第五十二話 異なる夜が明けるまで 3 side ガルディアス
「いやぁ、素敵な兄妹愛ですねぇ! 感動の再会というお話!」
隣でエレノアが、いかにも楽しそうに声を弾ませた。その言葉に、セシリアが呆れたように眉を寄せる。
「……エレノア。せっかくの感動の再会が台無しじゃない……」
「ええっ!? 私は純粋に感動しているだけですよぉ!」
エレノアは悪びれる様子もなく笑みを返した。そんな二人のやり取りを眺めながら、ガルディアスは小さく苦笑する。
(……まったく、いつも通りだな)
つい先ほどまで、セシリアは兄との再会に心から安堵した様子だった。普段は気丈で、滅多に弱音を吐かない彼女が見せた、年相応の少女らしい表情。それがガルディアスには、どこか新鮮に映っていた。
しかし、エレノアにからかわれた途端、すっかりいつもの調子を取り戻してしまったらしい。もっとも、こうして軽口を交わせるのも、皆が無事だったからこそだろう。
そう思うと、自然と頬が緩んだ。
ふと視線を上げると、リオンもまた、二人のやり取りを穏やかな眼差しで見守っていた。
「……そういえば、まだお二人にはご挨拶していなかったね。私はセシリアの兄、リオン・ローズマリーだ」
「ああ、申し遅れました」
ガルディアスは居住まいを正し、礼儀正しく頭を下げた。
「アウレア魔法学園に在籍しております、ガルディアス・サクスムと申します。セシリア嬢とは、生徒会でご一緒させていただいております」
「サクスム……ああ、サクスム子爵家のご子息か」
「はい」
「なるほど。いつも妹が世話になっているようだね」
「いえ。むしろ、こちらがお世話になってばかりです」
「ちょっと、ガルディアス! それじゃ、まるで私ばかりが世話を焼いているみたいじゃない!」
すかさず横から飛んできた抗議の声に、ガルディアスは思わず目を瞬かせた。
「……いや、そういう意味ではない。純粋に感謝しているんだが……」
「本当かしら?」
疑わしげな眼差しを向けられ、ガルディアスは困ったように眉を下げる。
実際、生徒会の仕事では彼女の的確な判断に助けられることも多く、今回の救援活動でもその行動力には何度も感心させられた。
決して皮肉を言ったつもりはない。むしろ、素直に感謝を伝えたつもりだったのだが、どうやら言葉の選び方を間違えたらしい。
「ははっ。どうやら、妹は学園でも変わらないようだね」
そんな二人のやり取りを眺めていたリオンが、堪えきれないといった様子で笑みを零した。
「お兄様! いったい、どういう意味ですか?」
「いや、昔から変わらず、面倒見がいいんだなと思ってね」
「そ、それは……!」
セシリアは一瞬言葉を詰まらせると、照れ隠しのようにぷいっと顔を背けた。その様子に、ガルディアスも思わず苦笑する。
(……なるほど。セシリアも兄には敵わないらしいな)
普段は誰に対しても物怖じせず、堂々と意見を述べるセシリアだが、兄の前では少し勝手が違うらしい。
そんな意外な一面を垣間見て、ガルディアスはどこか温かい気持ちになった。
(……弟たちは元気にしているだろうか)
ふと、故郷にいる弟たちの顔が脳裏に浮かんだ。双崖の復旧には、まだ時間がかかるだろう。自分も土魔法を使って作業に協力するつもりでいるため、しばらくは故郷へ戻れそうにない。
仲睦まじい兄妹の姿を見ていると、少しばかり弟たちが恋しくなった。
「ローズマリー卿! 私もご挨拶が遅れてしまいました!」
物思いに耽っていたガルディアスの隣で、今度はエレノアが勢いよく手を挙げた。
「私はエレノア・ルミナスです! 生徒会の特別監査役を務めております!」
「……ルミナス?」
その名を聞いたリオンが、僅かに眉を上げた。
「もしかして、王立天星魔導研究院の……」
「そうです! アルベルト・ルミナスは私の父というお話です!」
「……アルベルト卿の、ご息女……?」
リオンは何かを確かめるように、エレノアの顔を見つめた。その視線は、どこか懐かしいものを探しているようにも見えた。
「……そうか。いや、しかし……」
言い淀むと、リオンは僅かに眉を寄せる。
「私の記憶違いだろうか……」
「お兄様? どうしました?」
セシリアが不思議そうに尋ねる。
「……いや、何でもないよ。少し、昔のことを思い出しただけだ」
「昔のこと、ですか?」
「ああ。もっとも、随分前の話だからね。私の勘違いかもしれない」
