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第10話 主婦、街を目指す



歩いても歩いても、草原は尽きなかった。


さっきまで「半日歩くなんて冗談じゃない」と文句を言いながらも、どこか心の奥では、まあ異世界の“半日”ってやつはわりとふわっとした表現で、実際には二時間くらいのことを大げさに言っている可能性もあるんじゃないか、と淡い期待を抱いていた。ほら、旅行先で「駅からすぐですよ」と言われて歩き始めたら十分以上かかる、みたいな、ああいう言葉の伸縮ってあるじゃない。異世界だってそのくらいの雑さはあるだろうと、自分に都合のいい方向へ解釈していたのだ。


甘かった。


めちゃくちゃ甘かった。


草原は本当に、どこまでも続いていた。見渡す限りの緑、緑、緑。風が吹けば腰の高さまである草が一斉に揺れ、陽光を浴びた葉先が銀色の波のようにきらめく。空は高く、雲の影がゆっくりと大地を横切り、そのたびに草原の色味が深くなったり淡くなったりする。景色としては文句なしに美しい。けれど、歩く側からすると、その美しさは「終わりが見えない」という絶望の演出にしかなっていなかった。


私の足はすでに、自転車を押しながら急坂を登るときの比ではないくらい悲鳴を上げている。ふくらはぎはじんわり熱く、足の裏はじくじくと痛み始め、ブーツの中で指が小さく縮こまっているのが分かる。家事って案外立ちっぱなしだし動き回るし、主婦もそれなりに足腰を使っているつもりだった。つもりだったけれど、それとこれとは話が違う。買い物帰りに荷物を抱えて歩くのと、異世界の草原を延々縦断するのとでは、疲労の質がまるで違った。


「……ルミナ」


私はついに我慢しきれなくなって、前方をふよふよ飛ぶ妖精へ向かって声を絞り出した。


「はいっ、なんでしょう!」


元気だなぁこの子。見てるだけで腹が立つくらい元気だ。こっちはすでに“夕方五時の主婦”みたいな疲労感なのに、なんでそっちは朝の子どもみたいなテンションを保てるの。


「ねえ、これってさ……半日で着くって言ったよね? 嘘じゃないよね? “半日”っていうのは比喩とか、異世界特有のやたら長い単位とかじゃなくて、本当にその半日?」


ルミナはくるりと振り返り、なんでもないことのように、むしろ私の質問を微笑ましく思っていそうな顔で頷いた。


「嘘じゃありませんよー。まだ四分の一くらいです!」


四分の一。


その単語が耳から入った瞬間、私は歩きながら真顔になった。


四分の一って何。つまりまだ残り四倍あるってことじゃん。私いま、感覚的にはすでに“かなり歩いた”側のつもりなんだけど? ここからさらに同じ時間を三回分重ねるの? 何その罰ゲーム。町内会の清掃活動だって、ここまでの拘束時間は求められないわよ。


「四分の一って、まだ四倍あるってことじゃん……」


声が掠れた。呻きに近かった。


「はいっ!」


「はいっ、じゃないのよ!! そこはせめて申し訳なさそうにして!? “実はまだ序盤です”って報告を、どうしてそんな春の遠足みたいな明るさでできるの!?」


叫びながら視線を上げると、群青色の空を横切っていく影が見えた。翼を大きく広げた鳥の群れ――と思ったのも一瞬で、私はその輪郭に違和感を覚える。羽毛ではなく皮膜の張った翼。しなる尾の先端には細い棘。嘴ではなく、どちらかといえば爬虫類めいた頭部。


「……ちょっと待って」


私は思わず足を止め、空を指差した。


「今、なんか恐竜の親戚みたいなの飛んでたんですけど!? あれ鳥じゃないよね!? 皮膜だし、尻尾にとげ生えてるし、小型飛竜って感じなんだけど!?」


「ふふ、驚いてますねサナさん」


ルミナが楽しそうに笑う。いや楽しむな。こちらは全然楽しくない。


「驚くでしょ! こっちの普通がまだ全然更新されてないんだから! 日本の空にいる“普通”は鳩とかカラスなの! たまにトンビが旋回してるだけでも『おおっ』ってなるのに、いま見たの完全にファンタジー生物だったんですけど!?」


