第四十一話 ユノの視ている世界 2
その魔力の持ち主が誰なのか――それを知ることになったのは、それから間もなくのことだった。
その日、学園の裏庭で突然、地蝕が発生した。
大地が大きく揺れ、地面に亀裂が走る。周囲から悲鳴が上がり、生徒たちは我先にと逃げ惑った。
「皆、落ち着け!」
生徒会長の指示のもと、生徒会のメンバーたちは素早く動き始める。避難を誘導する者、結界を張る者、情報を収集する者、魔物に立ち向かう者。私もその中に混ざり、必死に治療へと走った。
怪我をした人を見つけては駆け寄り、治療魔法を施す。次から次へと運ばれてくる負傷者を前に、息をつく暇もない。
それでも、不思議と怖くはなかった。
自分にも、できることがある。誰かの役に立つために。誰かを助けるために。そのために、私は今まで生きてきたのかもしれない。そんなことを思いながら、必死に走り回っていた。しかし、事態は深刻になった。
地蝕によって大きく裂けた大地の底から、何かが這い上がってきた。轟音とともに姿を現したのは、建物ほどの巨体を持つ魔人だった。
「……っ」
あまりの大きさに、息が止まった。身体中から力が抜け、足が竦む。逃げなければ……。そう思っているのに、足は地面に縫い付けられたように動かなかった。
「全員、結界を張れ!!自分の身を守ることを最優先にしろっ!!」
遠くから、会長の声が聞こえる。けれど、その声さえも遠く感じられた。巨大な魔人から目を逸らせず、身体が恐怖に支配されていく。
ああ、このまま私は死ぬんだ。そう思った瞬間だった。眩い光が、辺り一面を包み込んだ。光の向こうに、一人の少女が立っているのが見える。その姿を見た瞬間、私は思考が止まった。少女から溢れ出す魔力――その色には、見覚えがあった。
赤、青、緑、金。いくつもの色が重なり合い、虹のように輝く、あの魔力。噴水広場で見た、あの美しい魔力の残滓と同じ色だった。
それはあまりにも綺麗な光だった。
「……時守の魔女」
いつの間にか近くまで来ていた会長が、ぽつりと呟いた。
「……時守?」
私は小さく息を呑んだ。その名前は、聖堂治療院にいた頃、聞いたことがあった。
『始原精霊クロノス様は、時間と終焉を司る御方。時守の一族は、そのクロノス様から加護を授かり、時間魔法を操った。しかし、その力を悪用し世界の終焉を望んだ一族は、滅ぼされたのだ』
幼い頃に大人が話していた。だから私は、時守の一族というものを、ずっとそういうものだと思っていた。
けれど、今、目の前にいる少女は違う。
古代の魔術を使い、地蝕を鎮めようとしていた。私たちを救おうとしている。滅びへ導くどころか、私たちの未来を紡ごうとしている。
胸の奥で、何かが静かに崩れていく。長い間、正しいと思っていたものが、初めて揺らいだ。
そして、こんなにも美しい虹色の魔力を持ち、必死に、誰かを救おうとしている人が、世界の終わりなんて望むはずがない。
伝わっている話と事実は違う。私は直感でそう思った。
だから、地下施設でアージェンさんの様子に異変を感じた時も、私は迷わず結界の中へ飛び込んだ。
噴水広場で私を助けてくれたのは、間違いなくヴィオラさんだった。そして、地蝕の時にも自分の命が危険に晒されることを顧みず、私たちを守るために鎮めてくれた。
だから、今度は私が力になりたい。
そう願った、その瞬間だった。身体の奥から、今まで感じたことのないほど大きな力が湧き上がってきた。
不思議だった。まるで――あの聖堂で、大きな木に包まれていた頃のような感覚がした。懐かしくて、温かくて。ひとりで抱えていたものさえ、すべて受け止めてもらえるような、不思議な安心感だった。
私は夢中で手を伸ばし、湧き上がる魔力をアージェンさんを蝕む力へと注ぎ込んだ。ヴィオラさんの大切な家族、アージェンさんを守りたい。ただ、必死だった。
その力は、時を織り直すものだった。アージェンさんの身体の中を支配していた、歪んだ時間を次々と解いていく。それを見ながら、私は悟った。
不思議なオーラが視えるのも、時を織り直すこの力も、すべてあの時授かったヴァルティア様の加護なのだと。
だから、なぜこの力を私が授かったのか知りたかった。あの頃の私は、何か怖いことがあるたびに聖堂へ逃げ込んでいた。膝を抱えて蹲り、何もできない自分を隠すように、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
――もう、あの頃には戻りたくない。
顔を上げて、前へ進む。その方法を教えてくれたのは、ユリアさんだった。
そして、前を向いたまま、恐れずに立ち向かう。その強さを教えてくれたのは、ヴィオラさんだった。
二人からもらったものを、今度は私自身の力にしたい。私も、自分から逃げるのではなく、自分自身と向き合いたい。
そう決意した。だから私はもう一度、この故郷の地へ訪れた。久しぶりに目にした故郷の景色も、聖堂も、以前と何一つ変わっていないように見えた。
けれど、私にはひとつだけ明らかな違いが視えた。以前は、聖堂全体を包み込むように、七色の淡い光の糸が視えていたのだ。いくつもの光が絡み合い、まるで聖堂そのものを守るように、静かに揺らめいていた。
それなのに、今は一色しか視えない。
その光はあまりにも弱々しく、今にも途切れてしまいそうだった。何かがおかしい。胸の奥が、ざわめく。
