執政官の初裁定
馬車は、夜の土の道を軋ませながら進んでいた。
目的地は、今日二度目となる――村の外れ、小高い丘の上に建つミラーの屋敷だ。
「ねえ、クロエ、何で私が出かけるってわかったの?」
向かいに座るクロエの耳が、ぴくりと動いた。
「主、話してたよ。出かけるって……」
「あ……」
思わず言葉を失う。
私たちの会話を聞いていたエレノアが、隣で静かに眉を顰め、クロエを問い詰めた。
「クロエ、盗み聞きですか?」
「違います! 普通に聞こえるんですよぉ、皆んな聞こえてますよ」
しまった。
獣人族もエルフも、人族とは比べ物にならないほど優れた聴力を持っている。壁越しでも扉越しでも、声は届いてしまうのだ。
ウルフェンハルト侯爵家の屋敷では、父の執務室や会議室など重要な部屋には、消音魔術の魔道具が置かれていた。
姉のアカリは、自室にもそれを置き、さらに携帯できる物まで持っていた。侍女や親しい令嬢たちと集まり、他家の噂や令嬢の評判を囁き合う、閉ざされた茶会のために。
『貴女は、魔道具へも魔力を込められないポンコツだものね』
冷たい声が、胸の奥によみがえる。その瞬間、指先がわずかに震えた。胸の奥を、氷の針でなぞられたような感覚が走る。
『魔石を買うか、込められる人に頼めばいいんでしょ?』
『そうね。貴女は無駄金を使い、他人に迷惑をかけるのね!』
息が、ほんの一瞬だけ詰まる。
視線を落とし、手を膝の上でそっと握りしめた。 私は、そんな姉との会話を思い出し、視線を落とした。
だが私個人には、必要ない物だ。陰口なんて叩かない。
「申し訳ありません。シズカお嬢様、私たちの配慮が足りませんでした。急ぎ魔道具を手配致します」
エレノアは、揺れる馬車の中で、背筋を伸ばしたまま深く頭を下げた。
悪いのは、彼女じゃない。
領地を預かる執政官としての、私の意識が低かったのだ。
「違う!」クロエが思わず叫んだ。
「主がみんなのこと考えてくれてるって、すごく感謝して喜んでた。悪口も言わない、面倒だとも言わないって! 本当に、優しい主だって!」
胸が、少しだけ熱くなる。私は、窓の外を見た。
暗闇の中、月光を受けた丘の上の屋敷が、少しずつ近づいてくる。
「……そっか」
小さく呟き、二人を見た。
「でもね、執務室は秘密の打ち合わせもあるの。だから、聞こえなくするわ。守らなきゃいけないこともあるから。みんなにも、説明するわ!」
エレノアは顔を上げ、わずかに呆れたように眉を寄せた。
「……そのようなこと、領民に教える必要はありません」
そして、小さく息を吐く。
「まったく、お人好しですね」
責める声ではなかった。
その時。
馬車は、車輪の軋みが弱まり、ゆっくりと速度を落とした。
レオナールが手綱を引く気配が伝わってくる。
私は窓の外へ目を向けた。ミラーの屋敷は、すぐ目の前だった。
だが――その屋敷は、灯りが一つもなかった。
※
「レオナール、館の灯りが……」
「落としてあります。心配には及びません」
わずかな間を置いて、彼は続けた。
「……本来なら、裏の連中を刺激するやり方は避けるべきですが。今回は時間がありませんでした」
私たちが近づくと、扉が開き、室内の灯りが漏れてきた。
「お戻りをお待ちしていました」
そこには、レオナールが連れ出した狼人と犬人の青年がいた。
装備は、捕まえた冒険者から取り上げたものだ。立派な警備兵に見える。
その堂々とした佇まいに、頼もしさを感じた。
「ご苦労様、怪我は無い?」
「はい、家宰様があっという間に、倒されましたので……」
エレノアは、クロエを連れて屋敷の見回りで席を外した。
私たちは、屋敷にある応接室に通された。
部屋全体が、ウルフェンハルト侯爵家のような豪華さだ。
執政官邸の、古い破れているソファと机しかない部屋とは大違いでだった。
