守護者
「わかったわ。その水晶石から出してあげる。約束するわ。でも、その前に一つ質問があるの。貴女は、この世界を壊す者なの?」
私の見立てでは、イグナを解放しても問題はないはずだった。少なくとも、今の彼女からは世界を脅かすような危険性は感じられない。
「約束か……。奴らもそう言って、わしをここに閉じ込めた。世界を壊すだと? 誰がそんなことを言った? どうせ森人だろう。森人たちにとって、わしは都合の悪い存在だからな」
「もう、シズカったら。もっとストレートに聞きなさいよ。イグナ。あんたを外に出したら、他人を殺したり、苦しめたりしないかってことよ。まあ、本心で答えるとは思ってないけど」
アカリは笑いながら尋ねた。
「ここに閉じ込められる前の記憶には、曖昧な部分がある。特に、暴走したと言われる時期の前後だけは思い出せん。なぜ暴走したのか、何をしたのかもな……。だが、今のわしには世界を壊す理由などない。ただ、この中にいるのは苦痛だ。頼む、ここから出してくれ」
イグナの悲痛な叫びに、嘘はないと感じた。言葉の奥から伝わってくるのは、長い孤独と苦痛に耐えてきた者の、魂の叫びだった。
「わかったわ。お姉ちゃん、お願い! 水晶玉を壊して!」
「はぁ……仕方ないわね」
アカリは私の頼みに応じ、腰に差していた剣を抜くと、水晶石に突き立てた。
ガキンッ!
硬質な音が響いた。
しかし、水晶石の表面には、わずかな傷がついただけだった。
「何、この硬さ! 私の剣は侯爵家に伝わる名剣なのよ!」
「え? そうなの? 折れたらまずいわね。お父様に怒られる」
「怒らないわよ。それに、今の侯爵家の当主は私だもの。これくらいで折れる剣なんて、使えない骨董品だわ」
そう言いながら、アカリは水晶石の同じ箇所を、寸分違わず何度も突いた。
台座にしっかりと固定されているとはいえ、剣が当たるたびに水晶玉がわずかに揺れる。
「シズカ、押さえて! 揺れないようにして!」
「わかったわ。でも、見事ね。私にはできないわ」
「当たり前でしょ。努力してるから」
姉は自信満々に答えた。
その横顔を見て、私は小さく笑った。
こういうところは昔から変わらない。できると思えば迷わず挑戦するし、できるまで決して諦めない。私には真似できないけれど、だからこそ頼りにもしている。
もっとも、今回ばかりは、もう少し慎重になってほしい気もする。何しろ、壊そうとしているのは、正体も分からない存在を閉じ込めている水晶石なのだから。
「おい! そんなことをして、本当に大丈夫なのか?」
それまで黙っていたイグナが、とうとう声を上げた。
「大丈夫……だと思う。破片が飛んだらごめんね」
「そういう意味ではない! この水晶石はいわば檻だ。それを壊そうとしているのだぞ!」
私たちは顔を見合わせ、そろってくすくすと笑った。
「本当に面倒な子ね。出してほしいんでしょ?」
アカリはそう言って、再び水晶石に剣を突き立てた。
「だが、お前たちは、わしを眠らせに来たのだろう?」
この面倒くささ、まるで私を見ているようだ。
ここから出たいと言いながら、いざ出られるかもしれないとなると、今度は別の心配を始める。
「当初は眠らせるつもりだったわ。森の精霊レスィが言っていたの。私の魔力が増えているのは貴女のせいだって。そして、いずれ魔力に耐えられなくなるから、貴女を眠らせろって。でも、それは嘘よね。どうして嘘をついたのかは分からないけど」
「あやつか……。わしにそんな力はない。私が起きていることと、お前の魔力とどこに関係あるんだ? 馬鹿馬鹿しい」
「じゃあ、森の精霊様は誤解したのね」
「お人好しだな。レスィがお前たちを騙しているとは考えないのか? わしと違って、あやつは信用ならんぞ」
「何を言っているの? 貴女だって、騙そうとしたり脅したりしていたじゃない」
プラドたちが、いつまでもイグナの作り出した霧の魔術に騙されているとは思えない。彼らが到着する前に、水晶玉を壊してしまおうと、私たちは考えていた。
「お前たちは……」
イグナは何か言いかけて、口を閉じた。
剣が再び水晶石に当たる。
キンッ!
表面が、またわずかに削れた。
同じ箇所を攻め続ければ、いずれ亀裂は内部にまで達するはずだ。あと少し。そう思いながら、私は姉の手元を見守った。
「……ああ。お前たちには、私の覚えている過去の話を聞いてほしい」
イグナはスライムのような身体を小さく丸め、昔話を始めた。
「どれくらい昔のことかはわからん。時の感覚がないからな」
「きっと、古代森人や古代鉱人がいた時代ね」
古代。
それは、エルフやドワーフが世界を統べていた時代だ。
人族はまだ少なく、その力も彼らに比べれば圧倒的に劣っていた。
「言っておくが、わしは奴らでも人族でもない。偉大なる御方の守護……守護者だ」
イグナは、そこでわずかに言葉を詰まらせた。
守護者。
その言葉には、単なる役目以上の重みがあるように思えた。




