静かなる忠誠
周囲の家々からも、人々が様子をうかがうように集まってくる。息を潜め、遠巻きにこちらを見つめる視線が、じわりと増えていった。
「お久しぶりです。レオナール家宰様。我が一族の者が失礼を致しました」
現れた中年の男――カーティスは、深く頭を下げた。腰を折る角度、間の取り方、そのすべてに無駄がない。
その所作には、明確な格式があった。長く積み重ねられてきた家の重みを感じさせる、揺るぎない礼だった。
「今日は、ウルフェンハルト侯爵令嬢にして、ワールドエンド執政官 シズカ様の巡回だ」
いつもは、私が令嬢の娘であることを明かさない彼が言った。その一言は、場の空気を静かに塗り替える。
「え? 令嬢が執政官……それではミラーは?」
「話は後だ。シズカ様をここに立たせておくつもりか!」
レオの声音が変わる。
領民に向ける普段の穏やかさは影を潜め、張り詰めた刃のような響きがあった。
命じる者の声。だがそれは、ただの威圧ではない。秩序を正すための、揺るがぬ責任の音だった。
その鋭さに、思わず息を呑む。頼もしさと同時に、わずかな畏れすら覚える。
――これは、家宰である彼が配下へ話す時と同じだ。
「失礼致しました。こちらです」
カーティスは慌てて、私たちを屋敷の中へと案内した。
「こちらへ」
屋敷の中には、歴史を感じさせる古い肖像画や、今は使われていない狩猟の道具が飾られていた。
色褪せた絵の中の当主たちが、無言でこちらを見下ろしている。
思わず目を引かれる――が、今はそれどころではない。
私たちは挨拶を交わし、来訪の目的を話した。カーティスは、ヴァイスウルフェン家の現当主らしかった。
「領民集会ですか? わかりました。我々が参加しても宜しいのですか? 過去のことをシズカ様はご存知ないのでは……」
「過去のこと? ……ミラーのことですか?」
問いかけた瞬間、カーティスの表情がわずかに強張った。ほんの一瞬、過去の記憶がよぎったかのように。
「いいえ……レオナール家宰様、お話ししても宜しいのですか?」
「お嬢様が尋ねておられるのだ。……答えよ」
鋭い声――だが、その奥にわずかな抑制があった。
一瞬だけ、レオの視線がカーティスに向けられる。責めるのではなく、見極めるような静かな圧。
やはり、普段のレオとは違う。
厳しさの中に、ただの威圧ではない“何か”がある。
カーティスは視線を落とし、小さく息を吐いた。胸の奥に溜め込んでいたものを押し殺すように、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「……ワールドエンドの執政官代行は、ヴァイスウルフェン家が代々継承しておりました」
一度、言葉が途切れる。部屋の空気がわずかに重くなる。
「ですが――」
短く区切り、さらに声を落とす。
「我が父が、罪を犯し……解役されました。そして、ウルフェンハルト家からも、一族を追放されました」
「どうも誤解があるようだな」
レオナールが静かに首を振る。
「謹慎処分だ。追放などしていない」
その声音には、断定と同時に、どこか苦味が混じっていた。過去を知る者にしか出せない、わずかな陰り。
「ですが、ミラーからそのように聞かされて、領民として納税をしております」
私は悟った。
長い時間をかけて歪められた認識が、ここに根を張っている。
「事情は、わかりました。まずミラーのこと、陳謝します」
頭を下げる。迷いはなかった。
――空気が、止まる。
誰もすぐには言葉を返さない。視線だけが、互いを探るように交差する。
戸惑いと困惑が、その場に静かに広がっていく。
……何か、場違いなことを言ってしまっただろうか。
胸の奥に、わずかな不安が差し込む。
「ウルフェンハルトのお嬢様が頭を下げられるなど、考えも及ばぬことです」
レオナールが静かに言った。その声には、驚きと――わずかな誇りが混じっている。
「アカリ姉様ならそうかもね。でも、執政官である私は謝るわ」
一度、息を整える。言葉に責任を宿すように。
「これから事情を話します」
ミラーは、多くの領民から過剰な税を徴収し、その差分を私的に流用していた。
本来守られるべき者たちの生活を削り、その上で虚偽の報告を重ねていた。
ミラーの不正の内容と処罰については、集会で話すことに決めていたが、彼らだけには先に話すことにした。
「では、我らも騙されていたのですね……くそっ。それで、ミラーの奴は……」
「厳罰に処した。それだけでわかるだろう」
レオの声は低く、揺るがない。
「やり口が、過去にお前たちが起こした事件と同じだった。大規模だったゆえ、共犯かと一瞬疑ったが……」
わずかな間。
その沈黙は、試すようでもあり――同時に、信じる前提の確認のようでもあった。
「……ありえません」
カーティスが顔を上げ、断言する。
その目には、迷いがなかった。誇りだけが、そこにあった。
「レオナール、揶揄うものではありません」
「……申し訳ありません」
短く応じるレオの声音は、わずかに柔らいでいた。
「無実なのはわかっています。お預かりした税は全てお返しします」
「全てですか?」
「もちろんです」
私は、ごく自然に言葉を続けた。
「ヴァイスウルフェン家は、我が一族なのですから」
その瞬間――
沈黙が落ちた。
張り詰めたものではない。何かがほどけ、満ちていくような静けさ。
この最果ての地にして、ウルフェンハルト家の発祥の地を守ってきたのは、彼らなのだ。
風雪に耐え、誇りだけを手放さずに。
それに対する私の敬意は、本物だった。
私は、レオナールに問われた課題に答えを出した。
やがて――
カーティスの肩が、わずかに震えた。
家人の一人が、顔を伏せる。手が強く握られている。
声はない。
ただ、押し殺すように――静かに、涙がこぼれ落ちていった。
私は立ち上がり、彼らへと歩み寄る。足音がやけに大きく響いた。
「ヴァイスウルフェンの名を――もう一度、誇りなさい」
その言葉は、静かに、しかし確かに場を支配した。
否定ではなく、赦しでもなく――「帰属」を与える言葉だった。
カーティスはゆっくりと膝をつき、額が床に触れるほど、深く、深く頭を垂れる。
それは謝罪ではない。
過去への悔恨でもない。
――忠誠だった。
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