「それじゃ、シズカお嬢様が来られたので、尋問を行う。まずは、冒険者から行う。連れてきてくれ!」
レオナールが指示を出した。
「誰からにしましょうか?」
「シズカお嬢様。冒険者たちは、情報をもっていません。リーダーからで良いと思われます。……無用な刺激は避けるべき相手でもあります」
私が頷くと、二人がリーダーを連行してきた。
私たちに矢を放った男だ。冒険者の服から、この館の下男の服に着替えていた。
大男の弓使いは、窮屈そうで今にもはち切れそうで、私は笑いを堪えるのに必死だった。
「俺たちは、契約に従って守っていただけだ。ミラーの奴隷の売り買いや徴税には一切絡んで無い。それは契約に無いからな。この屋敷にも足を踏み入れてない」
一息で言い切るその声音には、開き直りだけでなく、どこか焦りが滲んでいた。
背後の仲間たちの気配を、何度も確かめるように視線が揺れる。
「お前達が、契約をしたのは、闇ギルドだろう?」
レオナールが追求する。
「そうだ、それが悪いか?」
言い返しながらも、わずかに喉が鳴る。
引き際を探るように、目だけが忙しく動いていた。
「いや、闇ギルドにも不文律があることを忘れてないか? 我がウルフェンハルト侯爵家が、闇ギルドの庇護者であり手を出すことが禁じられていることを?」
闇ギルド、暗殺者、盗賊など裏の職業ギルドの総称だ。
「……ああ……」
「お前がしたのは、ウルフェンハルト侯爵のご令嬢への暗殺だ」
「違う、許してくれ、知らなかったんだ!」
弓主の男は態度を急変させ、土下座して懇願した。
だがその額は床に押し付けられながらも、歯を食いしばっている。
――仲間だけは助けたい、そんな必死さがにじんでいた。
「どうしますか? お嬢様」
「謝罪は受け入れますが、態度で示してもらわないと」
「わかった。賠償金を払う。俺たちが受け取った半分 大金貨七十五枚でどうだ?」
ほんの一瞬、迷いが走る。
それでも男は続けた。
「……これ以上は出せねえ。裏の連中にも顔がある」
私はにこりと笑って答えた。
「良いでしょう。但し、武器と防具、馬は全て没収します。それと、ウルフェンハルト領へ入ることを禁じます」
「……武器や防具がいくらすると思ってるんだ!」
きつい口調で冒険者が答えると、レオナールが睨みつけた。男は思わず下を向く。
「ウルフェンハルトへ入れない方が大変じゃないのかな? 貴方達どこへも行けなくなるわよ?」
「それもだ! 何とかならないか?」
「ワールドエンド領へ入ること禁止に変えてあげるわ。これが最終通告よ」
レオナールが紙を取り出し、あっという間に書類を書き上げる。
「さあ、サインしろ。明日にはルーナにある裏ギルドの支店に連れてってやる。それまで監獄で大人しくしていろ! 忙しいんだ、条件が悪くなっても知らんぞ!」
男はしばらく動かなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……仕方ない。仲間に手ぇ出さねえって約束しろ」
「契約通りならね」
短い応答の後、
冒険者の首領は、筆を取りしぶしぶサインをした。
用事が済んだとばかりに、部屋を出て行こうとする彼に私は声をかけた。
「それと、五年も済んでいたのよね。人頭税を払ってもらうわ。遅延金は勘弁してあげる。全員で、大金貨 五十枚よ」
男が壁を叩く。
「壊したら弁償よ。あ、裏ギルドに仕事を公募したら、応募しても良いわよ」
「チッ、二度とこんな場所来るもんか」
小声のつもりの男の呟きに、私たちは思わず笑ってしまった。
その背中には、敗北だけでなく――
かろうじて守れたものへの安堵が、わずかに滲んでいた。
私が執政官としての最初の判決が終わった。
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