リオンは穏やかに微笑んだ。しかし、その視線が一瞬だけエレノアへ向けられたことに、ガルディアスは気づいた。
(……何か、気になることでもあったのだろうか)
当のエレノアは、いつもと変わらない笑顔を浮かべている。結局、リオンはそれ以上何も語らなかった。
「……それにしても、今日は本当に助かったよ。王太子殿下も、君たちには大変感謝しておられた」
リオンは改めて三人を見渡した。その表情からは、先ほどまでの戸惑いがすっかり消えていた。
「恐れ入ります」
王太子からの感謝の言葉に、ガルディアスは思わず恐縮した。しかし、今回の救援は決して自分たちだけの功績ではない。ヴィオラが危険を事前に察知していなければ、そもそも双崖へ駆けつけることすらできなかったのだから。
「ですが、今回の救援は私たちだけの力ではありません。ヴィオラ嬢が崩落の兆しをいち早く察知してくださったからこそ、間に合ったのです」
「……ヴィオラ嬢?」
その名を耳にしたリオンが、僅かに眉を上げた。
「ああ、ヴィオラ・リュウール伯爵令嬢のことか」
「はい、お兄様! 今回の救援隊を率いたのも、ヴィオラなんですよ!」
セシリアが嬉しそうに身を乗り出した。
「彼女が危険を知らせてくれなければ、私たちは双崖へ向かうことすらできませんでした。ヴィオラのおかげで、皆様をお救いすることができたんです!」
まるで自分のことのように誇らしげに語るセシリアに、リオンは柔らかく微笑んだ。
「……そうか。彼女には、随分と助けられたようだね」
「ええ!」
嬉しそうに頷く妹を見つめ、リオンは穏やかに相槌を打つ。だが、その顔が一瞬だけ曇ったように見え、ガルディアスは僅かに眉を寄せた。
(……何か、気になることでもあるのだろうか)
彼の柔らかな笑みの奥の眼差しには、何かを思案するような色が宿っていた。
「……実は、一つ気になっていることがあってね」
「何ですか、お兄様?」
「私たちが双崖に差しかかった直後、あの大規模な崩落が起きた。普通なら、異変を知らせてから救援隊を編成したところで、到底間に合わなかったはずだ」
「それは……」
「だが、ルシアン殿下たちは、崩落が始まって間もなく駆けつけてくださった。まるで、あの場所で何が起こるのか、あらかじめ分かっていたかのようにね」
リオンの口調は、あくまで穏やかだった。だが、その瞳には先ほどまでとは異なる鋭さが感じられた。
「……ヴィオラ嬢は、どうやって崩落の危険を察知したんだい?」
「……え?」
思いがけない問いに、セシリアが言葉を詰まらせた。ガルディアスもまた、咄嗟に返答することができなかった。
(……確かに、不思議に思うのも無理はない)
自分たちは、ヴィオラが未来を視る特殊な力を持っていることを知っている。しかし、その力は誰にでも明かしてよいものではない。
時守一族に受け継がれる未来視。
その力の存在が広く知られれば、彼女が望まぬ争いに巻き込まれる可能性もある。以前、学園で地蝕が発生した際には、ヴィオラに助けられた。だからこそ、今度は自分たちが彼女の力になりたい。ガルディアスはそう思っていた。
たとえ相手が王太子の護衛騎士であっても、彼女の秘密を軽々しく明かすわけにはいかない。どう答えるべきか迷っていると、セシリアが慎重に口を開いた。
「……申し訳ありません、お兄様。詳しいことは、私にも分かりません」
普段よりも幾分控えめな声だった。リオンはしばらく妹を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「……そうか。いや、すまない。困らせるつもりはなかったんだ。ただ、あまりにも絶妙なタイミングだったものだから、少し気になってしまってね」
そう言って、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「殿下の護衛を任されていながら、危険を事前に察知できなかったことが悔しいんだ。何か特別な方法があるのならば、知っておきたくてね」
「お兄様……」
「今回ばかりは、自分の力不足を痛感したよ」
そう告げたリオンの表情に、ガルディアスはふと既視感を覚えた。
十年前、サクスム領を襲った地蝕。あのとき、抗いようのない災厄を前に、なすすべもなく立ち尽くしていた大人たちの姿が脳裏をよぎる。
大切なものを守れないかもしれないという恐怖。そして、自分の力ではどうすることもできない現実を突きつけられた無力感。
