大魔熊
私が安全圏にいることを確認すると、大魔熊をいなしていたカリオンの動きが変わった。
「さあ、本気で行くぞ」
彼の持つ剣に光がこもり始める。
あの構え――一撃にすべてを賭ける型。
やっと動きを止めたカリオンに向かって、大魔熊が突進する。
「悪いが、今度は逃さないぞ!」
大魔熊の狙いは分かる。一撃を入れて逃走しようとしている。
次の瞬間。
魔物の姿が消える。
私には魔力の残滓で姿が見えるが、カリオンには見えていないだろう。
「やられる」
私は焦り、小さく呟いたが――
それは杞憂だった。
彼は目を閉じて、気配を感じることに集中していた。
視覚ではなく、呼吸と気配、わずかな空気の歪みを捉えている。
通り過ぎながら、横なぎにカリオンを捉えようとした左足に、彼の剣が振り下ろされる。
その剣は、鋼のような爪を斬り下ろし、そのまま魔熊の全身を真っ二つにした。
消えていた魔熊が、断末魔をあげる。地面に大量の血が流れる。
「二度、同じ手はくわないよ」
カリオンは大きく息を吐き、目を開いた。
たった一撃。その必殺の一撃を繰り出すために、どれほどの鍛錬と努力があったのかは私は知らない。
だが、一流の冒険者でも到達できない剣術だと、私は感じた。
※
「困ったわね。他の魔物もやってくるわね」
「ごめんなさい」
クロエは半泣きの顔で謝る。肩が小さく震えている。彼女も役に立ちたかったのだ。
私はクロエを抱きしめ、その頭を優しく撫でた。
「たいしたことありませんわ、お姉様」
セレディナが風を起こす。
その風には、魔熊の死の匂いが含まれている。血と魔の気配が混じった、濃い風だ。
魔物たちの近づいてきた気配は、一転して恐れるように遠ざかる。ざわめいていた気配が、嘘のように消えていった。
「これで大丈夫です。安心してください!」
セレディナの言葉に頷くと、私はクロエに声をかけた。
「魔笛を使えるのは、限られた者だけ。自信を持ちなさい」
「ええ、エルフ族でもまれよ。訓練しましょう!」
「そうする、主」
やっと笑顔が戻ったクロエが尻尾を振っている。先ほどまでの怯えが嘘のようだ。良かった。私は小さく息を吐き、安堵した。
洞窟の脇で倒れていたドワーフが立ち上がって、カリオンに近づく。土埃を払いながら、こちらを睨みつけた。
「お前たち、何者だ?」
失礼な言い草だ。助けてもらった礼から会話を始めるべきだ。
「セレディナ、カリオンの元へ」
彼女に抱かれて私は、ドワーフの前に降り立った。
「それは、私たちのセリフよ。ここで何をしてるの?」
「採掘だ。ここは誰の土地でも無い。問題無いだろう?」
私たちを冒険者の一団だと誤解しているようだ。しかも、恩をきせてせびる面倒な連中だと。死にかけていたことは、彼の頭からもう消えている。
「いいえ、法律上は、ワールドエンド領のものよ」
「はっ。それならミラー執政官に聞いてくれ。俺たちは、税も納めてるし、採掘許可も得ている」
「貴方たちがガストン家ね? 探していたのよ」
ドワーフの棟梁だろう大男は、表情を変え叫んだ。目の色が露骨に変わる。
「その名前……なんだ、ミラーの旦那の仲間か。最初からそう言えよ!」
急に馴れ馴れしい態度に変わる。口元には作り笑い。だが、その目は笑っていない。
私は逆に警戒を強めた。
――やはり、おかしい。
洞窟を見たときから、妙な感覚がつきまとっている。
洞窟から漂う、異様な気配。魔物とも違う、もっと濃く、澱んだもの。
「カリオン、お願い」
「わかった」
彼は私の意図に気づいて、躊躇なく洞窟へと走り出した。足音がすぐに闇の中へ吸い込まれる。
「おい、待て。採掘場に入るのは許さん」
エイトラの声がわずかに強張る。
「どうして? ただの見学よ!」
私がそう言うと、エイトラは一瞬言葉に詰まり、視線を逸らした。額に汗がにじむ。
「危険だろう……」
絞り出すような声だった。
この中で飛び抜けて強いカリオンが危険とは。言うにことかいて、危険とは。思わず笑みが漏れる。
「隠したい物でもあるの?」
「そんな物はない。ある訳ないだろう。ま、好きにしろ」
怒ったふりをしているが、声に微かな揺らぎがある。ドワーフの男からは、隠しきれない焦りの色が見える。
「名乗ってなかったわね。シズカよ」
「俺は、エイトラだ。ガストンは出かけている。ところで、ミラーの旦那はどこだ? 待て、言わなくていい。冒険者と奴隷の犬とエルフを連れてるってことは、お前、ミラー旦那の愛人だな?」
「はぁ!」
クロエが怒って、私をすり抜けて、エイトラに飛び掛かろうとする。耳がぴんと立ち、瞳が鋭く細まる。
「待ちなさい、クロエ」
だが、素早い彼女は既に、鋭い爪を出して男を引っ掻いた。
「痛えじゃねえか! 何しやがるんだ!」
だんっ、と彼女の体を投げ飛ばしたが、彼女は曲芸のように宙返りして地に足をつけた。砂煙が舞う。
次の瞬間、突風が唸りを上げる。
エイトラの体は、洞窟の壁に激突した。大魔熊に投げられた時以上の衝撃だ。岩肌に鈍い音が響く。
「がはっ」
「シズカお姉様への失礼な発言。万死に値します。死んで詫びなさい」
セレディナの風魔術が、転がるドワーフを捉えて、何度も壁にぶつける。空気そのものが刃となり、容赦なく叩きつける。彼女は、魔術を止める気配が無い。
「セレディナ、クロエ。ありがとう。もう充分よ」
丈夫なドワーフのことだ。体力を削られただけだろう。殺す必要はない。
「待て待て。間違えただけだ! 悪かった。ミラーの知り合いだろう? 聞いてくれ、仲が良いんだよぉ」
よろよろと両手を挙げて立ち上がる。声は情けなく震えている。
「知り合い? そうね、奴は元執政官代行。そして、今は私が執政官よ。ミラーに質問は出来ないわ、もう、この世にいないもの」
「は? 何だって、ああ……思い出した。俺はミラーの奴と仲良くなんか無かった。困ってたんですよ。執政官殿」
急に、発言の中身を変えた。舌の根も乾かぬうちに、だ。こう言う奴は信用できない。
その時、カリオンが洞窟の中から走りながら戻ってきた。
息は乱れていないが、その目は明らかに何かを掴んでいる。
「面白いものを見つけたよ!」
「面白いもの? ただの採掘場だが……普通の鉱石しか取れんぞ」
エイトラは即座に否定した。だが、その返答は早すぎる。
「じゃ、これは何だ?」
カリオンは、手に持っていた物を奴の足元に放り投げた。乾いた音を立てて転がっていった。
お読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。




