エレノア 上
歴史のある王国には、花が咲く。
その花を綺麗に咲かせる者がいる。――それが、エレノアだ。
ウルフェンハルト侯爵家。王国の四大侯爵家の筆頭。
その美しい娘の側には、必ず彼女が控えている。
エレノアは、幾つかの家の家政婦を経て、ウルフェンハルト家にスカウトされた。
どの家でも彼女が去るのを強く引き留めたが、彼女の意志は固かった。
決して、待遇が不満で渡り歩いているのではない。
人間関係にも不満はない。
だが、彼女には――誰にも言わない理由があった。
表向きは病気で亡くなった、彼女の愛すべき主人。
娘のように大切にしていた、その小さな主人。
生まれ変わりなど信じてはいない。
だがエレノアは、どこかで彼女の面影を探していた。
もし見つけられたなら。
今度こそ、その子を慈愛に満ちた女性に育てる。
それが、彼女の密かな願いだった。
「喜ぶべきことだが、嫡子が年子で女が誕生してね。次女のシズカ様を見てくれる者を探していたのだ」
古参のメイドたちは、長女アカリにつきっきりになっていたからだ。
「わかりました。精一杯勤めさせていただきます」
エレノアは静かに頭を下げた。
シズカは手間のかからない、大人しい子だった。
悪く言えば、鈍く、間の抜けた子だ。
呼びかけに一拍遅れて返事をする。だがその返答は、妙に的確で、余計な言葉がない。
与えられた本は一度読めば内容を忘れないようで、同じ箇所を繰り返し尋ねることもなかった。
――だが、それらは「大人しい子」の範疇に収まる違和感として、見過ごされていた。
この家では、早熟で頭の良い派手な姉――アカリと常に比較される。
「育て方が悪いのかしらね。あ、ごめんなさいね……」
それは暗に、エレノアを馬鹿にしていた。
厚遇されている彼女への嫉妬もあるのだろう。
学校の成績では、学年最上位のアカリと、最下位のシズカが定位置だった。
何を考えているかわからない。取り柄もない凡庸な子供。
それが――その頃のエレノアの、シズカへの評価だった。
「そろそろ、違う家に移ろうかしら……」
そんな考えがよぎることもあった。だが、雰囲気が似ていたのだ。愛すべき主人に。
言葉にはならないが、視線の奥に、何かを測るような静けさがあった。
だが、ある時からシズカは変わった。
家庭教師の授業で積極的に質問をし、
一人で図書館にこもり、ずっと本を読んでいる。
その選ぶ本は、年齢相応とは言い難いものが混じり始めていた。
理解しているとは思えない内容を、迷いなく手に取っていく。
そして――
「学科試験 全教科学年一位」
その輝かしい成績を手にした。
「侯爵様に、報告に行きましょう」
「でも……」
「遠慮せずに。さあ」
エレノアはシズカの手を取り、執務室の扉を叩いた。
中からは、楽しげな侯爵と女性たちの声が聞こえてくる。
「誰だ?」
「エレノアです。シズカ様の試験の報告に参りました」
「入れ!」
中にはアカリと、お付きのメイドたちがいた。
どうやら先に成績の報告に来たらしい。
アカリたちが、微笑んでこちらを見ている。
その微笑みは柔らかいが、視線だけがわずかに低く、位置を定めるようにシズカに落ちていた。
エレノアは臆せず、声を張り上げた。
「シズカお嬢様が、学科で全科目学年一位を取りました」
「それは素晴らしい」
機嫌の良い侯爵は、さらに機嫌を良くした。
だが――。
「でも……総合順位はどうなのかしら? まさか、下から数えた方が早いんじゃない? アカリお嬢様は総合一位よ」
アカリの取り巻きの年長のメイドが言った。
「この子なりに頑張ってるんだから、そんなこと言っては駄目よ。昔から愚鈍な子なんだから」
アカリがシズカの頭を撫でて庇った。
その手つきは優しく、逃げ場を与えないように、わずかに力がこもっていた。
シズカは下を向き、唇を噛んでいた。
姉は微笑んでいる。
だがその目が、妹を見下していることをエレノアは見逃さなかった。
残念なことに、シズカは魔術がまったく使えなかった。
そのため自動的にその科目はゼロ点だ。
馬術や剣術、舞踊も、どちらかと言えば苦手だった。
だから総合順位は、どうしても下位に落ち着く。
エレノアは、ここにシズカを連れてきたことを後悔した。
「アカリは何でも出来て、優しいな。男でなくてもこの家の後継者に相応しい。シズカを官僚として使ってやってくれ」
「お父様、私たちは嫁がないといけないのですよ」
「お前だけは手放すわけにはいかんな」
侯爵の中で、順位付けがなされてしまった。
それは仕方がない。
だが、主役の座を見せつけられるとは……。
「報告は以上です」
エレノアはシズカの手を引き、逃げるように部屋を出た。
彼女が悔しそうな顔をしたのは、姉に頭を撫でられた一瞬だけだった。
すぐに、けろっとしている。
まるで、感情を切り替えるのではなく、最初からそこに置いてきたかのように。
「部屋に戻って本を読んでいいかしら」
まるで、つまらない用事が済んだと言わんばかりだ。
「はい、シズカお嬢様。私の特製モンブランケーキを食べませんか? ホールごと」
「やったぁ。私、エレノアのケーキなら何でも好きよ。でもそんなには食べられないから、エレノアも一緒に食べてね!」
エレノアは家宰の男を誘い、贅沢な材料を買いに走った。彼は無駄口を叩かない男で、屋敷の金と人の流れを一手に握っている。使用人たちの間では、侯爵よりも恐れられている存在でもあった。
「シズカお嬢様のためならば」
その彼が嬉しそうに微笑んでいた。
※
後日、エレノアはあることを知った。
「シズカ様に最高学年用の問題をお出ししたのです。何点取られたと思いますか?」
家庭教師は、どこか誇らしげに言った。
「半分くらいはできたのかしら。あの子、頭は良いもの」
口にした瞬間、自分の認識がいつの間にか変わっていたことに、エレノア自身が気づいた。
「まさか。ほぼ満点ですよ。きっと王国始まって以来の天才でしょう。いずれ王国大学の最年少学長になられるに違いありません。そして――僕はその恩師になるのです」
「それを早く言いなさいよ!」
家宰に話すと、つれなく返された。
誇らしげに、そしてどこか小馬鹿にしたように。
「当たり前だよ。今頃知ったのか?」
「それなら、何で侯爵様に……」
「能ある鷹は爪を隠す。だが竜になれば、隠していても、誰もが見上げ崇める。卵を大切に育てる時だ」
淡々とした声だったが、その言葉には確信があった。まるで、すでに未来を見ている者のように。
彼らしくない賞賛に、エレノアは戸惑った。
まだ――シズカの本質を、エレノアは知らなかったのだ。
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明日も20時過ぎ、エレノア 後編をお届けします。