リオンの沈痛な面持ちは、あの日の彼らとどこか重なって見えた。
「……ローズマリー卿。我々の結界が間に合ったのは、皆様が最後まで諦めずに持ちこたえてくださったからです。どうか、ご自身を責めすぎないでください」
「……もしかして、君が?」
「え?」
「双崖で、あの土の結界を展開してくれたのは、君だったのかい?」
「あ……はい。ですが、私一人では、あの場所まで辿り着くこともできませんでした。仲間たちの協力があったからこそです」
リオンは僅かに目を見開いた。そして、静かに頭を下げる。
「っ……! ローズマリー卿!? 頭を上げてください!!」
リオンの思わぬ行動にガルディアスは狼狽えた。王太子の護衛騎士が自分に頭を下げている。信じられない光景だった。
「……あの結界には、本当に救われたよ」
その声には、心からの感謝が滲んでいた。
「ありがとう。君たちは命の恩人だ」
「……そんな、勿体ないお言葉です。どうか、頭をお上げください」
ガルディアスが慌ててそう告げると、リオンはようやく顔を上げた。
「ははっ。すまない。驚かせてしまったね」
「い、いえ……!」
穏やかに笑うリオンとは対照的に、ガルディアスの心臓はまだ落ち着かなかった。王太子の護衛騎士であり、ローズマリー公爵家の令息でもある人物が、一介の子爵家の息子に頭を下げたのだ。緊張するなという方が無理な話だった。
「……でも、本当に感謝しているんだ。あのとき、俺たちはもう限界だった。魔力はほとんど残っていなかったし、崖の崩落を防ぐ手立てもなかった。それでも、殿下だけは何としてもお守りしなければならないと思っていた」
「…………」
「だが、君たちの結界が現れた瞬間、ようやく希望が見えたんだ」
轟音を立てて崩れ落ちる岩壁。
舞い上がる土煙。
その向こうで、必死に馬車を守ろうとしていた騎士たち。
自分が展開した結界は、決して完璧なものではなかった。仲間たちが周囲の状況を伝え、救援活動を支えてくれなければ、あれほど大規模な術式を展開することも難しかっただろう。それでも、あの結界が誰かの命を救うことにつながったのなら。
(……少しは、近づけただろうか)
幼い頃、自分たち兄弟を救い出してくれた師匠の背中。あの日からずっと追いかけてきた騎士としての理想に――そう考えると、胸の奥が熱くなった。
「……私も、嬉しく思います。皆様がご無事で、本当によかったです」
「……ああ」
リオンは柔らかく微笑んだ。だが、すぐ笑みを収めると、僅かに疲労の滲む表情で視線を落とした。
「……それにしても、今回の帰路はどうも妙なことが多くてね」
先ほどまでの和やかな空気が、僅かに変わった。
「妙なこと、ですか?」
「そう。魔物の襲撃に、野盗との交戦。それに、通過するはずだった石橋の崩落まで起こった……」
「……石橋まで?」
「そうなんだ。しかも、事前の確認では何の異常も見つからなかった。そして、最後に双崖の崩落だ」
「…………」
「一つなら、不運な事故として片づけられるかもしれない。だが、こうも立て続けに起こるとね……」
優しい声の奥に、護衛騎士としての鋭さが滲んでいた。
「……偶然とは思えない、ということですか?」
ガルディアスが尋ねると、リオンは僅かに目を細めた。
「……少なくとも、私はそう考えている」
その言葉に、ガルディアスの胸の奥がざわついた。双崖の崩落直前、ユノが口にしていた言葉を思い出す。
『……右側の崖に、ものすごい魔力が集まっています!』
あのとき、ユノは確かに、魔力が一か所へ集中していると言っていた。もし、あの崩落が単なる自然災害ではなかったとしたら――。
(……まさか、誰かが意図的に引き起こしたというのか?)
ガルディアスは無意識に拳を握り締めた。
「……実は、もう一つ気になっていることがあるんだ」
「……何でしょうか?」
リオンは一度、廊下の先へ視線を向けた。そして、周囲に人影がないことを確かめると、声を落として続けた。
「魔物たちの襲撃についてなんだが……奴らは、護衛の私たちにはほとんど目もくれなかった」
「……え?」
「狙っていたのは、殿下の馬車だった。それも……リリアーナ様が座っていた側に、攻撃が集中していたんだ」
三人の間に、緊張が走った。
(……リリアーナ先生が、狙われていた……?)
ガルディアスの胸の奥に、冷たいものが広がった。




