第六話 学園の救世主
枯れ果てた花々が、風もない荒野に散らばっていた。かつて鮮やかな色を咲かせていたと思わせる花弁は、灰のように砕け、砂となって大地へ溶けている。
どこまでも続く砂漠。生き物の気配を感じさせる音は、どこからも聞こえてこなかった。草木も、水も、鳥の囀りも。
世界から色彩だけが抜き取られてしまったかのように、景色は灰色だけで構成されている。何もかもが失われた世界。
見上げたヴィオラは、息を呑んだ。
空は燃えていた。夕焼けや炎とも違う。まるで世界そのものが焼け焦げているかのように、赤黒くひび割れている。
その空には、無数の歯車が浮かんでいた。小さなものから巨大なものまで、静かに回転する歯車の群れが支配していた。それらは互いに噛み合いながら、不気味な音を響かせている。
――カチリ
――カチリ
――カチリ
世界そのものが時計へ変貌したような光景だった。
そして、その中心には巨大な銀時計が、天を貫くようにそびえ立つ。雲を突き抜けるほど巨大な時計塔は、無数の傷に覆われていた。文字盤には亀裂が走り、長針と短針は異常な速度で回転している。まるで限界を迎えた世界の心臓のようだった。
――世界が壊れている
一目見た瞬間、そう理解した。本能が叫んでいる。ここは終焉の場所だと――
動けない身体を捩らせる。気がついた時からずっと両腕を拘束されていた。まるで、磔にされた魔女が処刑を待つ姿だ。
じゃらり
鈍く重い金属音が鳴る。
「……っ!」
両腕に鋭い痛みが走った。手首に食い込む銀色の鎖。幾重にも巻き付いたそれは、皮膚を裂き、血を滲ませていた。
逃げられない。
そんな絶望的な事実だけが理解できた。胸が騒ぎ、鼓動が早まる。何とかここから逃げなければ、この先に待っているのは破滅だ。
視線を動かした、その時だった。
「……っ!!」
砂漠の向こうに一人の青年が倒れていた。
金色の髪、碧い瞳。
全身を血で染めながら、必死にこちらへ手を伸ばしている。
ルシアンだった。
「会長……!」
声を上げたはずなのに、喉から音が出ない。彼の顔は苦痛に歪んでいた。衣服は破れ、身体中に深い傷が刻まれている。
身体が震える。今にも届きそうなのに、二人の間には決して縮まらない距離があった。砂漠が永遠の距離を作り出しているようだった。
「……逃げろ……」
掠れた声が聞こえた。
「ヴィオラ……逃げろ……」
その声には焦りと恐怖が滲んでいた。
『カチッ』
時計の音が響いた。静寂を裂くような音だった。足元を見ると、砂の中から一つの懐中時計が現れていた。古びた銀時計の蓋がゆっくり開いていく。誰も触れていないのに、ひとりでに蓋が開いていく。
カチ、カチ、カチ…
秒針が狂ったように回り始める。その速度は次第に増えていった。やがて目で追えなくなるほど速くなる。
「あ……」
ヴィオラの呼吸が止まる。次の瞬間、時計の針が外れ、銀色の針が空中へ浮かび上がる。
一本、二本、三本。
それらはみるみる巨大化していった。鋭利な刃は、まるで人を裁く処刑人の剣のようだ。
『我が後継者よ』
低く、重く、魂へ直接響く声だった。ヴィオラは震えながら顔を上げると、身体が凍りついた。視線の先には、腰まである黒い髪を靡かせた男が立っていた。男の深紅の瞳が、ヴィオラを真っ直ぐ捕らえる。
『時を継ぐ者よ』
「……っ」
声が出ない。逃げたい。なのに身体は動かない。
「だめだ……!」
ルシアンが叫ぶ。血を吐きながら。這いながら。必死にこちらへ向かってくる。
「ヴィオラ!!」
その瞬間、男が手を上げ巨大な針が放たれた。銀の閃光を避ける事は出来ない。瞬きする間もなく、それは真っ直ぐヴィオラの胸へ突き刺さった。
「あ……」
どすり、と鈍い音がした。胸を貫く焼けるような熱と、全身を駆け巡る激痛に息が止まる。どぶり、と口から血が溢れた。真紅の液体が、だらだらと砂へ落ちていく。身体から力が抜け、視界が白く霞んだ。
「ヴィオラ!!」
ルシアンの絶叫が響く。
「ヴィオラ!!」
必死に手を伸ばしている。
「ヴィオラっ!!」
泣いていた。
届かなかった。何もかも。絶望がヴィオラの全身を覆い、冷たい闇が意識を飲み込んでいく。
