イグナの正体
「責任って言われても……嫌われ者同士、仲良くしましょう?」
アカリは、イグナの声を気にする様子もなかった。異様な魔力を帯びた声にも、まるで動じていない。
「ふざけるな! どれだけこの時を待っていたと思ってる‼︎」
「お姉さんの悪い癖なの。ごめんなさい。私たちは交渉に来たのよ」
私たちは互いに視線を交わした。交渉の役割分担は、あらかじめ決めてある。
「交渉? 違う。眠らせに来たんだろう! 嫌だ。もうここにいたくない!」
「もしそうなら、私たち二人でここに来たりしないわ。貴女もそう思ったから、私たちが別行動をとるようにしたんでしょ?」
「……」
返事はなかった。
私たちは声のする方へ、臆することなく歩みを進めた。
「来るな! お前たちを食い殺すぞ!」
「それなら私だけにして」
私と姉の声が重なった。
思わず顔を見合わせ、私たちは笑った。
「な、何がおかしい!」
イグナの怒声が通路に響いた。
「だって、二人とも同じことを考えていたんだもの」
アカリは悪びれる様子もなく答えた。
「お前たち、私を馬鹿にしているのか!」
「そんなつもりはないわ。ね、シズカ?」
「うん。少なくとも、私は」
「少なくともって何だ!」
また怒鳴られた。姉は楽しそうに笑っている。
不思議な相手だった。私たちを食い殺すと脅しておきながら、こちらの返事にはいちいち反応する。
怒って、言い返して、また怒る。
その声が途切れると、次は何を言ってくるのだろうと、いつの間にか私たちの方が返事を待っていた。
ふと、イグナもまた、私たちの言葉を待っているのではないかと思った。
どれほど長い間、ここにいたのだろう。何を思い、何を待ち続けてきたのだろう。
私には分からない。
ただ、激しく怒鳴っていた声が、私たちの言葉に応じて再び響く。そのことが、なぜか胸に引っかかった。
「……お前たち、怖くないのか?」
少し間を置いて、イグナが尋ねた。
「怖いわよ!」
「嘘つけ! 怖がってないぞ!」
「もう、面倒な子ね。せっかく話を合わせてあげたのに」
アカリがからかうように言った。
そのやり取りに、私はまた笑った。
不思議と、恐怖は感じなかった。
もしかしたら、私たちもまた、この世界の理からはみ出した存在だからかもしれない。
この世界には、決められた理がある。そこから外れたものは、時に受け入れられず、時に恐れられる。
私たちにも、そうした一面がある。だからこそ、イグナの言葉をただの脅しとして受け流せるのかもしれなかった。
それに、イグナの声からは、私たちとの会話を楽しんでいるような気配さえ感じられた。
怒りをぶつけてくるのも、脅してくるのも、こちらが応じれば必ず言葉を返してくるのも。
「……来るなと言っているだろう」
イグナが低く唸った。
その先に、何かが見えた。
通路の奥に立つ、異様な姿。人の形をしているようで、どこかが決定的に違う。禍々しい気配をまとい、こちらを睨みつけるその姿は、まるで悪魔そのものだった。
「怨霊かな?」
アカリが呟いた。
「平将門、菅原道真……いや、そう考えると怖いかもしれない」
私が答えた瞬間、怨霊の姿が揺らいだ。
「ふざけるな! 私を誰だと思っている!」
声が通路を震わせる。
アカリは怨霊をじっと見つめたあと、足元に転がっていた石を拾い上げた。
「お姉ちゃん、何をするの?」
「ちょっと確かめるだけよ」
そう言うと、アカリは石を怨霊に向かって投げつけた。
石は怨霊の身体をすり抜け、そのまま背後の壁に当たった。乾いた音が響き、脆くなっていた壁の一部が崩れ落ちる。砕けた石片が床に散らばった。
怨霊には、何の変化もない。
「あら?」
アカリは首を傾げた。
「……これもまた、幻影?」
私は怨霊を見つめた。
禍々しい気配は確かに感じる。それなのに、投げた石は何事もなく身体を通り抜けた。
目の前にあるものが、本当にそこに存在しているとは限らない。
「ねえ、もうやめませんか?」
私たちは怨霊をすり抜け、その先へと進んだ。
膨大な禍々しい魔力の発生源は、すぐそこにあった。
「え? イグナってスライムなの?」
「……」
台座の上には、水晶石が置かれていた。その中に、一つの生命体が閉じ込められている。
「どうしたの? 別にスライムでもおかしくないわよ。頭のいいスライムだっているでしょう?」
「違う……年月を経て、形を失ったのだ……かつては、美しい姿をしていた……」
イグナは自らの姿を恥じるように、小さな声で答えた。
「ねえ、話を聞かせて」
私は声をかけた。意識していたわけではない。ただ、自然と優しい口調になっていた。
「長い年月の間に、肉体は溶けた。だが、意識は消えなかった。死んだと思ったが、ただ眠りについただけだった。……無限地獄だ」
「なぜ、ここに閉じ込められているの?」
「そこからか……。お前たちは、この禍々しい魔力に嫌悪感や恐怖を覚えないのか?」
「不感症みたいに言わないで……それに、慣れてきたわ!」
私たちは再び顔を見合わせ、笑った。
「お前たちは特別だ。私の見込んだ通りだ。他の奴らが来る前に殺してくれ!」
「……それはできない。だって、本当の貴女の望みじゃないから。私たちを騙そうとしたのはどうして?」
だが、イグナから答えは無かった。
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