第五話 時守の魔女②
(……すごい)
ヴィオラは思わず息を呑んだ。絶望に飲み込まれかけていた学園で、誰一人として恐怖に屈していない生徒会役員達は、命を顧みず、危険な場所に立ち続けている。まさに救世主だった。
(もしかしたら……)
胸の奥に、小さな希望が灯る。
(もしかしたら彼らなら――)
私が見た未来を変えられるかもしれない。
そう、夢見た時だった。
――ゴゴゴゴゴゴ……
さらに大地は裂け、轟音が響き渡る。倒しても倒しても、裂け目の奥から新たな魔獣が這い出してくる。まるで終わりがない。
「くそっ……!」
ルシアンが初めて焦りを滲ませた。額から汗が流れる。
「会長!地脈の暴走が止まらないというお話し!」
エレノアが叫ぶ。
「もう!キリがないわ!!王国の援護はまだなの?!」
セシリアも体力の限界を迎えつつあり、魔獣の攻撃を避けきれなくなっていた。腕には傷が刻まれ、赤い血が滴り落ちている。
「セシリアさん!駄目です、一度傷を治しましょう!」
ユノが駆け寄る。その後ろから魔獣が襲いかかってきた。
「風 刃!!」
その魔獣をシオンが魔術で倒す。
「二人とも落ち着いて?焦ると周りが見えなくなるよ?」
シオンが冷静に言うが、いつも飄々としている彼の顔もまた、強張っていた。
「魔力汚染濃度がどんどん上がってやがるっ!このままだと結界が保たねぇ!!」
ガルディアスが歯を食いしばる。
皆、限界が近づいている事を悟っている。誰の顔にも絶望が浮かび始めていた。
ヴィオラは静かに地割れを見つめた。
違う。これは単なる地脈暴走ではない。もっと恐ろしく、最悪な災厄だ。時間と空間が悲鳴を上げて、世界そのものが壊れ始めているのだ。
(だめだ…。このままじゃ……)
そう思った瞬間だった。
「…なに……?あれ…?」
全員の視線が大地の裂け目に集中する。そして、皆の顔が絶望に染まった。
地割れが更に広がった、その奥に、巨大な“手”が出現したのだ。
「ぐぎゃあぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!!」
「…くっ」
空気を切り裂くようなその咆哮に耳を塞ぐ。そして、“それ”は姿を現した。巨大な顔、額に埋め込まれた巨大な赤い眼球。全身を漆黒の鱗で覆われた巨大な異形が、大地から這い出そうとしていた。
「…まさか…」
「…っ!!」
「…うそ」
「…信じられないってお話し…」
「…マジ?」
「なんだ?!あのバケモノっ…!!」
誰もが息を呑み、この世の終わりを悟った。地面が轟音を立てて崩れ落ちる。まるで全てを無に還すような、邪悪な魔人が姿をさらけ出した。
“時 喰 い 巨 人”
世界の終焉時、全ての時間を食い尽くす災厄として、時守一族に語り継がれる魔人だ。
「…っ!撤退!!全員撤退だ!!」
ルシアンが大声で叫んだ。ガルディアスの結界が、まるで玩具のように砕け散った。その巨体の隙間から、絶え間なく時喰い魔獣が噴き出してくる。
「全員、結界を張れ!!自分の身を守る事を優先しろっ!!」
悲鳴に近い叫び声が轟く。誰もが死を悟った。
ヴィオラは唇を噛んだ。
(ここで、時間魔法を使えば私の未来は終わる。だけど、このままでは学園の未来が終わる…)
時守の一族は、王国によって排除された。見つかれば追われ、利用されるだろう。利用されるならまだしも、そのまま殺されるかもしれない。
それでも――
絶望の中で泣き叫び、逃げ回り、時喰いたちに襲われていった女子生徒。瓦礫の下敷きになり、ぐったりと動かなくなった男子生徒。
未来視で見えた、殺戮の地と化した学園の惨状を脳裏に浮かべた。助けを求める声が聞こえた。その声を、彼女は無視することができなかった。
「……ごめんなさい」
小さな声が零れる。隣のアージェンだけにその声は届いた。
「……義姉さん」
アージェンの顔が歪む。
止めたい。でも止められない。そんな顔だった。諦めたように、彼が張っていた結界を解除した。
(心配ばかりかけてごめんね。でも私は、未来を信じたい)
『未来は決められるものではなく、選び続けるもの』
ヴィオラは前を向いて微笑んだ。母親の声が背中を押した。
パアァァァァァ―――!!!