「彼らはこの世界に普通にいる生き物ですよ」


「普通って言葉の乱用やめて! その便利な“普通”で異世界の異常を全部包み込もうとしないで!」


空を横切っていった飛竜もどきの群れは、何事もなかったように遠ざかっていく。あんなものが日常の風景として存在している世界。考えれば考えるほど、自分がとんでもない場所へ来てしまったのだと実感する。


……そういえば。


歩きながら、私は改めて思った。私はこの世界のことを、ほとんど何も知らない。魔法がある。モンスターがいる。湖畔には精霊樹なんて神秘的なものがそびえていた。気脈やエーテル……いやエーテルじゃなくて何だったっけ? よくは思い出せないけど、その辺のカタカナもどんどん増えている。それなのにこの世界そのものについては、私はほぼ白紙のままだ。


ゲームなら最初に世界観説明ムービーとか、ヘルプ画面とか、設定資料集とかあるじゃない。なんで私はいきなり実地研修スタートなの。準備資料もなく配属された新人みたいな気持ちなんだけど。


「ねえルミナ、ちょっと聞いていい?」


「はい、なんでしょう?」


「この世界って……そもそも、どういう場所なの? 私、いきなりここに放り込まれて、目の前のことに振り回されるばっかりで、全然分かってないんだけど」


私の問いに、ルミナは少しだけ表情を和らげた。いつものお調子者めいた軽さがすっと引いて、どこか語り部みたいな落ち着いた雰囲気になる。その切り替えの早さに、私は内心で少しだけ驚く。


「そうですね……せっかく草原を歩いていることですし、旅のお供にお話ししましょう」


旅のお供って、温かいお茶とお菓子くらい軽い響きで言われても困るんだけど、まあ情報がもらえるなら助かる。私は息を整えながら歩調を少し緩め、ルミナの言葉に耳を傾けた。


彼女は半透明の羽をひらひらと揺らしながら空を仰ぐ。その仕草につられて、私も空を見る。白い雲が流れ、その向こうで、さっきの飛竜らしき影が小さく旋回していた。現実離れした光景なのに、しばらく見ていると不思議と景色の一部に思えてくるから恐ろしい。


「サナさん。この大陸だけが世界ではないのです」


唐突に切り出された言葉に、私は思わず歩みを緩めた。


「え、どういうこと? まさか地球みたいに大陸がいっぱいあるって話?」


「はい。この世界は《八大陸世界》と呼ばれています。八つの巨大な大陸が環状に並び、それぞれに独自の文化と“神”を戴いているのです」


八大陸。


私は頭の中に、学校の地理の教科書で見た色分けされた世界地図を思い浮かべる。七大陸六大州、とか習った記憶があるけれど、ルミナの言い方はそれよりずっと神話めいていた。大陸が八つあって、それぞれに神様がいる。神様ってそんな行政区分みたいに配置されるものなの?


ルミナは空を指先でなぞるようにしながら説明を続けた。


「たとえば北方には《セラフィード大陸》があります。奉仕と信念を重んじ、光の神が加護する地です。南西には鋼と誓約の《ヴァルクレスト》があり、鍛冶と契約の文化が発展しています。東方の《ミルエシア》では豊穣と循環が何より尊ばれ、西端の《ネビュラント》は星読みと夢の神秘によって栄えてきました。それぞれの大陸は、中心となる理念と神の加護によって形を変え、民の暮らし方まで決めているのです」


風が草を撫でる音に混じって、頭の中にゆっくり地図が描かれていく。八つの大陸が円環のように並び、その一つひとつに神がいて、文化も思想も違う世界。スケールが大きすぎて、疲れた脳には少し重たい。というか、ここまで来るともう異世界というより“神話世界地理学”の授業なんだけど。


「……じゃあ、私たちがいるのは?」


「《アルヴェリア大陸》。八大陸の一つですが――」


ルミナはそこで、ほんのわずかに間を置いた。


「唯一、神の不在によって“見捨てられた地”と呼ばれています」


見捨てられた。


その言葉は、草原の風景に似つかわしくないほど重かった。さっきまで広々として心地よくすら感じていた景色が、急に少しだけ寂しく見える。保護者に置いて行かれた子ども、みたいな連想が頭をよぎって、自分でも驚くほど胸の奥がしんと冷えた。


