第四十五話 双崖崩落救出作戦 3
「会長!右です!このあと続けて、三つの大岩が落ちてきます!」
バキンッ!!と、頭上から凄まじい音が響き、黒塗りの馬車とルシアンたちの間へ巨大な岩が落ちる。
「ああ!わかった!」
土煙を切り裂き、一筋の光の槍が巨大な岩へと放たれた。
「――天狼星の槍!」
一筋の閃光が巨大な岩を貫いた。
――ドォォン!!
巨大な岩塊が粉々に砕け散る。
「道が開けた!」
「進みます!」
粉塵が舞うその間を三頭の馬が一気に駆け抜ける。前方では護衛騎士たちが結界を展開し、アルヴェインとリリアーナを守るように取り囲んでいた。
(間に合った!!)
その姿を見て、ヴィオラは胸をなで下ろした。まだ、悲劇は起きていない。まだ未来は変えられる。
「兄上!」
「――ルシアン!?何故ここに……」
アルヴェインが振り返り、驚愕の表情を浮かべた。
「話は後です! ここから離れてください!」
「崖が崩れるのか!?」
「はい!」
ルシアンは馬から飛び降りると、アルヴェインたちのもとへ駆け寄った。ヴィオラもすかさずその後を追う。
「ヴィオラ!」
「大丈夫です!」
――ゴゴゴゴゴゴ……!!
耳を劈くような山鳴りが、辺りを支配した。凄まじい風圧とともに土煙が噴き上がり、巨大な壁のように視界を覆い尽くしていく。
ヴィオラは静かに目を閉じ、未来視で視た光景を思い出した。
「会長!右側の崖です!上から三つ、大きな岩が落ちてきます!」
「セシリア!」
『分かったわ!』
水流から返事が響く。セシリアが馬上から右手を掲げた。
「紅蓮槍!」
燃え盛る炎が槍へと姿を変え、空へ駆け上がる。直後に崖から三つの巨大な岩が剥がれ落ちた。
――ドンッ!
一つ目の岩を炎の槍が粉砕する。
「ガルディアス!」
『任せろ!守護王の巨盾』
地面から突き出した岩壁が、二つ目の岩の進路を塞いだ。凄まじい轟音とともに岩同士が激突する。
「三つ目の岩は左へ逸れます!触らなくても大丈夫です!」
「全員、そのまま進め!」
ルシアンの声が飛ぶ。三つ目の岩はヴィオラの言葉通り、崖の途中で別の岩にぶつかり、街道から外れて落下した。
「エレノア!通信を途絶えさせるな!」
『はい!集中しているというお話!!』
水流が戦場を駆け巡り、土煙で視界を奪われた二つの崖の間で、みんなを繋ぎ合わせていた。その光景は、見事な連携だった。
「次は!?」
ルシアンがヴィオラに尋ねる。
「この先で左側が崩れます!その前に馬車の近くから離れてください!」
「聞いたな!総員、馬車を捨てろ!兄上とリリアーナ嬢を最優先で守れ!」
「はっ!」
護衛騎士たちが一斉に動き出した。それを見ながら、ヴィオラは胸の前で拳を握った。
(……いける!これなら未来を変えられる!)
未来が分かっている。何がどこから、どの順番で起きるのか。それさえ分かっていれば避けられる。そう確信した、その時だった。
『……会長、ヴィオラさん、おかしいです!』
「え?」
『魔力が……また動きました』
「どこですか?」
『それが……』
ユノの声が震えた。それは、目の前に途方もない災厄を見た者の声だった。
『全部です』
「……全部?」
『右も、左も……地面の下も』
「――っ」
『さっきまで右側に集まっていた魔力が、急に広がって……双崖全体を覆っています!』
ヴィオラは、はっと顔を上げた。
――ピシッ。
乾いた、小さな音が聞こえた。何かが割れるようなその音に、ヴィオラの視線が右側の崖へ向く。岩肌に、細い亀裂が走っていた。
――ピシッ。
今度は左。そして、足元へとさらに不気味な軋みが伝わってくる。
「……そんな」
呆然と声を漏らしたヴィオラに、ルシアンが振り返る。
「私が視た未来と……違います!」
未来視では、こんな崩れ方ではなかった。最初に右側の崖が崩れ、そのあとわずかな時間を置いて左側が崩落する。その僅かな時間差があったからこそ、逃げる隙があった。
けれど、今は――
――ピシッ、ピシピシッ!
