第四十六話 双崖崩落救出作戦 4
白い花弁が、崩れ落ちた岩壁の隙間へと吸い込まれていく。
「急げ!崩れ落ちる前に抜けるぞ!」
ルシアンの号令と同時に、全員が駆け出した。先頭を走る護衛騎士が、積み重なった岩の隙間へ身体を滑り込ませる。
「通れます! この先へ抜けられます!」
「よし! 兄上たちを先に!」
「はっ!」
騎士たちが即座にアルヴェインとリリアーナを囲み、白い花弁が示す道へ走り出した。その直後だった。
――ゴゴゴゴゴッ!
頭上から、腹の底まで震わせる轟音が響いた。
『会長!右上です!来ます!!』
ユノの切迫した声が耳元で弾けた。
「ガルディアス!」
「任せろ!守護王の巨盾!」
ガルディアスが地面へ両手を翳した瞬間、足元の大地が隆起する。分厚い岩壁が斜めにせり上がった直後、その上へ巨大な岩が激突した。
――ドォン!!
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃に、ガルディアスの身体が沈んだ。
「ガルディアス!」
「構うな!早く先を急げ!」
「セシリア、援護を!」
「言われなくても!」
セシリアが腕を振り抜く。
「紅蓮槍!」
炎の槍が空を裂いた。ガルディアスの防壁を飛び越え、次に落ちてきた岩を撃ち抜いた。爆炎が上がり、岩が砕け散る。砕けた岩が無数の破片となって、頭上にパラパラと降り注いだ。
『左側にも魔力が集まっています!それから……足元も! 来ます!』
「全員、止まるな! 走れ!」
次々と飛んでくるユノの報告をもとに、ルシアンが瞬時に状況を判断し、指示へ変える。
エレノアの水流が、その声を全員へ届ける。セシリアが岩を砕き、ガルディアスが防ぐ。
「会長!次は正面です!大きな岩が一つ!」
そしてヴィオラは、未来視で覚えている限りの情報を伝えた。
「分かった!天狼星の槍!」
ルシアンが右手を掲げると、白銀の閃光が一直線に空を貫いた。
――ドォン!!
正面から迫っていた巨岩が空中で爆ぜ、細かな破片となって四方へ飛び散る。
(すごい……)
ヴィオラは走りながら息を呑んだ。未来視とは、もう違う。それでも、未来視によってヴィオラだけが知っていること。今この瞬間、ユノだけに見えているもの。それらをルシアンが繋ぎ合わせ、次に進むべき道を選んでいく。
誰か一人の力ではない。全員の力が重なって、少しずつ道を切り開いている。
(これなら――)
ヴィオラが前を見ると、白い花弁はまだ消えていない。岩壁の隙間まで、あと少し。もう少しで抜けられる。
「リリー、もう少しだ!」
「はい……!」
アルヴェインに手を引かれながら、リリアーナが懸命に走っている。その光景を目にした瞬間、ヴィオラは強烈な既視感を覚えた。
「……え?」
ヴィオラの胸を、ぞくりと冷たいものが走った。見覚えがある。リリアーナの立っている場所。その背後の岩壁。そして、地面に走る細い亀裂。
(ここ……)
忘れるはずがない。
未来視の中で――リリアーナが命を落とした場所。
「リリアーナ先生!そこから離れて下さい!!」
「え?」
リリアーナが振り返る。
――ピシッ。
足元から、乾いた音がした。ヴィオラの顔から血の気が引いていく。
「リリー!」
アルヴェインが咄嗟にその腕を引く。だが、一歩遅かった。
――バキンッ!
「きゃあっ!」
リリアーナの足元が崩れた。片足が亀裂へ落ち込み、その身体が大きく傾く。
「リリー!」
アルヴェインが寸前でその腕を掴んだ。
「アル……!」
「離すものか!」
アルヴェインが必死に引き上げようとする。しかし、崩れた岩が足を挟み込み、びくともしない。
「殿下!」
護衛騎士たちが駆け寄る。
「足元の岩をどかせ!」
「はっ!」
騎士がリリアーナの足元へ手を伸ばした。その瞬間だった。
『――駄目です!!上!!上です!!』
「――っ!」
ユノの叫び声でヴィオラが顔を上げると、その光景を見て息が止まった。遥か頭上に亀裂だらけになった岩肌が、大きく膨らんでいる。
「嘘……」
ヴィオラの唇が震えた。崩れる順番も、そこへ至る過程も変わった。それなのに、この光景だけは未来視で視たものと同じだった。
――バキンッ!!
断崖から、巨大な岩塊が剥がれ落ちた。
「リリー!!」
「ガルディアス!」
「無理だ!間に合わない!」
「セシリア!」
「この位置じゃ届かない!」
駄目だ。誰も間に合わない。巨大な岩は真っ直ぐ、リリアーナたちへ向かって落ちてくる。
「兄上!」
「会長、駄目!!」
このままではルシアンまで巻き込まれてしまう。ヴィオラは反射的に右手を伸ばした。
(どうすれば……!)
白い花弁はまだ道を示している。選択の加護は消えていない。この先には、確かに未来がある。
(だけど、辿り着けなければ意味がない!)