草原の一本道を歩きながら、私はずっと考えていた。


いや、考えていたというより、もはや頭の中がカオス鍋状態だった。シチューを作るつもりで玉ねぎを炒めていたはずが、途中からカレー粉も中華だしも味噌も突っ込まれて、何を目指しているのか分からないままぐつぐつ煮立っている感じ。異世界、救世の僧侶、筋力全振り、巨大斧、旦那の寿命、八大陸、神の不在。情報が多すぎる。多すぎるのに、それぞれが重たくて、どれも雑に扱えない。


神に見捨てられた大陸。保護者不在で放置されて久しい土地。……それだけでも十分ショッキングなのに、ルミナの口ぶりからすると、話はまだ序盤も序盤らしい。いや、いままでの全部がイントロってどういうこと。こっちはもう精神的には最終回目前くらいの疲労感なんだけど。


「ねえ、ルミナ」


「はいっ?」


ぴょこん、と振り返るその笑顔は、無邪気という名の鋭利な凶器だと思う。悪意がないからこそ怖い。相手に悪気がないと、こちらは怒りの着地点を見失うのよ。


「“神様”って……そもそも何? 宗教とか信仰の象徴ってだけじゃないんでしょ?」


私がそう問うと、ルミナはふっと歩み――いや飛行速度を落とし、草の海を見渡した。風が吹けば緑の波がざわざわと広がり、遠くの巨樹の影が地平に長く伸びる。たしかに今の光景は、どこか大自然ドキュメンタリーの一場面みたいで、“世界の仕組み”を語る背景としては妙にしっくりきていた。


「神々とは……世界に満ちる“エテルナ”を、大陸規模で制御できる存在です」


「エテルナ……?」


新たなカタカナ専門用語、また増えました。私の脳内メモ帳にはすでに“ジェルム=酸性スライム”“気脈=体内ホース”“神器=収納できる巨大斧”あたりが雑に書き込まれているのに、そこへさらに“エテルナ”が殴り込んできた。誰かこの異世界の用語集を作ってくれないかな。五十音順で。


ルミナは両手を広げるようにして、声を穏やかに重ねる。


「この空を渡る風も、大地を芽吹かせる雨も、炎も、光も闇も、すべては“エテルナ”と呼ばれる根源の力から生まれています。普通の人間や獣は、それをほんのわずかしか扱えません。体内の気脈を通して少しだけ取り込み、魔法に変換したり、肉体を強めたりする程度です。ですが神々は……その力を一つの理念にまとめ、大地そのものへ行き渡らせることができるのです」


澄んだ声で綺麗に説明されるほど、内容のスケールが大きすぎて逆に脳が追いつかない。風も雨も炎も光も闇も、ぜんぶエテルナ。神様はそれを大陸ごと制御できる。つまり、自然現象の管理者であり、世界観の根幹システム管理者でもあるってこと?


「つまり……ゲームでいうと、全ステータスカンストのチートキャラみたいなもの?」


「ふふ。そう例えるなら近いですね。ただし、神々も決して“絶対”ではありません」


「え、そうなの?」


私は意外に思って目を丸くした。神様って、もっとこう、手が届かない絶対者みたいなイメージだった。人が願っても答えるかどうかは気分次第、みたいな、遥か上から見下ろしている存在。少なくとも、傷ついたり倒れたりするような、そんな生っぽい感じは想像していなかった。


ルミナは足元に咲いていた白い小さな花をそっと摘み上げる。指先に収まるその花びらが、陽光に透けてかすかに光った。


「この花にも気脈があり、微かなエテルナが巡っています。草も、木も、獣も、人も、世界にあるものはみな、その流れの中で生きています。神々はそれを大きく扱えるだけであって、理から外れた存在ではありません」