無数の亀裂が、左右の岩壁を這うように広がっていく。足元からも、低い振動が突き上げてきた。逃げるための時間差など、どこにもない。
「……全部」
震える声が零れる。そして、弾かれたようにルシアンを見た。
「全部、同時に崩れます!!」
「全員、走れ!!」
ルシアンの怒号が峡谷に響き渡った。その直後だった。
――ゴゴゴゴゴゴッ!!
左右の断崖が、一斉に崩れ始めた。大小無数の岩が剥がれ落ち、頭上から降り注ぐ。
「セシリア!」
「分かってるわよ!」
セシリアが振り返りざまに腕を振る。炎の槍が空を裂き、迫りくる岩を撃ち砕いた。
「ガルディアス!」
「くっ……!」
ガルディアスが地面へ手を翳す。轟音とともに岩壁が隆起し、降り注ぐ岩石を受け止める。
「エレノア!避難経路の確保を頼む!!」
『もうやっています!でも――道が……!』
不意に、エレノアが息を呑んだ。その刹那、巨大な影が前方を覆った。
――ドォォォン!!
耳を劈くような轟音が、峡谷を揺るがした。前方へ巨大な岩塊が落下し、凄まじい勢いで土煙が巻き上がる。
「前方が塞がれた!後ろへ戻れ!」
騎士の叫びに、一同が弾かれたように振り返った。だが手遅れだった。
――ドォン!!
「――っ!?」
今度は背後へ、巨大な岩塊が落下した。地面が大きく揺れ、退路までもが完全に塞がれる。
「そんな……」
リリアーナの顔から、さっと血の気が引いた。前には、積み重なった巨大な岩。後ろにも、同じように立ちはだかる岩壁。そして左右には、今なお崩落を続ける断崖。
逃げ道が――ない。
ヴィオラは愕然と周囲を見回した。
(こんなの……知らない)
未来視では、こんな光景は視ていない。崩れる順番も、塞がれる道も何もかもが違う。この先に何が起こるのかさえ、もう分からない。
(未来が……変わってる……?)
ヴィオラの呼吸が浅くなる。これまで、未来視で視た出来事は必ず現実になった。だから、どれほど恐ろしい未来であっても、その先に何が起こるのかだけは分かっていた。
けれど今は、何も見えない。
「……どう、すれば……」
途方に暮れた声が、ヴィオラの唇から零れ落ちる。その時だった。
「――まだだ」
「……え?」
迷いのない声に、ヴィオラは顔を上げた。ルシアンだった。崩れ続ける断崖を前にしても、彼の碧い瞳は揺らいでいない。前を塞がれても。退路を断たれても。なお、残された道を探すように周囲を見据えている。
「まだ、終わっていない」
静かでありながら、力強い声だった。その一言が、絶望に呑まれかけていたヴィオラの胸に、まっすぐ届いた。
「ですが……道が……!」
「なら、探せばいい」
「え……?」
思いがけない言葉に、ヴィオラはルシアンを見つめた。ルシアンは崩れゆく峡谷へ鋭く視線を巡らせる。前も、後ろも塞がれている。それでも、その瞳に諦めの色はなかった。
「どこかに、まだ選べる道が残っているはずだ」
迷いのない声だった。その瞬間――。
「……!」
ヴィオラは息を呑んだ。ルシアンの胸元から、淡い光が零れ出していた。
「会長……?」
柔らかな、白い光。それは小さな花弁へと姿を変え、ひらり、ひらりと宙へ舞い上がっていく。
(この光……)
地下礼拝堂で、始原精霊王ヴァルティアの御像を前にしたとき、ルシアンを包み込んだあの光――。
間違いない。あのときと、同じ光だ。
「これは……」
ルシアンも異変に気づいたのだろう。驚いたように、自らの胸元へ視線を落とした。一つ、二つと零れ出す光は次第に数を増し、無数の花弁となって二人の周囲を舞い始める。
やがて、風に漂っていた花弁が、ぴたりと動きを変えた。一筋、また一筋と、まるで何かに導かれるように、すべての光が同じ方向へ流れ始める。
それは――崩れ落ちた岩壁の一角を、まっすぐに指し示していた。
「……あそこ」
崩れ落ちた岩壁。一見すれば、行き止まりにしか見えない。しかし、積み重なった岩と岩の間に、人が抜けられそうな僅かな隙間が残されていた。
白い光は、その場所へ向かって一直線に続いている。
