第五十五話 異なる夜が明けるまで 6 side ルシアン②
「……会長は、どこまでご存じなのですか?」
ユノの声が僅かに震えた。その表情には、隠しきれない不安が滲んでいる。
「誤解しないでほしい。あくまでも私の推測にすぎないんだ。ただ……君は、ソフィア王妹殿下によく似ている」
「……ソフィア王妹殿下?」
「ああ。父上の妹にあたる方だよ。私が生まれる前に亡くなられたと聞いているから、肖像画でしかお姿を拝見したことはないけれどね」
ソフィア王妹殿下。
ヴァンヴェール王国の王女として生を受けながら、ある出来事を境に、その名を表舞台から消した女性だった。
王家の記録では既に亡くなったことになっているが、その最期について詳しく知る者は少ない。ルシアンの脳裏に、王宮に残された一枚の肖像画が浮かんだ。
柔らかな輝きを帯びたプラチナブロンドの髪に、深い緑を湛えた瞳。そこに描かれた王女の面影は、目の前にいる少女と驚くほどよく似ていた。
「……では、私は……」
ユノは何かを言いかけて、その先の言葉を飲み込んだ。おそらく、彼女自身も今日初めて、自らの出自に関わる真実を知ったのだろう。
『ヴァルティア様から加護を授かったということは、つまり――王家に連なる血を受け継いでいる証なのです』
地下礼拝堂でアルベリヒが告げた言葉が、ルシアンの脳裏によみがえる。あの説明は、ほかでもない自分とユノに向けられたものだった。
しかし、王家の血を引いていると知らされたからといって、すぐに受け入れられるはずもない。ましてや、これまで何も知らずに生きてきた彼女にとっては、あまりにも突然のことだっただろう。
「いや、君とソフィア王妹殿下にどのようなつながりがあるのか、まだ分かっていないんだ。だから、今すぐ答えを出そうとしなくてもいい」
「…………」
「ただ、もし私の推測が正しければ、君が持つ不思議な力にも、何か関係があるのかもしれない。……突然こんな話をして、驚かせてしまったかな」
「い、いえ……」
ユノは小さく首を振った。そして、伏せていた顔をゆっくりと上げる。その瞳には、先ほどまでの戸惑いに代わって微かな決意の色が宿っていた。
「実は、私も……ずっと、自分の力について気になっていたんです。だから、もう目を背けるのはやめようって……自分のことを、ちゃんと知ろうって決めたんです」
「……そうか」
不安がないはずはない。それでも、彼女は自らの意思で真実と向き合おうとしている。
(……思っていた以上に、芯の強い子なんだね)
その健気な姿に感心する一方で、これ以上踏み込むことは、かえって彼女の負担になるかもしれないとも思った。
「……この件については、また改めて考えよう。焦って答えを出す必要はないからね」
「……はい。ありがとうございます」
ユノは小さく息を吐き、ようやく表情を和らげた。そこに浮かんだ年相応の笑顔に、ルシアンの胸も自然と和らぐ。
(……守ってあげたいと思わせる子だ)
ふと湧き上がった庇護欲に、ルシアンは僅かに目を瞬かせた。不安を抱えながらも、自らの意思で前を向こうとする。その健気さと、どこか危なっかしい姿に、自然と手を差し伸べたくなるのだろう。
(……いや、今はそれよりも)
ルシアンは小さく息を吐き、思考を切り替えた。大切な人を守るためにも、今は彼女の力が必要だった。
「……それと、ユノ。少し話は変わるんだけれど、今日の双崖の崩落について、君はどう思う?」
「双崖の崩落ですか……。実は私も、気になっていました」
先ほどまでのあどけない笑顔が消え、ユノの表情に真剣な色が宿った。
「……聞かせてもらえるかな?」
「はい。崖が崩れる直前、周囲の魔力が一か所に集まっていくのが見えたんです。まるで、何かに引き寄せられるように……」
「そういえば、あのときも言っていたね」
「はい。自然界の魔力が一か所に集まること自体は珍しくありません。でも、あれほど急激に流れが変わるなんて、初めて見ました。それがまるで、意思を持っているように見えたんです。」
「…………」
ルシアンは顎に手を添え、思案するように目を細めた。双崖の崩落には、あまりにも不可解な点が多い。
まず、崩落の兆候がほとんど見られなかったこと。ヴィオラの未来視がなければ、アルヴェイン一行を救い出すことは叶わなかっただろう。
そして、もう一つ。実際に起きた崩落は、ヴィオラが未来視で視たものとは順序が異なっていたということだ。
(……未来が変わった。それ自体は不思議ではない。私たちが介入した以上、何らかの変化は起こり得る)
だが、それだけで説明できるだろうか。崩落の直前、特定の場所へと意思を持つように集中した魔力。
そして、リリアーナが危機に瀕した瞬間、突如として姿を現したザイデルバスト。
(……彼は、いつあの場に合流した?)