そう言って、彼女は摘んだ花を手放した。白い花びらは風に乗り、ふわりと舞い上がって青空へ溶けていく。


「神々といえども、世界の理から逃れられるわけではありません。戦えば傷つき、力を削れば衰え、時に滅びるのです」


「……え、神様なのに、死ぬの?」


「はい」


短い肯定が、ひどく重く落ちた。私は思わず胸の前で腕を組む。神様が死ぬ。滅びる。そんな言葉を聞くと、急に世界が頼りなく感じられる。神話ってもっと安心できるものじゃないの? そこまで人間くさかったら、信仰のハードルがだいぶ変わってくるんだけど。


「じゃあ、死んだ神様の代わりってどうなるの?」


「理念を継ぐ新たな神が現れるのです。理念が“光”なら別の光の神が、“戦”なら別の戦の神が、“豊穣”なら豊穣の神が。神の名や姿は変わっても、その大陸を支える根本の理念は受け継がれる……それが世界の循環です」


「へえ……交代制みたいなもんか。シフト勤務の神様バージョンってことね。先代が退勤したら、次の担当が出勤してくる感じ?」


「しふと……?」


ルミナが首を傾げる。ああ、そうか。異世界にコンビニもブラック企業もないなら、その比喩は伝わらないのかもしれない。ちょっと羨ましい。こっちは現代社会を知ってるせいで、神様の継承までシフト表で想像しちゃうのよ。


「まあいいわ。その“交代”が普通なんだとして……」


私は嫌な予感を覚えながら尋ねる。


「アルヴェリアは違ったのね?」


ルミナの羽ばたきが、ほんの少しだけ弱まったように見えた。


「はい」


その返事には、さっきまでの講義めいた調子が薄れていた。


「アルヴェリアだけは、神の座が空白のまま……新たな継承者が現れなかったのです」


ざわり、と強めの風が吹き抜ける。腰まである草が大きく波打ち、緑の海が一面ざあっと揺れた。景色としては美しいのに、その音は妙に胸をざわつかせる。ぽっかり空いた穴の縁を覗き込んでしまったときみたいな、言いようのない不安が広がっていく。


神がいない。代わりもいない。空席のまま放置された大陸。


それってつまり、この世界の中でアルヴェリアだけが、本来いるはずの“要”を失った状態で何千年も続いてきた、ということなのだろうか。よくそれで大陸として成立してるな、とも思うし、逆にだからこそ“見捨てられた地”なんて呼ばれているのかもしれない。


私は無意識に胸元へ手を伸ばいた。そこには今、キーホルダーサイズに縮んだ例のバトルアックスが下がっている。軽い。見た目は可愛い。なのに、指先で触れると、ほんのりと熱を持った金属の存在感があって、まるで心臓の隣にもう一つ別の鼓動が眠っているみたいだった。


「……ルミナ」


「はい」


「じゃあ、私の斧も、その“エテルナ”とか“神様の力”とかに関係あるの?」


そう聞いたとき、ルミナの表情がほんのわずかに変わった。いつもの「筋肉は裏切りません!」と笑っている顔ではない。明るさの奥に、何かを計るような静けさが差す。答えを知っている人の顔。あるいは、答えを口に出すにはまだ早いと判断している人の顔。


「……ふふ。さあ、どうでしょう」


「なにそのテレビ番組のクイズ司会者みたいな誤魔化し! “正解はCMのあと!”みたいな顔するのやめて!」


「えへへ」


えへへ、じゃないのよ。こっちは自分の身の回りの武器が神話級かもしれないって話をしてるのに、その軽さで流されると逆に怖いんですけど。


ルミナは誤魔化すように笑い、また前へ進み始めた。私は深いため息をつきながら、その小さな背中を追う。


結局、肝心なところは何ひとつ答えてくれなかった。でも、答えなかったこと自体が、十分に答えになっている気もする。あの斧はたぶん、ただの高火力武器ではない。収納できて、変形できて、持ち主の意思に呼応して、モンスターどころか地形まで変える。そこへ神の空席とか、見捨てられた大陸とか、エテルナとかいう単語が重なってくると、嫌でも想像してしまう。


……いやいや、主婦の武器は本来フライパンとか菜箸で十分なんですけど!?