「……道?」
ルシアンの碧い瞳が、大きく見開かれた。その瞬間、彼は理解した。
「これが……『選択の加護』」
未来を教える力ではない。危機そのものを消し去る力でもない。それは、今この瞬間から先へと続く、まだ失われていない可能性を示す力だった。
「全員、あそこへ向かえ!」
その声に、迷いはなかった。
「光が示す場所へ走れ!!」
「しかし殿下! あの先が安全という保証は――」
「私を信じろ!」
「……はっ!」
全員が一斉に走り出した。
「リリー!」
「アル!」
アルヴェインがリリアーナの手を強く掴む。騎士たちが二人を守るように囲み、その後をセシリアたちが追う。
「ヴィオラ!」
「はい!」
ヴィオラもルシアンとともに走り出した。頭上では、今なお岩が崩れ続けている。未来視で視た光景とは、もう何もかもが違っていた。この先に何が待っているのか、もう分からない。
(まだ、諦めては駄目よ)
未来が分からなくても、決められた未来から外れてしまっても、自分たちにはまだできることがある。選ぶことができる。ヴィオラは前を見た。
崩れゆく峡谷の中で無数の白い花弁が、闇を切り裂くように舞っている。それはまるで――まだ失われていない未来へと続く、一本の道のようだった。
◇◆
――ゴゴゴゴ……。
遠くから、低く鈍い音が響いてきた。遅れて、足元へ微かな振動が伝わってくる。
そのたびに森の木々がざわめき、驚いた小鳥たちが一斉に枝から飛び立った。雲ひとつない青空を、無数の影が慌ただしく横切っていく。
「……ついに、始まってしまったのですね」
馬が出払ったあとの厩舎に、ユリアの声が静かに響いた。いつもなら馬のいななきや蹄の音が聞こえる場所も、今は不気味なほど静まり返っている。
その視線の向こうには、見慣れた二つの巨大な崖の間から、うっすらと土煙が立ち昇っていた。恐れていた崖崩れが、ついに始まったのだ。
「これが……『時守の一族』の力ですか」
背後から、穏やかな声がした。振り返ると、白と金の法衣に身を包んだアルベリヒが、治療院から続く回廊をこちらへ歩いてくるところだった。
ユリアの隣まで来ると足を止め、白髪の混じった髭を撫でながら、遠くの双崖へ目を向ける。
「ヴィオラ様の力は、時守の一族の中でも群を抜いています。あれほど鮮明な未来を視ながら、精神を保っていられる者はそう多くありません」
――ドォン……。
また一つ、大きな岩が崩れ落ちた。その音は地響きとなって地面を伝い、二人の足元を微かに震わせる。まるで、大地そのものが悲鳴を上げているようだった。
二人はしばらく、何も言わずその光景を見つめていた。やがてアルベリヒが、小さく呟く。
「……あの方の真っ直ぐなところは、バーベナ様によく似ていますね」
「はい。だからこそ……少々、危なっかしいところまで似てしまったのでしょう」
ユリアは寂しげに微笑み、空を仰いだ。青く澄み渡った空が広がっている。その美しさとは裏腹に、遠くでは今も崖が崩れ続けている。
もう、始まってしまえば、自分たちにあの崩落を止める術はない。
「……もう、どうにもならないのでしょうか」
「ユリアさん。そう悲観するものではありません」
「ですが……」
「地下礼拝堂で、あなたもご覧になったでしょう」
「……ええ」
ユリアの脳裏に、先ほどの光景が蘇った。ヴァルティアの御像からルシアンに向かって放たれた淡い光。それはまるで、白い花弁のように舞う不思議な輝きだった。
「あれはやはり……ヴァルティア様の加護なのですね」
「はい」
アルベリヒは静かに頷いた。
「古い伝承には、始原精霊王ヴァルティア様が、その御力を《観測》《選択》《接続》《分岐》《継承》《織り直し》《創世》の七つに分け、人の世へ遺したと記されています」
「七つ……」
「ええ」
アルベリヒの視線が、治療院へと向けられた。その先にある聖堂には中央の祭壇から伸びる、七本の道がある。そして、その先にある七つの礼拝堂には、それぞれ加護の名が付けられていた。
「それでは、ルシアン殿下の力は……」
