご到着です」
交渉はどうなったのかしら。
私がそう考えていると、扉の向こうから声がした。
「シズカ様、ピクシアです。山の民をお連れしました」
「ありがとう。挨拶を――」
「いえ、集会の後で構わないと思います。皆さま、今はゼルフィードに夢中ですので。受付はこちらで済ませておきます」
これで、領民たちが全員揃ったことになる。
やがて受付が終わり、鐘が鳴らされた。
領民集会、開始の合図だった。
「それでは参りましょう」
私が椅子から立ち上がると、カリオンがそっと手を取る。
「どうした? 肩に力が入りすぎだぞ」
「簡単に言わないで」
言い返したものの、自分でも緊張しているのはわかっていた。
階段で足を踏み外しかけた私を、彼が支えてくれる。
カリオンは小さく笑った。
「噛んだら、横から続きを読んでやろうか?」
「絶対嫌」
即答すると、彼は愉快そうに肩を揺らした。
「安心しろ。演説で少しくらい言葉につまっても、“執政官様も人間なんだな”って皆喜ぶだけだ」
「それ、全然慰めになってないから!」
思わず返すと、彼は声を上げて笑った。
その笑い声につられるように、胸の奥に張りつめていたものがほどけていく。
「大切なのは……」
「大切なのは、思いを伝えることね」
私は小さく息を吸い、まっすぐ前を見据えた。
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