ウルフェンハルト侯爵
父 ウルフェンハルト侯爵視点です。
「まだ、レオナールは戻らんのか?」
「はい。昨日、ワールドエンドに到着したばかりと書簡が届きました」
家宰の部下の執事長代行が答えた。
厳しく問いただしてきたのは、顔色の悪いウルフェンハルト侯爵だ。
「奴が、そんなにゆっくりと移動する訳が無い。わかりきった嘘を……」
吐き捨てるように言いながらも、その声には確信よりも焦りが滲んでいた。
侯爵は机の上の書類に手を伸ばしかけ――ぴたりと止める。
指先が、触れる寸前で引いた。
机の上には、決裁や指示を仰ぐ書類の山がある。今にも崩れそうな。
封も切られていない束が、何層にも積み重なっている。
毎日少しずつこなしていれば、これ程にはなっていなかっただろう。
領地視察を終えたレオナールにやらせるつもりで手もつけなかったのだ。
この家では家宰である彼の仕事になっているから。
侯爵が外交と軍務を。内政と書類仕事は、全てレオナール。
これは、侯爵となってから変わる事がない。レオが、問題点をまとめて、侯爵に 最終決裁を仰ぐ。正しい答えにただ頷くだけだ。
――考えることすら、いつからか任せきりだった。
幼馴染の大親友。学校でも、戦場でもいつも側にいた。
「俺は一生、お前を支えるよ!」
あの言葉に、どれだけ甘えてきたのか。
今まで一度も休みも取らず、私欲もない。結婚もしていない。子供もいないはずだ。
「もしかして、俺は奴の人生を食い潰したのか……」
呟きは、誰に向けたものでもなかった。
執務室には、他にもエレノアの部下の家政長代行と、アカリがいた。
「お父様、レオナールはエレノアと旅を楽しんでいます。許してやりましょう!」
軽やかな声。だが、その目は状況を正確に見据えている。
「ああ、だが……」
侯爵は、書類の山に目をやる。
一枚でも手に取れば、雪崩のように責務が押し寄せてくるのがわかる。
今更、開けることすら嫌なのだ。催促状も届き、収拾がつかない。
レオナールが優秀過ぎ、彼の性格から、他の侯爵家ならば、多くの人を雇い組織として、こなす仕事だ。
「差し出がましいですが、私たちにやらせてくれませんか?」
アカリは一歩前に出る。
すでに頭の中では、誰に何を振るか、段取りが組み上がっている声だった。
「良かろう。次期侯爵として務めなさい!」
「努力致します。それでは早速……」
アカリは振り返り、執事長代行に短く指示を飛ばす。
「優先度で三段階に仕分けを。緊急は今夜中、それ以外は人を回して分担します」
迷いのない采配だった。
侯爵の机の上の書類は、彼女の部屋に運ばれて行く。
聡明で頼もしい娘だ。もし、侯爵の仕事で徹夜なんてさせようものなら、妻や使用人達から文句を受けてしまう。
アカリは侯爵の心配を察したのか、笑って言葉を続けた。
「お父様、私は昔から人を使うのが得意です。ご安心下さい!」
――ああ、こいつは“使う”側の人間だ。生まれながらの支配者。
「それで、シズカはどんな様子だ? 手紙にはどのように?」
「こちらに……」
書簡の宛先は、目の前にいる執事長代行と、家政婦代理。こと細かく指示をしているページは、エレノアが書いた部分だろう。
だがその書面には、ワールドエンドのことも、シズカのことも、ましてや、侯爵の様子を伺うことも書かれていなかった。
「いつもなら、知りたいことを察した内容が書かれているのに……」
侯爵の指が、紙の端を強く押さえる。わずかに、皺が寄った。
「これは指示書ですから。別で送られてくる筈です」
――来るはずがない。
あいつが、“察しない手紙”を書くはずがない。
わかっていて、あえて書かなかったのだ。
侯爵はゆっくりと目を閉じる。
レオナールは本気で怒っているのだ。
「それでは、夕食で……」
執務室を出て行こうとするアカリを呼び止めた。
「それほど、シズカは優秀なのか?」
レオナールはシズカにだけ特別な接し方をしているのを、侯爵は知っていた。
それは、アカリと比べられて不憫だから同情しているのだと感じていた。
ウルフェンハルト侯爵家内での調和も考えて。
「優秀ですか……」
アカリは、普段見せない裏の顔を一瞬見せた。
無能な人物への小馬鹿にした表情だ。
「いや……」
慌てて、侯爵は取り消した。聞くまでも無いことだ。
だが、珍しくアカリが話を続ける。あえて雄弁さを隠す彼女が。
「お父様は、シズカを私の領の執政官にすると仰りました」
「ああ、そうだな。勉強だけはできるからな。だが、それは戯言だ。本気にしなくていい。ワールドエンドに追放した」
「……私は本気で受け取りました。私を支えるのは妹しかいないのです。野生のゼルフィードを大空に放つようなことをしたのです。さて、どう捕まえましょうか?」
珍しく鷹揚な話し方をしたアカリが苦笑しながら部屋から出ていった。
小馬鹿にした相手は、シズカではない侯爵だ。それが気がつかないほど無能ではない。
「盲目だったのは、俺だけか……」
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