ルシアンは記憶を辿った。確かに、ザイデルバストが駆けつける姿を見た覚えはない。気づいたときには既に、彼はヴィオラの傍にいた。そして、彼女の手首に巻きついていた不可解な白銀の鎖。
(……あれは、何だったんだ?)
何らかの魔術によるものだろうか。少なくとも、ルシアンの目には、ヴィオラの動きを封じているように見えた。
誰が、何のためにあの術を行使したのか。
それとも――。
(……いや。今は憶測を重ねるべきではないな)
疑問はいくつもある。だが、それらを結びつけるには、まだ情報が足りない。
「……ユノ。私は、今回の崩落が単なる事故だったとは考えていないんだ」
「……え?」
「もちろん、断定できるだけの証拠はない。ただ、偶然として片づけるには、不自然な点が多い。私は、何者かが意図的に災害を引き起こした可能性も考慮している」
「……っ! それは……誰かが、わざと崖を崩したかもしれないってことですか?」
「その可能性も否定できない。ただ、仮に人為的なものだったとしても、憶測だけで誰かを疑うわけにはいかないんだ」
「…………」
ユノの顔から血の気が引いていく。無理もない。あれほど大規模な崩落だったのだ。幸いにも死者は出なかったが、一歩間違えれば甚大な被害が生じていたかもしれない。
それが故意に引き起こされたものだとすれば、到底看過できることではなかった。
「学園の地蝕も、今回の双崖の崩落も、まずは原因を明らかにしたい。もし、その背後に何者かがいるのなら、目的も正体も突き止めるつもりだ」
ルシアンはユノへ視線を向けた。
「……そこで、君に頼みたいことがあるんだ」
「……頼みたいことですか?」
「ああ。真相を突き止めるために、私に協力してもらえないかな?」
思いがけない申し出に、ユノは目を丸くした。そして、戸惑うように自分の胸元を指さす。
「……私が、ですか? でも、そんな大それたことが、私にできるかどうか……」
「君だからこそ、お願いしているんだよ」
「……え?」
「今日の崩落で、魔力の異変にいち早く気づいたのは君だった。私たちには見えなかったものを、君は確かに捉えていたんだ」
「それは……」
「……正直に言えば、君の加護の力を借りたい。利用されてると感じても、仕方がないと思っている。だからこそ、君の意思をないがしろにはしたくないんだ。協力するかどうかは、君自身に決めてほしい」
ルシアンは真剣な眼差しを向けた。王族としての立場を利用し、ユノに力を行使するよう命じることもできるだろう。だが、ルシアンはそれだけはしたくなかった。
「もちろん、危険なことを無理に頼むつもりもないよ」
聖堂の高窓から差し込む月明かりが、二人の間に淡い影を落としていた。
「ただ……」
言いかけたそのとき、脳裏に忘れようとしても忘れられない光景がよみがえった。
あの日、もっと早く気づいていれば。
あのとき、別の道を選んでいれば。
そんな後悔に、幾度となく苛まれてきた。けれど、どれほど悔やんだところで、失ったものは戻らない。
(……だからこそ、今度は)
間違えないために、今できることをしたい。
「……私は、もう二度と、同じ過ちを繰り返したくないんだ」
「……え?」
ユノが不思議そうに首を傾げた。その声にルシアンは、はっと我に返る。胸の奥に封じ込めていた思いが、知らず知らずのうちに言葉となって零れていた。
「……ああ、すまない。少し、昔のことを思い出してね」
ルシアンは僅かに目を伏せ、いつもの穏やかな微笑みを取り戻した。