心の中で盛大にツッコミを入れながら歩いていると、足元の草が一部だけ淡く光っていることに気づいた。小さな白い花が群生している。風が吹くたびに花弁が揺れ、日差しを反射してきらきらと瞬いていた。


「綺麗……」


思わず足を止めて見入ると、ルミナが少しだけ得意そうに笑う。


「《ルクシア草》です。微量のエテルナをよく蓄える植物で、夜になるともっとはっきり光るんですよ。薬の材料にも、お守りにも使われています」


「へえ……そういうの聞くと、急に異世界っぽさが増すわね」


「今までも十分異世界でしたよ?」


「いや、今までは“巨大斧で魔獣を斬った主婦”っていう情報が強すぎて、異世界情緒を味わう余裕がなかったの!」


白い花の一輪をそっと撫でると、指先にかすかな温もりが残った。本当に何かが流れているみたいで、不思議な感じがする。こういうものに触れると、この世界がただ怖いだけの場所ではなく、独自の理屈と美しさでできているのだと少しだけ思える。


少しだけ、だけど。


「ねえルミナ」


私はまた歩き出しながら口を開く。


「アルヴェリアには神様がいない。それなのに大陸として人が暮らしてる。ってことは、みんなその不在込みで生きてるってことよね?」


「そうです。神の加護を持たないことが当たり前の大陸……それがアルヴェリアです」


「なんか、ちょっと切ないわね」


「切ない、ですか?」


「うん。ほかの大陸には“見守ってくれる何か”がいるのに、ここだけいないんでしょ。親がいない家で、子どもたちだけで暮らしてるみたいな感じがする」


口にしてから、自分でそのたとえの重さに少しだけ沈んだ。ルミナも何かを考えるように黙り込む。


「……だからこそ、この大陸の人々は強いんです」


しばらくして彼女がそう言った。


「誰かが与えてくれる加護を待つのではなく、自分たちの手で生きる方法を探してきました。祈るより先に畑を耕し、守護を望むより先に剣を取り、恵みを請うより先に工夫を重ねたんです」


その説明を聞きながら、私は何となく腑に落ちた。神がいないから弱い、という単純な話ではないのだろう。いないからこそ、自分たちでやるしかなかった。その積み重ねが、この大陸の当たり前を作ってきたのかもしれない。


少し先で、風が強く吹いた。草の海がざあっと揺れ、その向こうに低い丘のような影が見える。港町まではまだまだ遠い。それでも、ただ疲れて文句を言いながら歩いていたさっきより、心の中にはひとつ分かったことが増えていた。


この世界は、私が思っていたよりもずっと広い。


そして、アルヴェリアはただの“異世界の舞台”じゃなく、神の空席を抱えたまま生きてきた、ちゃんと痛みのある土地なのだ。


そのうえで、私はここに呼ばれた。


なぜ私なのか。なぜ僧侶なのか。なぜ筋力全振りなのか。疑問は増えるばかりだし、斧の正体もまだ煙の中だけれど、少なくとも一つだけ確かなのは、私はもう“知らないから関係ない”では済まされない位置に立ってしまっているということだった。


帯の小さな神器に触れる。金属は静かで、でも奥底に何かを秘めているように温かい。


「……ほんと、主婦の人生って何が起こるか分かんないわね」


誰に言うでもなく呟くと、ルミナがくすっと笑った。


「サナさんの人生は、これからもっと賑やかになりますよ」


「それ、予告としては全然うれしくないんだけど」


私は肩をすくめ、また歩き出す。草原はまだ尽きない。足もまだ重い。頭の中も整理しきれていない。


それでも、風の匂いと空の広さと、胸元に眠る小さな斧の気配が、ここが現実であることをじわじわと教えてくる。帰りたい気持ちを抱えたまま、知らない世界の仕組みを一つずつ受け取っていくしかない。


遠くでまた、飛竜の群れが空を横切った。私は今度こそ「普通って何よ」と叫ばずに、その影を目で追う。


慣れたわけじゃない。ただ、驚く暇もないほど、この世界は次から次へと新しいものを見せてくるだけだ。


そして私は神のいない大陸の草原を、理解の追いつかないまま、それでも確かに前へ進み続けていた。


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