ヴァルティア様に――何かが起こっている。
そう思った途端、嫌な予感が全身を駆け抜けた。そんな私の様子に、気づいたのだろう。
「……いつでも、どんなことでも、話を聞くからね」
隣に座っていたヴィオラさんが、静かに声をかけてくれた。
その優しい言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。ヴィオラさんは、一族を理不尽に滅ぼされ、義弟のアージェンさんと二人で生き残った。その後も、禁忌を犯した一族という汚名を背負い、正体を隠すために姿まで変えて生きてきたのだ。
きっと私には想像することさえできないほど、苦しいことがあったはずなのに。それでも彼女は、誰かを気遣う優しさを失っていない。
私も彼女のように強くなりたい。でも、そのためにはまず自分を知らなければならない。私に視える、この光はいったい何なのか。なぜ、ヴァルティア様から加護を受けたのか。そして、今ヴァルティア様に何が起こっているのか。
自分の真実から目を背けない。そう決めて、再び院長様の後について地下礼拝堂へ向かった。
しかし、そこで私を待っていたのは、あまりにも残酷な真実だった。
地下礼拝堂は、幼い頃初めて連れてきてもらった場所と変わらなかった。あの頃と同じように扉が開かれ、その奥へ足を踏み入れる。
そして、ヴァルティア様の御像を目にした瞬間、息が止まった。
「……っ!」
私が知っている、ヴァルティア様の御像とは違った。幼い頃に見た御像は、七色の光に包まれていて、森の中に降り立った精霊のように美しく、穏やかな微笑みを浮かべていた。
けれど、今は一色の光だけが残っていた。しかも、その輝きはあまりにも弱く、今にも消えてしまいそうだった。そして何よりも、その顔に浮かんでいたのは、今にも泣き出してしまいそうな、悲痛な表情だった。
「私には、幼い少女の姿に見えるというお話です」
ふいに、エレノアさんとセシリア先輩の声が聞こえた。
「え? 私には、お母様のような聖母様の姿に見えるわよ?」
二人の言葉を聞きながら、ゆっくりと御像を見つめた。同じ御像を見ているはずなのに、人によって見える姿が違う。
ならば、この姿が見えているのは……私だけだ。悲しみに沈んだ、その姿。消えかけた、たった一色の光。
ヴァルティア様の御像の瞳が、真っ直ぐに私を見つめているような気がした。何かを伝えようとしている。そんな、切実な眼差しだった。
その時、ふわりと風が吹いた。御像の周囲に咲いていた白い花が、一斉に揺れる。何枚もの花びらが舞い上がり、静かに会長の周囲を取り囲んだ。そして、柔らかな光が一瞬だけ会長を包み込み、花びらはそのまま空気に溶けるように消えていった。
私は息を呑んだ。その光には見覚えがあったからだ。幼い頃、ここで見た光景と全く同じだった。
「……今のは?」
唖然とした表情で会長が呟く。その問いを受けてアルベリヒ様が静かに口を開いた。
「……ヴァルティア様の加護です」
穏やかな声だった。けれど、次に告げられた言葉は、私の世界を一瞬で変えた。
「ヴァルティア様は遥か昔より、ヴァンヴェール王国を築いた血脈に加護をお与えになりました。ヴァルティア様から加護を授かったということは、つまり――王家に連なる血を受け継いでいる証なのです」
「え?」
私の全身を激しい衝撃が襲った。
聞き間違いではない。おそるおそるアルベリヒ様を見ると、その表情は、いつもの穏やかなものとは違っていた。眉尻を下げ、どこか申し訳なさそうに私を見つめている。
彼は知っていたのだ。
胸の奥が、冷たくなる。アルベリヒ様は全て、知っていた。私がなぜ、この場所へ戻ってきたのかも。私が何を知りたがっていたのかも。
だからこそ、ここへ会長と私を連れてきたのだ。自身の真実を――自分の目で確かめさせるために。
身体の震えが止まらない。
人の周囲に浮かぶ、不思議な光と魔力の色。消えゆく命の輝きがこの目で視えるのも――私が、王家の血を引いているから……
頭の中で、今までの出来事が次々と繋がっていく。けれど、その答えは私を救ってはくれなかった。
むしろ、胸の奥を鋭く締め付けた。事実は、あまりにも残酷だった。私はこの世には望まれない存在だったのだろうか。王家から抹消された存在だったのだろうか。
そんな考えが浮かんだ瞬間、呼吸が苦しくなった。
私は……私は……
「ユノ!!」
足元から力が抜けた。倒れそうになった身体を、誰かがしっかりと支えてくれる。顔を上げると、ヴィオラさんが私の肩を支えていた。
「大丈夫?」
心配そうに覗き込む瞳。その優しさに、今はかえって胸が痛む。
何か言わなければ。大丈夫だと伝えなければ。そう思って顔を上げた、その時だった。
「……え」
ヴィオラさんの身体から、一本の光が伸びている。それは細く、淡い光の線だった。けれど、それだけではない。会長の身体からも、同じ光が伸びている。二本の光は、まっすぐに御像へと続いていた。
「……!!」
息が止まった。光の先にある、ヴァルティア様の御像。その背後で何かが蠢いていた。
それは黒い影だった。まるで、闇そのものが形を持ったかのようだ。次の瞬間、影が弾ける。
一直線に――ヴィオラさんへ向かって飛んだ。
「ヴィオラさん、逃げて!!」
私は反射的に叫んだ。けれど――遅かった。
黒い影はヴィオラさんの右眼へ吸い込まれるように消えていった。




