第四十四話 双崖崩落救出作戦 2
けたたましい音を響かせ、三頭の馬が街道を駆け抜けた。蹄が地面を蹴るたび、景色が目まぐるしく後方へ流れていく。
目指すはただ一つ――双崖の試練の道だ。
「ヴィオラ、しっかり掴まっていてください!」
「は、はい!」
先頭を駆けるのは、ルシアンとヴィオラを乗せた馬だった。背後からヴィオラを抱き込むように伸びたルシアンの腕へ、ぎゅっとしがみつく。
乗馬など、生まれて初めてだ。
馬が駆けるたび、身体が大きく上下する。耳元では風が鋭く唸り、鞍越しに力強い振動が絶え間なく伝わってくる。
「きゃっ……!」
ひときわ大きな揺れに、ヴィオラの身体が跳ねる。反射的にルシアンへしがみついた。
「す、すみません……!」
「構わないよ。落馬する方が大変だからね。遠慮せず、もっとしっかり捕まっていればいい
「は、はい……!」
言われた通り、恐る恐る腕へ力を込める。こんな状況だというのに、背中越しに伝わってくる体温を意識してしまう。けれど、すぐに頭を振った。
(今は、それどころじゃない)
ヴィオラは前方を見つめた。遠くの木々の向こうに、二つの巨大な断崖が見え始めている。
双崖の試練の道。
これから、あのそびえ立つ二つの崖で恐ろしい崖崩れが起こる。王太子殿下たちが巻き込まれる前に、なんとしても馬車を止めなければならない。ヴィオラは、ぐっと唇を噛み締めて、気を引き締めた。
「会長ー!そろそろ通信を繋ぎます!」
激しい風と蹄の音に掻き消されそうになりながらも、すぐ後方からエレノアの声が飛んできた。
「エレノア!頼む!」
「お任せくださいというお話!」
セシリアの前に収まったエレノアが、両手を胸元へ掲げる。すると、指先に淡い水色の光がこぼれ落ちる。空気中の水分が小さな雫となって浮かび上がり、それらが細い水流となって宙を巡った。
「観測網展開!」
一筋はルシアンとヴィオラへ。
もう一筋は、ユノとガルディアスへ。
水流は三頭の馬の間を縫うように伸び、やがて淡い光を帯びた水の輪となって、それぞれの耳元へ浮かんだ。
『聞こえますかー?』
「うわっ!」
すぐ耳元で聞こえたようなエレノアの声に、ヴィオラは思わず肩を跳ねさせた。後ろからルシアンの小さな笑い声が聞こえる。
「聞こえているよ、エレノア」
『成功です!通信が完了したというお話です!』
『声が大きいわよ、エレノア!』
『セシリアの声も大きく聞こえるというお話です!』
『あなたの魔法は音量が調節できないの?』
『二人とも、今は言い合ってる場合じゃないぞ』
今度はガルディアスの呆れた声が聞こえてくる。
「……便利ですね」
ヴィオラが思わず呟いた。
「エレノアの水魔法は、こういう状況では非常に有用なんだよ。これなら、馬を止めずに全員へ指示を出せる」
『会長、全部聞こえてるというお話!もっと褒めてくれてもいいんですよ!』
「……余裕があれば後で褒めよう」
『本当ですか? 約束ですよ!』
『エレノア。あまり調子に乗っていると、肝心なところで失敗するわよ』
すかさずセシリアが釘を刺す。こんな状況でも変わらない二人のやり取りに、ヴィオラの口元が思わず綻んだ。
ほんの一瞬だけ、張り詰めていた空気が和らぐ。けれど、馬は止まらない。蹄の音を激しく響かせながら、双崖の試練の道へとひた走る。
前方にそびえる二つの巨大な断崖は、先ほどよりもはっきりとその輪郭を現していた。目的地は、もうすぐそこだ。
その時だった。
『……待ってください』
それまでとは明らかに違う声が、水流に混じった。
「ユノ?」
『何か……変です』
その強張った声に、ルシアンの表情も瞬時に引き締まった。
「何が見える?」
『まだ遠くて、はっきりとは分からないんですけど……』
わずかな沈黙が落ちる。やがて、戸惑いを含んだユノの声が、水流に乗って届いた。
『双崖の辺りに……ものすごく大きな魔力が見えます』
「……魔力?」
『はい。今まで見たことがないくらい、大きいです。それに……何かに引っ張られているみたいに、一ヶ所へ集まっています』
「場所は?」
『右側です』
ヴィオラは息を呑んだ。
『進行方向から見て、右側の崖です。真ん中より……少し上の辺り』
「――っ」
そこは未来視で、最初に小石が落ちてきた場所だった。
「会長!」
「ああ、聞こえている!」
「私が視た崖崩れも、右側からでした!」
ルシアンの表情がみるみる変わる。そして、水流に向かって指示を飛ばす。
「ガルディアス!右の崖だ!中央より少し上に、結界を張れるか?」
『おう!任せておけ!だが、この距離じゃ少し無理だ。もう少し近づく必要がある!』
ヴィオラは前を見る。双崖はもう、すぐそこまで迫っていた。あの狭間へ入れば、逃げ場は限られるだろう。未来視で視た光景が現実に起ころうとしている。その事実に、恐怖に襲われる。それでも、止まるわけにはいかなかった。
