毒を抱く男
「いや、ここは王族の別荘の使用人邸だ」
中庭の奥には、古い木造の屋敷が建っていた。
豪華さはないが、長い年月を経てきた重みがある建物だ。ルーナ分隊の駐屯所と同じような、どこか歴史を感じさせる木造の建物だった。
「何しに来たの?」
私は半ば呆れて言った。
「ここが俺が借りている場所でね」
カリオンは、どこか意味ありげに笑った。
「はぁ? 街に借りればいいじゃない?」
「ここの方が、孤独になれる」
冗談とも、本気ともつかない口調だった。
私は思わず彼の横顔を見た。
彼は、いつもと変わらない笑顔を浮かべていた。
冗談とも本気ともわからない彼のセリフに、私は妙に落ち着かない気持ちになった。
使用人邸だと言っていたが、その屋敷には人の気配がなかった。
静まり返っている。床板がきしむ音だけが、廊下に響く。長い廊下の先にある広間に入った。
その瞬間、ふわりと薬草の匂いが鼻をくすぐった。
天井から干された薬草。壁際の棚には瓶や薬包。机の上には、分厚い書物がいくつも積まれている。
私たちは、そこに置かれたソファに腰を下ろした。
静かな時間が流れる。
外からは、風に揺れる木々の音だけが聞こえた。
「本当に誰も居ないのね?」
私は周囲を見回しながら言った。
「ああ、こっちは旧邸の方だから」
「わかったわ。カリオンが何者かは聞かないけど、もう十分よ」
私は小さく息をついた。
王直轄の騎士団分隊長。そして、この場所。
王族の関係者。
ここで込み入った話を聞いてしまえば、私はきっと巻き込まれる。
魔物討伐の冒険者たちにも、話せない過去や生い立ちはある。
それと同じだ。
知らない方がいいこともある。
胸の奥に、嫌な予感がゆっくり広がっていく。
「いや、シズカにだけ見せたいものがあるんだ」
彼は静かに言った。
そして——
シャツを脱ぎ始めた。
「はぁ?」
思わず間の抜けた声が出た。冒険者の中には、筋肉自慢をする男もいる。
でも、カリオンがそんな性格だとは思えない。
違う。次の瞬間、それがわかった。
彼の肌は、まだらな紫色に染まっていた。皮膚の下から、毒が滲み出しているような色。血管が黒く浮き上がり、まるで体の内側を毒が這い回っているようだった。
私は息を呑んだ。
これは——異常だ。猛毒。
普通の人間なら、とっくに死んでいてもおかしくない症状だった。
「待って、ポーションをつけるわ」
私は慌ててポシェットを開いた。
腰にかけている薬箱からいくつものポーション瓶を取り出す。
回復薬。解毒薬。炎症止め。
どれを使うべきか、必死に見比べる。
「いや、これは普通の回復薬や解毒薬では治らない」
カリオンは穏やかに言った。
「色々試したからね。それと、小さい時からだ」
私は手を止めた。
守護の指輪を持っているくらいだ。お金はある。
きっと、最高級の薬も試してきたはずだ。それでも治らない。
「治らないのはわかったわ。でも痛いんでしょ?」
「まあ、ちょっとだけね。もう慣れたよ」
嘘だ。
そんなわけがない。こんな毒が体に回っていて痛くないはずがない。
きっと、絶えず激痛が襲っている。それでも彼は耐えている。
彼の強靭な精神力が、それを支えているのだろう。
そして、この部屋。
「私は薬師でも医師でもない」
私はゆっくり言った。
「でも、下手な治療をすれば逆効果なのはわかる」
私は一本の薬瓶を選んだ。
「だから、皮膚の損傷だけ。痛みだけ取りましょう」
「やってみない?」
カリオンは少し驚いたように目を瞬いた。
「それは試したことがないな。でもシズカに移らないか心配だ」
「過去そんなことは無かったでしょ?」
私は小さく笑った。
「遠慮することはない。もし痛みが酷くなったら中止するわ。すぐ言ってね」
私が選んだ薬。
それは——
治療が間に合わずに亡くなる冒険者たちに塗る薬と同じ種類だった。
「ありがとう、シズカ」
そう言って、私の胸の中で息を引き取った冒険者たちの顔が浮かぶ。
だけど。
彼には、死んでほしくない。
なぜか、強くそう思った。
こんな毒が体を蝕んでいるのに、
彼はいつもと同じ顔で笑っている。
そんなのは——ずるい。
彼にはまだ、やり遂げなければいけないことがある。
そんな気がした。
私はそっと、カリオンの頭を膝の上に乗せた。
膝枕。
指に薬を取り、紫色の皮膚へゆっくり塗っていく。丁寧に。
私は治癒師でも、治癒魔術を使えるわけでもない。
ただ、塗ることしかできない。
それでも——
少しでも楽になってほしかった。
カリオンは気持ちよさそうに、目を閉じていた。
「今日はいい日だ」
ぽつりと彼が言う。
「秘密を見せただけなのに」
「そのまま、眠ればいいわ」
彼は、やがて小さな寝息を立てた。
私はそっと彼の頭を膝から外し、静かにソファへ移す。
洗面所に行き手を洗い、部屋の中を見まわした。
部屋にある物をじっくり観察し記憶した。記憶力には自信があるのだ。
「おやすみなさい」
彼に、寝室から見つけてきたシーツをかけると、私は静かに部屋を出た。
屋敷を出ると、夜の空気がひんやりと肌に触れた。
壁の門に近づくと、自然と扉が開く。
壁の外に、一頭の馬が止められている。
その横に立っていた男が、私を見ると静かに頭を下げた。
「シズカお嬢様」
レオナールが待っていた。
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