迷っている暇などない。王太子と騎士たちがこの場にいる。ここで力を使えば、時守の一族の生き残りだと知られるかもしれない。隠してきたすべてが、露見するかもしれない。でも、ヴィオラは目の前で誰かが命を落とす未来など望んでいない。
(未来を知っていながら、何もできなかったあの時を――もう二度と繰り返したくない!!)
脳裏に浮かんだのは、母親の笑顔だった。
「――っ!岩よ止まれ!!停止!!」
――その瞬間。世界から、すべての音が消えた。
「…………」
風が、止まった。空中を舞っていた砂粒が静止する。崖から落下していた無数の岩も。エレノアの水流さえも。すべてが、その瞬間の姿のまま動きを止めた。
そして、世界からゆっくりと色が失われていく。青かった空も、緑の木々も。白い花びらさえも灰色に染まる。すべてが色を失い、静寂に沈んでいった。
「はぁ……っ……はぁ……はぁ……」
ヴィオラの荒い呼吸だけが響く。
「……止まった」
ヴィオラが頭を上げるとリリアーナの上に、巨大な岩が空中で静止していた。リリアーナまで、あと僅か数メートルだった。もう一瞬でも遅れていたら、手遅れになっていただろう。
「よかった……」
膝から力が抜けそうになる。だが、すぐに唇を噛んだ。
「違う……まだよ」
これは《停止》の魔法。時間を一時的に止める、時守の秘術だ。まだ、何も解決していない。時間が動けば、あの岩は再び落下する。その前に、リリアーナを助けなければならない。
(停止した時間の中で動けるのは、時守の血を引く者だけ……)
いつも隣にいるアージェンは、今はいない。だから、この世界で動けるのはヴィオラだけだった。
「……私が、やらなきゃ」
ヴィオラは震える足を奮い立たせ、リリアーナへ向かって一歩を踏み出した。
ここで自分が動かなければ、彼女を救えない。未来視で視たリリアーナが命を落とす結末を、どうにかして変えたい。ただ、その一心だった。
時間は、そう長く止めていられない。今、ヴィオラが止めているのは一人や二人ではない。この人数にこの広さ。双崖一帯で起きている崩落そのものだ。落下する無数の岩も、巻き上がった土煙も、放たれた魔法も、その場にいるすべての人間も。
これほど広範囲に《停止》を使ったことなど、一度もない。いつまで魔力が持つのか、自分でも分からなかった。
(早く……!急がないと!!)
ヴィオラはリリアーナのもとへ駆け寄り、その足元へしゃがみ込んだ。
「リリアーナ先生……!」
もちろん、返事はない。リリアーナはアルヴェインへ必死に手を伸ばした姿のまま、灰色の世界に縫い留められている。その片足は、崩れた地面の亀裂に挟まれていた。
「これを……どかせば……!」
ヴィオラは足元に食い込んだ岩へ両手を掛ける。
「んっ……!」
ヴィオラは精一杯、力を込める。しかし動かない。岩はびくともしない。
「お願い……動いて!」
もう一度、全身の力を込める。必死だった。
「んんっ……!」
それでも動かない。額から汗が滴り落ちた。
(どうしよう……)
焦りが胸を締めつける。このまま《停止》が解ければ、頭上で静止している巨大な岩は、再び落下を始める。そうなれば、彼女は助からない。ヴィオラは唇を噛んだ。
(駄目……!諦めるわけにはいかない。せめて、先生の足だけでも抜かなきゃ……!)
もう一度、岩へ手を掛けようとした。――そのときだった。
――コツ。
「……え?」
ヴィオラの手が止まった。今、何かが聞こえた。咄嗟に息を潜める。
――コツ、コツ……。
硬い靴底が、地面を踏む音。
「…………」
ヴィオラの背筋に、冷たいものが走った。あり得ない。風は止まり、砂埃や落下する岩も、人の時間も何もかもが、時の流れから切り離されている。
この《停止》の中で動けるのは――時守の血を引く者だけ。そして今、この場所にいる時守は、自分しかいない。そのはずだった。
「……誰?」
ヴィオラはゆっくりと立ち上がった。そして振り返ると、色を失った空と、宙で静止した無数の岩が目に入った。止まっている土煙の中を縫うようにして、こちらに一つの人影が歩いてくる。
ゆっくりと、まるでこの止まった世界など何でもないかのように、人影がこちらへ近づいてくる。やがて、その人物が土煙の向こうから姿を現した。
「……随分とまあ、無茶をしたものだ」
「…………え?」
ヴィオラの瞳が大きく見開かれた。聞き覚えがある。いや――聞き間違えるはずがない。
「どう……して……」
震えが止まらない。銀縁眼鏡の奥から覗く瞳には、いつもの飄々とした教師の面影はなかった。
そこに立っていたのは――
「ザイデルバスト……先生……?」
アウレア魔法学園の教師、ザイデルバストだった。ヴィオラは息を呑む。どうして。なぜ、彼がここにいるのかではない。もっと根本的な――あり得ない疑問。
(どうして先生が――)
ザイデルバストは、静かにヴィオラへ歩み寄ってくる。止まった時の中を、当たり前のように歩いていた。
(――動いているの?)