「先ほど礼拝堂を確認したところ、《選択の礼拝堂》に光が灯りました。今までなかった魔力が宿ったのです」
「光……?」
「ええ。私がこの治療院を預かってから、一度として灯ったことのない光です。《選択の加護》は、未来を決める力ではありません。ましてや、望んだ未来を必ず手に入れる力でもない」
「では、何を……?」
「まだ残されている道を、見つけるのです」
ユリアの瞳が僅かに見開かれた。
「人は生きている限り、幾つもの分かれ道に立ちます。どの道を進めば正しいのかなど、誰にも分かりません」
アルベリヒは遠くの双崖を見る。崩れ続ける二つの断崖。あの場所で今まさに、子供たちは未来を変えようとしている。
「道さえ見失った時に、それでもなお未来へ続いている可能性を示す。それが、ルシアン殿下に授けられた《選択の加護》なのでしょう」
「…………」
「ヴァルティア様は、正解を教えてはくださらない。どの道を選ぶのか。その先に何が待っているのか。そして、選んだ結果をどう受け止めるのか――それは、人間自身に委ねられているのです」
ユリアは何も言わなかった。アルベリヒの言葉だけが、静かな厩舎に響いていた。
「だからこそ、ヴァルティア様は御力を一人の人間へ与えなかったのかもしれません」
「……え?」
「危険を観測し、選ぶ者がいる。誰かが途切れたものを繋ぎ、誰かが次の時代へ想いを残す」
一人では完成しない。一つの力だけでは、未来を支配できない。
「七つの力は、誰か一人が未来を思い通りにするためのものではないのでしょう」
「……未来を、支配するためではない」
「ええ。未来とは本来、誰か一人の願いによって決められるものではありませんから」
ユリアは俯いた。その言葉が胸の奥深くへ突き刺さる。
「……きっと彼もまた、自らが信じる道を進んでいるのです。背負った使命を、成し遂げようとしているでしょう」
ユリアの表情が曇った。
「……分かっています。それでも、思ってしまうのです。どうして私たちは、相容れることができないのでしょう。争うのではなく……互いに寄り添う道は、本当になかったのでしょうか」
「……それは、私にも分かりません」
アルベリヒは静かに首を振った。そして、ふと聖堂へ視線を向ける。
「ただ――ユノは、自らの素性に気づきました」
「…………」
「ここから先は、私たちが道を決めるべきではありません。あの子たち自身が何を知り、何を選ぶのか……それを信じるしかないのでしょう」
「……私は、あの子にあまりにも酷なことをしました」
「あなた一人が背負うことではありません」
「でも……」
「私たち大人が選んだことのすべてを、運命という言葉で片づけるつもりはありません」
その言葉に、ユリアがゆっくりと顔を上げる。アルベリヒは穏やかな眼差しを、遠くの双崖へ向けていた。
「だからこそ、今度はあの子たち自身に選んでもらうのです」
風が吹き抜けた。遠くから、再び崩落の音が届く。
「未来を紡ぐヴァルティア様の加護を受けた者たち。そして――終焉を司るクロノス様の力を宿す者。二つの力を受け継いだ子供たちが出会い、何を選ぶのか」
アルベリヒは目を細めた。
「あるいは、それこそが――ヴァルティア様が七つの力を遺した理由なのかもしれません」
「……私たちにできることは、もうないのですね」
「いいえ」
アルベリヒは首を横に振った。
「信じることができます」
「…………」
「未来を視る者、今を見つける者、そして、道を選ぶ者がいます。ならばきっと――まだ、未来は残されています」
ユリアは遠くの双崖を見つめた。土煙の向こうにいる子供たちの姿など、ここからは見えない。それでも、ほんの僅かに表情が和らいだ。
「……そうですね」
「ええ。きっと、大丈夫ですよ」
そう告げてから、アルベリヒは彼女へ真っ直ぐ視線を向けた。
「ユリアさん……」
一度、その名を口にして、アルベリヒは静かに首を振った。
「――いいえ」
そして、長く隠されてきた本当の名を呼ぶ。
「ソフィア王女殿下」




