二つの通帳
「ご苦労様、捕まえましたか?」
「はい、全員、ミラーの屋敷の牢に入れました。この領地で起きたことです。執政官であるお嬢様が、どうなさるかお決め下さい」
ウルフェンハルト侯爵領の分領であるワールドエンドの法は、本領に準ずる。だが――最終的に裁くのは、この地の責任者である私だ。
「カリオンに相談しようかしら」
「構いませんが、ここはワールドエンドです。お忘れなきよう」
厳しい言葉だった。逃げ道を塞ぐ、けれど正しい言葉。
この地で起きたことは、私が解決し、私が判断しなければならない。
もしミラーを他に引き渡すようなことになれば、この地だけでなく、ウルフェンハルトの威信そのものに関わる。
「もちろんよ」
「話は変わりますが、本日同行させた獣人のうち、男二名は警備として雇うことをお勧めします」
「わかりました。採用します」
最初から目をつけていて、実力を確かめていたのだろう。
さすが、レオナールだ。こういう判断の速さと確かさは、私にはまだ真似できない。
「それで、レオナール……お金のことで相談があるの。説明したいのだけど」
「説明? 承知しました」
「そうだ、エレノア。家宰様は朝から何も召し上がっていないわ。何かあるかしら?」
彼女はくすりと笑い、調理場へと下がった。
扉が閉まるのを待って、私は小さく息を吐く。胸の奥に溜まっていたものを、吐き出すように。
そして――彼の前でしか見せない顔になる。
「どうしよう……色々、お金が必要なの。復興費に、雇用費に、それから……補填も」
「……でしょうね」
私は、へそくりと宝石を売っても、必要な額には届かないと説明した。計算した数字を思い出すたび、胸の奥が重くなる。
声に出してしまうと、自分の無力さを突きつけられるようだった。
「分領ワールドエンドとして、ウルフェンハルトに資金をお借りしたく存じます。もちろん、利子を付けて返済します。返済計画も立てます。一年……いえ、二年以内には必ず」
言い終えたあと、自分の手がわずかに震えていることに気づいた。
いつもなら『わかりました』と即答する家宰が、何も言わず、ただ静かに微笑んでいる。
――呆れられたのだろうか。執政官失格だと。
また、間違えたのだろうか。
それでもいい。これは、私が成功させなければならない交渉だ。逃げるわけにはいかない。
「サンドイッチとコーヒーでございます、レオ家宰。シズカ様の分も」
エレノアが戻ってきて、私たちの顔を見比べた。張り詰めた空気に、ほんのわずかに首をかしげる。
「頂こう」
レオナールが手を伸ばす。
しかし、その皿は途中で止められた。
「――その前に、レオ。隠している物を出しなさい」
「え? 隠している物?」
思わず声が漏れる。
そうだ。これは、私が重大な見落としをしているときのレオナールの顔だ。
けれど――思いつかない。頭の中をいくら探っても、空白しか出てこない。
「大事なご報告がございます。ミラー屋敷より、こちらを回収いたしました」
彼が内ポケットから取り出したのは、一冊の通帳だった。
ウルフェンハルト家ワールドエンドの紋章が刻まれた、重みのある銀行通帳。手にした瞬間、ずしりと現実の重さが伝わってくる。
「中身は確認済みです。詳細は改めてご報告いたしますが――先程お話しされていた額であれば、こちらで賄えます」
一瞬、意味を理解できなかった。言葉が頭の中で弾かれる。
そして――ゆっくりと、数字と現実が繋がる。
「……良かった……」
全身から力が抜けた。膝が崩れそうになるのを、かろうじてこらえる。
張り詰めていた糸が、ようやくほどけていく。喉の奥が熱くなる。
――この二人の前では、私はまだ子供だ。
※
「それと、もう一つ」
我が領地の通帳よりも、豪華な装飾の通帳。明らかに格が違う。
「見たことの無い紋章が付いてますね」
「それはそうでしょう。これは、ミラーの通帳です」
残額が、我が領地のものよりもはるかに多い。
ウルフェンハルトの本領の残額が、大金貨三十枚なのに、この通帳の残高は、大金貨二千枚。
私は、目を見開いた。息を呑む音が、自分でもはっきり分かった。
地方の裕福な子爵の財産に匹敵する額だ。
「奴はここに、不記載住人の人頭税や、割増した追加の税を不正に蓄財していました。記録に残らない者から、容赦なく搾り取っていたのでしょう」
「そんな……住民から、そんなやり方で……」
胸の奥に、じわりと怒りが広がる。冷たい怒りだった。
「でも、どうやって?」
「振込でなく、直接集金したようです。屋敷から、偽物の証書の山が出て来ました」
専門家が見れば、一瞬でわかる代物だが、そんな者はこの地にはいないのだろう。
「返金を考えると頭が痛いですね。被害者の特定も必要になりますし」
「私の方で調査をして、報告致します」
「いえ、私も。住所への謝罪と説明も一緒に行きます。これは、私の責任でもあるから」
「申し訳ありません」
レオナールが、私に頭を下げた。
「やめてよ、レオ。それよりも、ウルフェンハルトへの修正納税は猶予が欲しいです」
「もちろんです」
成り行きを見守っていたエレノアが、通帳の一つの数字を指差した。
「何ですか? この大金の支出は?」
大金貨で、千枚。
一瞬、部屋の空気が変わる。誰もすぐには口を開かなかった。
「考えられるのは、ただ一つ。エルフの購入代よね!」
静かな声だったが、その言葉は重く沈んだ。
「……そうですね」
胸の奥が、ひやりと冷える。
ミラーの罪は、単なる横領では終わらない。
「ミラーを尋問します。この口座は……」
私は、再び決断した。今度は迷いなく。
全ての闇を暴かなければならない。
「既に、ウルフェンハルト侯爵名で、この口座凍結を銀行に指示しております」
追放とか、罰金とか、そんな甘い処罰で済ませない。
奴は、奴隷商人の仲間では無い。奴隷商人そのものだ。
二人を連れて、ミラーの屋敷に再び向かうことにした。
エレノアは、目をつけていた犬人と猫人の女性を調理担当に指名し、簡単に指示を出していた。すでに次の体制づくりが始まっている。
私は、エルフの部屋を訪ねた。部屋には森の匂いが漂う。どこか懐かしく、そして澄んだ空気。
「セレディナ、遅くなるから食事は自分たちで作って。獣人族とも仲良くして。食事は好きなものを使って」
「わかりました。お気をつけて、シズカお姉様」
「レオがいるから。でも、この屋敷の警備が……」
「ふふふ、魔封じの首輪の無い我が一族、この屋敷に怪しいものは誰一人近づけません! お守り致します」
その言葉には、誇りと自信が満ちていた。
そうだ。エルフにしても、獣人族にしても、本来、人族よりも遥かに強い。
「うん。お願いね!」
私が馬車に乗ろうとすると、全員がお見送りしてくれた。その光景に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「あれ? クロエは?」
「こちらです、主様。さ、行きましょう」
馬車の扉の前で、彼女は静かに立っていた。すでに全てを見通しているような、落ち着いた眼差しで。
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