「無理強いをさせたいわけじゃない。だから、返事は急がなくても――」
「……分かりました」
ルシアンの言葉を遮るように、ユノが顔を上げた。
「私でよければ、協力させてください」
その瞳に、先ほどまでの迷いはなかった。
「私も、今日の崩落には不自然なところがあったと思っています。それに……ヴァルティア様から授かったこの力を、誰かを助けるために使えるのなら……私も、そうしたいです」
「……ありがとう」
思いがけない彼女の言葉に、ルシアンは胸が詰まる思いがした。込み上げる感情を抑えるように、一度だけ唇を引き結ぶ。
「……君が力を貸してくれるなら、これほど心強いことはないよ」
「そ、そんな! 私にどこまでできるか分かりませんけど……!」
ユノは照れくさそうに笑った。だが、その笑みがふいに消える。何かを思い出したように顎へ指先を添えると、僅かに眉を寄せ、記憶を辿るように考え込んだ。
「……どうかしたのかい?」
「……会長。一つ、聞いていただきたいことがあるんです」
「ああ、何だい?」
「実は……まだ誰にも話していないことなんですけど……どう考えても説明がつかなくて。思い出すたびに、何だか気味が悪くなるんです」
声を潜めるユノの様子に、ルシアンも表情を引き締めた。まだ、何か見落としていることがあるのかもしれない。
「……詳しく聞かせてくれるかな?」
「はい。今日、双崖でリリアーナ先生を助け出したのは、ヴィオラさんの侍女のランさんでしたよね?」
「ああ。彼女が風魔法で救い出してくれたんだったね」
「……そのとき、ランさんのオーラが見えたんです」
「彼女に何か異変があったのかい?」
「はい。……何か別のものが混ざっているような、人のものとは思えない、不自然な色合いだったんです」
「……人のものとは思えない?」
「はい。それだけじゃないんです。どこかで見たことがあるような気がして……。最初は分からなかったんですが、さっきようやく思い出したんです」
「……どこで見たんだい?」
「地下実験施設の調査に向かう前です。地上で、見知らぬ人を見かけたことがあって……。少し離れたところにいたので、顔までは分かりませんでした。でも、その人のオーラが気味悪くて、妙に印象に残っていたんです」
「…………」
「それで、今日ランさんを見たとき、ようやく思い出したんです。あのときの人と、同じオーラだって……」
「……同じ?」
「はい。私には、まったく同じに見えました」
「……つまり、君が地上で見かけた人物は、ランだったかもしれないということかな?」
「……そう考えるのが自然だと思います。でも……」
ユノはそこで言葉を詰まらせた。ルシアンにも、彼女が何を言いたいのか察しがついた。
地下実験施設で発見されたラン。彼女がどのような状況に置かれていたのか、ルシアンも報告を受けている。そして、ユノが語った目撃の時刻。その二つを照らし合わせたとき、ある矛盾が浮かび上がった。
「……待ってくれ、ユノ。君がその人物を見かけたのは、地下実験施設の調査が始まる前で間違いないね?」
「……はい」
「その人物の顔は確認できなかった。けれど、オーラはランと同じだった」
「……そうです」
「……だが、彼女はその時点で、地下実験施設に囚われていたはずだ」
「……はい」
ユノは小さく頷いた。月明かりの差し込む礼拝堂に、短い沈黙が落ちる。やがて、ユノは不安を押し隠すように、微かに唇を結んだ。
「……だから、気味が悪いんですよ」