迷いなく眼鏡を外すと、身体から光が溢れた。彼女を隠し続けてきた封印が解けた。もう迷わない。偽りの姿、偽りの人生から決別をする決断をした。
その場にいた者たちは息を呑んだ。木枯らし色だった髪が光を失うように白銀へ染まっていく。月光よりも美しく、雪よりも儚いその毛先には、桜色の輝きが滲んだ。
左眼は深い紫水晶色。右眼は灼熱の黄金色。
それはまさに、神秘的な美しさだった。
「な……」
「綺麗……」
誰かが呟いた刹那、黒い瘴気が震えた。まるで恐怖し、畏れるように、彼女へ道を開く。
ルシアンが振り返ると、その瞳が大きく見開かれた。視線が交差した瞬間、彼の中の時が止まり、世界から音が消えたようだった。信じられない。あり得ない奇跡を見ている。
「……まさか……」
ヴィオラが静かに右手を掲げると、黄金の魔法陣が展開された。時計盤と歯車が浮かび、空中に古代文字が現れた。それは、失われた神代の術式だった。幾重にも重なる無数の歯車が、上空に浮かんでいく。
これは魔法ではない。時守の一族のみ使う事が許された、時間法則そのものに干渉する術。
「――“時”よ、静まりたまえ!」
その瞬間、世界が停止する。風が止み、音が消え、全てが凍り付いたように動きを失った。ただ、白銀の髪が舞い、黄金の瞳が輝いた。
「――時軸終焉!!」
ヴィオラが告げた瞬間、巨大な時計盤が天空を覆う。世界そのものを閉じ込めるような光だ。突如、地割れが悲鳴を上げた。
ギギギギギギ――――ッ!!
裂けた空間が強制的に閉じられていく。噴き出していた瘴気が消え、時喰い達が絶叫する。
「ギャアアアアアアアッ!!」
“時間”そのものを断ち切られた怪物たちは、存在そのものが崩壊していく。音を立てて、塵となって消滅した。次第に黒かった空が晴れ、光が世界へ戻って来た。
ただ、呆然と奇跡を見つめていた。世界を救う瞬間を。
――助かった
誰もがそう思った。だが、誰も言葉を発せなかった。ただ、一人を除いては。
ルシアン・ヴァンヴェール。
彼だけが、ヴィオラから目を離せなかった。
白銀の髪。紫と黄金の瞳。そして、時間を操る力。王家だけに伝わる禁断の記録に垣間見た、失われたはずの存在だった。
「……時守の魔女」
ヴィオラは息を呑んだ。血の気が引く。全て終わりだ。もう後戻りは出来ない。罪人として処分されるだろう。
でも後悔はしていなかった。誰も、死ななかったのだ。未来は変えられたのだ。それだけで、ヴィオラは満たされていた。
だが、ルシアンは恐れるどころか、憎むどころか、まるで奇跡を前にしたような表情で、ヴィオラに手を伸ばした。震える指先と潤む碧眼で、切なさと歓喜が入り混じった声を、絞り出した。
「……やっと」
ヴィオラの心臓が大きく跳ねる。ルシアンは泣きそうな顔で微笑んだ。まるで何百年も探し続けた宝物を見つけたように。
「やっと見つけた……」
その言葉を聞いた瞬間。なぜか胸の奥が痛んだ。初めて会ったはずなのに。なぜか懐かしい。
なぜか涙が出そうになる。頭が混乱していた。
全身の力が抜け、視界が霞む。もう魔力の限界だった。
次の瞬間、ぐらり、とヴィオラの身体が揺れた。
「義姉さん!!」
駆け寄るアージェンの顔は蒼白だった。意識が暗闇へ沈んでいく。しかし、倒れ込む身体を受け止めたのは、アージェンではなかった。
ルシアンだった。
優しくヴィオラの身体を支える。耳元で、誰にも聞こえないほど小さな囁きが聞こえた。
「大丈夫だ」
まるで祈りのような声。
「今度こそ、君を守る」
その言葉を最後に、ヴィオラの意識は闇へ溶けていった。