「もう少し近づきましょう!」
『ヴィオラ!?』
「ただし、双崖の中には入りません。入口の手前で止まります。ガルディアスさんが結界を展開できる距離まで近づいたら、すぐに教えてください!」
『了解!』
「ユノは引き続き魔力を視てください。少しでも流れが変わったら、すぐに知らせて!」
『はい!』
「エレノアは通信の維持を!」
『お任せあれというお話!』
「セシリアさんは周囲の確認をお願いします!」
『分かったわ!』
一つ一つ指示を出すたびに、返事が返ってくる。皆が自分の言葉を信じ、動いてくれている。その事実に背中を押されるように、ヴィオラは前を見据えた。
「……もう、無茶だけはしないでくれと言っても無駄なんだろうね」
背後から、ため息交じりの声がする。ルシアンに呆れられたのだろうか。頭を少し横に動かして顔を覗き見ると、彼は笑っていた。
「そんな真っ直ぐな君だから、みんな信じたくなるんだ」
「大丈夫。ヴィオラは絶対、私が守る」
「――っ」
飾り気のないその言葉が、不思議なほど深く胸に響いた。顔に熱が集まり、妙に落ち着かない。
「……ありがとうございます」
それだけを返すのが精一杯だった。ルシアンの腕に掴まる手へ、少しだけ力を込める。
怖くないと言えば、嘘になる。未来視で見た光景は、今も鮮明に脳裏へ焼き付いていた。しかし、自分は一人ではない。ヴィオラの言葉を信じて、一緒に走ってくれる人たちがいる。
だから、きっと未来は変えられる。
ヴィオラがそう思った、その時だった。
『……会長、ヴィオラさん!』
「ユノ!どうした?」
『魔力の動きが変です!吸い寄せられてるみたいに、森からも、地面からも……どんどん右側の崖へ集まっています』
「自然に集まっているんじゃないの?」
『……分かりません。でも何かが、集めているように見えます。それが物凄い大きな量になっています!』
「…………っ!」
背筋に冷たいものが走った。
未来視では、崖崩れが起きることしか分からなかった。長雨で地盤が緩んでいたわけでもない。嵐が来ているわけでもない。空は晴れている。それなのに、これほど大規模な崩落が起ころうとしている。
(もしかして……)
これは、ただの自然災害ではない?
『ヴィオラ!ここからなら届く!』
「お願いします!」
『任せろ!』
ヴィオラが振り返ると後方を走る馬上で、ガルディアスが片手を右の断崖へ向けた。もう片方の腕で手綱を握り、ユノを支えながら魔力を練り上げる。
『守護王の巨盾!』
その掌から、褐色の光が迸った。光は街道を飛び越え右側の崖下へ到達した瞬間、大地が轟いた。街道の両脇から岩がせり上がり、頭上で繋がっていく。
「すごい……!」
それはまるで、街道を守るために造られた岩のトンネルだった。
『後は、王太子殿下たちの馬車が、入口で止まっていてくれればいいのだが』
「ああ、祈るしかない」
『前を見て!』
「え?」
セシリアの叫び声に、ヴィオラが顔を上げる。双崖の狭間に舞い上がる砂埃の向こうに、何かが見えた。先行する騎士たちの掲げた旗には、ヴァンヴェール王家の紋章が描かれていた。その奥には、黒塗りの馬車が走っている。
「……嘘」
『王太子殿下……!』
間に合わなかった。王太子たちの一行は、すでに、双崖の試練の道へ入っている。
「会長!」
「分かっている!」
ルシアンが叫ぶ。その瞬間だった。
――ゴゴゴゴゴゴ……。
地の底から響くような音がした。馬たちが一斉にいなないた。
「……この音」
ヴィオラの顔から血の気が引いた。未来視で聞いた音と同じだった。
――カラッ。
小さな石が、崖から転がり落ちる。一つ、二つ。やがて無数の小石が、雨のように降り始めた。
「会長……始まります」
ヴィオラは右側の崖を見上げた。
「崖崩れが――!」
――ドォォォン!!
凄まじい轟音とともに、巨大な岩塊が崖から剥がれ落ちた。
『守護王の巨盾!』
ガルディアスの声が響いた。街道を覆っていた岩壁が、落石を受け止める。轟音とともに大量の土煙が舞い上がった。
「……防いだ」
未来視では、なかった光景だった。ヴィオラたちがここへ来たことで、未来は確かに変わっている。
「未来は……変えられる」
土煙の向こうで、黒塗りの馬車が止まった。扉が開き、アルヴェインがリリアーナを連れて飛び出してくる。
「――っ!」
ヴィオラは息を呑んだ。あの場所だ。未来視で、リリアーナが岩の下敷きになった場所。
「会長!」
「ああ!」
「急いでください!」
ヴィオラはルシアンの腕を強く掴んだ。
「今なら、まだ間に合います!」
ルシアンが手綱を握り締める。
「しっかり掴まっていて!」
「はい!」
馬が地面を蹴った。崩れ落ちる双崖へ向かって、二人は駆け出す。
(絶対に――)
ヴィオラは土煙の向こうを見据えた。
(今度こそ、助ける!)




