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姉に全てを奪われた追放令嬢、辺境の村を再建します〜愛犬が転生した犬人少女と始める内政スローライフ〜  作者: 織部


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癒えぬ傷と迫る魔熊

「お帰りなさいませ。お客様がお待ちですよ」

 エレノアが、屋敷の前で出迎えた。静かな声と、いつも通りの落ち着いた一礼。夜気すら整えるような所作だった。

「こんな夜更けに誰かしら……」


 誰かは予想がついていた。彼の愛馬が厩舎にいるのを見かけたからだ。気品があり、気難しそうなあの馬を扱えるのは、彼くらいだろう。


「シズカ、やっと帰ってきたか?」

 まるで自分の屋敷のように、姿を現すカリオン。だがその声音はどこか鈍く、呼吸もわずかに荒い。いつもの余裕が薄れていた。


「それでご用件は?」

 私は、わざと冷たく返事をした。少しだけ、距離を置くように。それでも視線は、無意識に彼の様子を追ってしまう。顔色、立ち方、息遣い――気になるところばかりだった。


「いや……この間のお礼に……」

 彼は、悲しげで困惑した様子で答えた。いつもの調子が、やはりどこか鈍い。

「お茶をお出ししますね」


 エレノアの勧めで私たちは、応接に移動した。途中の広間には、彼からのお礼の品が袋に入って置かれていた。厚手の袋は床に沈み込むように重く、歪な形に膨らんでいる。中身の輪郭さえ読めない。


 エレノアはそれに軽く視線を向けると、ほんの一瞬だけ目を細め、何かを測るように見たが、

「……こちらへ」

 とだけ言って、私たちを促した。


「プレゼントは何なの?」

「後で見てくれ。高く売れるものだよ! どうせ現金なら受け取らないだろうからな」

「お見通しね。ところで私が置いてきた薬は塗ってるのかしら?」


 問い詰めると、カリオンはわずかに視線を逸らした。

 ほんの一瞬の間。言葉より雄弁な沈黙。

 ――それだけで、十分だった。

「ちょっと見せなさい」

 思ったよりも強い声が出た。自分でも少し驚くくらいに。胸の奥がざわつく。嫌な予感が確信に変わりかけていた。


「別にいい。今回は――」

 ちょうどその時、お茶を運んできたエレノアに、私は目配せをした。

 すぐに察した彼女は、薬と布を準備して静かに下がる。扉の閉まる音まで控えめだった。


「いいから、さあ、服を脱いで」

 言葉を遮ると、私は部屋の扉を閉めた。鍵をかける音が、やけに大きく響く。逃がさない、と言ってしまったようで少しだけ頬が熱くなる。


 カリオンは、ソファから立ち上がり、シャツを脱いだ。

 彼の肌は、前と同じまだらな紫色に染まっていたが、皮膚が切れて、滲み出た血が乾きかけて黒くこびりついていた。無理に動いたのだろう、いくつも裂けている。


 前よりも深く、広く、明らかに悪化していた。見るだけで痛みが伝わってくるようだった。

 思わず、息を呑む。胸の奥が、ひどく締めつけられる。


「もう、何やってるのよ! どうしてこうなったの?」

 思わず声が強くなる。

「いやぁ、少し体を動かしたら……」

「少しじゃないわよね!」

 即座に言い返す。


 私は、彼の肌の血を拭き取る。乾いた血を湿らせながら、そっと、傷を広げないように細心の注意で。布に触れるたび、彼の体がわずかに強張るのがわかった。肩先がかすかに揺れる。


 それでも彼は声を上げない。だからこそ、腹が立つ。

「……痛いなら言いなさい。我慢して黙ってるの、嫌いなの」

「いや、大丈夫だ」

「強がらないで」


 それから、薬を丁寧に塗り広げる。熱を持った皮膚に触れるたび、こちらの指先までその温度が伝わってきた。

 無茶をしてきた時間が、そのまま熱になっているようだった。どれだけ無理をしたのか、考えるだけでため息が出る。


 最後に、ガーゼをあて、その上からずれないように巻いて固定した。強すぎず、緩すぎず、何度か確かめながら。

「……これでいいわ」

 手を離した瞬間、張り詰めていたものが少しだけほどけた気がした。


「ありがとう」

「もう、本当に無茶ばっかりして……」

 呆れたように言いながら、ふっと息をつく。その奥で、安堵している自分に気づいて、少しだけ目を逸らした。視線を合わせたら、何かが漏れてしまいそうだった。


「シズカお嬢様、少し宜しいでしょうか!」

 扉を叩く音がする。レオナールの声だ。

「どうしたの? ちょっと待って!」

 カリオンにシャツを着せて、私は扉を開けた。


 そこには、セレディナとエルフの狩人たちの姿があった。エルフたちは疲労困憊の表情で、衣服も汚れている。

 だがそれ以上に、誰もがどこか張り詰めた顔をしていた。森で何かがあったのだと、すぐにわかった。


 レオナールに促され、彼らは報告を始めた。

「狩猟に出かけたのですが、森の浅い場所で大きな魔物に遭遇しました。大魔熊と呼ばれる、魔術を使う手負いの熊でした」


 その場の空気が、わずかに重く沈む。

「それで、怪我はなかったのですか?」

「はい。木の上に逃げましたので」


 エルフたちを見つけると、大魔熊は木をなぎ倒しながら執拗に追い続けたという。手負いだったためか、かなり興奮していたようだ。いや、それだけではない。


「……まるで、敵意を持って追ってくるようでした」

 やがてその気配が消え、彼らは帰還した。森の音まで消えたような、不気味な静けさのあとで。


 大魔熊。魔物の森の暗殺者と呼ばれる、厄介な魔物だ。凶暴で、魔術を使い、痕跡を消すこともできる魔物。遭遇して無事で済むだけでも幸運とされる。


「森の浅いところであれば、この村にも出るかもしれないわね」

「ああ、なら始末してくるよ!」

 カリオンが、重そうな体を引きずり出かけようとする。立ち上がるだけで顔がわずかに歪んだ。


「ダメよ、傷がまた開いてしまうわ!」

「いや、その手負いの大魔熊は俺が取り逃がした奴。だから……」


 レオナールは何も言わなかった。私の判断を待っているのだ。部屋中の視線が、静かに集まっていた。


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