(ああ、何て私は無力なの…)
―――――――
「……ねぇ…さん?」
遠くから声が聞こえた。
「義姉さん!!」
誰かが呼んでいる。重い瞼をゆっくり持ち上げた。眩しい光が差し込み、思わず目を細める。そこには白い天井があった。荒廃した世界ではなく、砂漠でもない。ベッドの上にいた。夢だったのか、そう思った。
「……っ!」
反射的に目元へ触れる。指先が微かに震えた。
――左眼が熱い…。
「……良かった……」
耳元で聞こえた掠れた声に、ヴィオラはゆっくりと視線を向けた。
アージェンが安堵したように息を吐く。その表情を見た瞬間、胸が締め付けられる。青ざめた顔で肩を震わせ、今にも泣き出しそうだ。彼はヴィオラの痛みを分かち合うように、きつく手を握り締める。
まるで、手を離したらどこかへ消えてしまうのではないかと恐れているようだった。その様子を見て、ようやく現実へ引き戻される。
(……私、あのまま気を失ったのね)
「ジェー…、心配かけてごめんね」
するとアージェンは一瞬だけ目を伏せた。まるで何かを堪えるように。
「……義姉さんが無事なら、それでいいんだ」
悲痛な表情で、力なく笑う。どれだけ心配をかけたのだろうか。涙で腫れている瞳を見つめながら、罪悪感がヴィオラを包んでいく。
「ほら」
差し出された眼鏡をかけると、アージェンは宝物を隠すように、ヴィオラを抱きしめた。
「……ジェー?」
苦しいほどに、腕に力が込められている。震えているのは彼の方だった。その姿に、ヴィオラは何も言えなかった。
「…ヴィオラ・リュウール伯爵令嬢」
静かな声が部屋に響いた。ヴィオラの心臓が大きく跳ねる。そこに立っていたのは、アウレア魔法学園生徒会長、ルシアン・ヴァンヴェールだった。
その背後には、生徒会役員たちの姿もあった。セシリア、シオン、ユノ、ガルディアス、エレノア。全員がこちらを見ている。
(あ……)
思考が止まる。
(知られてしまったのね…)
頭が真っ白になった。時間魔法も、本来の姿も、全部見られていたのだ。七年間隠し続けていた秘密が、全て露見した。
もう終わりだった。時守の一族は、禁忌として王国に滅ぼされた存在だ。生き残りだと知られればどうなるか…。そんなこと考えるまでもない。
だけど、不思議と恐怖はなかった。むしろ心は静かだった。これからきっと、自分は捕らえられ破滅するだろう。あれだけ悩んでいたのが嘘のように、悔いは無かった。みんな生きている。もう、それで良かった。
「え?」
しかし、次の瞬間、信じられない光景が目の前に広がった。ルシアンが片膝をついたのだ。ヴァンヴェール王国の第二王子であり、生徒会長である彼が、自分に向かって頭を垂れている。理解が追いつかなかった。さらにセシリアも、シオンも、ユノも、ガルディアスも、エレノアも、全員が同じように膝をつき、頭を下げていた。
「……っ!!」
ヴィオラは混乱した。何が起きているのか分からない。夢を見ているのだろうか。先ほどまで悪夢を見ていたせいで、現実感がなかった。
「ヴィオラ・リュウール伯爵令嬢」
ルシアンが顔を上げる。その碧い瞳には、警戒も恐怖もなかった。侮蔑も嫌悪も、何一つ。あるのはただ、真っ直ぐな敬意だけだった。
「いいえ」
彼は首を横に振った。
「アウレア魔法学園を救ってくださった救世主よ」
その言葉にヴィオラの瞳が揺れる。
「あなたがいなければ、この学園は滅びていたでしょう」
「学園を、生徒を、そして私たちを救ってくださったことに、心から感謝します」
「学園を代表し、最大限の感謝と敬意を表します」
深く頭が下げられる。全員が続いた。誰一人として顔を上げない。教室は静まり返っていた。ヴィオラの思考は完全に停止していた。
(……救世主?)
何を言われているのだろう。
(私が?)
ヴィオラはその言葉が理解できなかった。ずっと忌わしい血だと恐れられ、嫌われていると思っていた。だから、とても信じられない。
七年間抱え続けてきた恐怖と罪悪感、孤独が崩れ落ちる。胸の奥で何かが溶けていくような気がした。
それでもヴィオラは、頭を下げ続ける生徒会の面々を、呆然と見つめることしかできなかった。




