第三十四話 アージェンのお見舞い
「本当に、眠っているだけなのよね……」
大きな天蓋付きの寝台に横たわるアージェンを見て、セシリアはぽつりと呟いた。
応接室を出た一行は、いったん各自の荷物を整理し、アージェンの見舞いへと向かった。彼の部屋にはほどなく生徒会の面々が集まり、寝台を囲むように立ち並ぶ。静かに眠るアージェンの顔を、誰もが心配そうに覗き込んでいた。
窓から差し込む午後の陽射しが、眠る彼の青紫色の髪をそっと掠めていた。普段は夜を溶かしたように深いその色が、陽光に照らされてアメジストの結晶のように透き通り、白い枕の上にサラリと広がっている。その端正な横顔を眺めていると、精巧に造られた美しい人形細工のようで、もう二度と目を覚まさないんじゃないかと、恐怖に襲われた。
そっと手に触れると、静かで穏やかな寝息が聞こえ、ヴィオラはホッと胸を撫で下ろした。
「はい。四日前からずっとこの様子です。医師の見立てだと、魔力切れを起こしている状態なので、ゆっくり魔力が回復すれば、目を覚ますそうです」
「そうなのね……」
セシリアも安心したように息を吐く。
地下施設で起こった朧気な記憶をヴィオラは辿った。突然、瘴気に包まれたアージェンの身体。魔獣化しそうな程、どす黒く爛れた腕。
(ユノがいてくれなかったら今頃どうなっていたか……)
最悪の事態が脳裏を掠め、ヴィオラは慌ててその考えを振り払った。今、目の前で静かに眠っているだけで充分だ。アージェンが無事に、ここにいてくれるということだけで、涙が出そうになるほど嬉しかった。
「大丈夫ですよ。ヴィオラさん」
「え?」
感傷に浸っているヴィオラの様子を見て、安心させるようにユノが優しく言った。
「アージェンさんの魔力は充分、戻ってきています。紫色の淡い光の外側をシルバーのオーラが包み込んでいて、とても美しい色です」
「そう……良かった」
ふわりと笑うと、シオンが横からズイッと顔を出した。
「え?何?ユノ、魔力の色が見えるの〜?」
ヴィオラは、はっと目を見開いた。ユノはこれまでに、誰にも言えずにそのことを胸の内に秘めていたのだ。それを知られてしまっても、平気なのだろうか。ヴィオラは心配そうにユノを見つめた。
「はい。正確には……魔力だけじゃないんです。人によって、身体の周りに違う色の光が見えるんです」
部屋全体に、戸惑いと驚きが静かに広がった。
「私には、それがオーラのように見えます」
「オーラ……」
「はい。色や濃さは人によって違います。健康な人は濃くて、安定していることが多いんですけど……怪我をしていたり、魔力が弱っていたりすると、色が薄くなったり、ところどころ途切れて見えることもあります。でも、アージェンさんの今のオーラは、ほとんど元の状態まで戻っています」
「それなら……どうして目を覚まさないのかしら……?」
憂いを帯びた表情でセシリアが呟く。確かに、魔力が回復していれば、意識は戻ると医師は言った。それなのに、未だアージェンは眠ったままだ。
「そこが……私にも分からないんです。身体も魔力も目を覚ましてもおかしくない状態です。もしかして、身体の問題というより、何かきっかけが必要なのかもしれません」
「きっかけ……?」
「はい。例えば、脳や環境に小さな刺激を与えるとか、本人にとって大切な人の声を聞くとか……ですかね?」
「なるほど……」
もしかすると、アージェンは目覚めるきっかけを待っているだけなのかもしれない。ほんの少し何かが変われば、彼は目を覚ましてくれるのではないだろうか。
「非常に面白いというお話!!」
突然、黙っていたエレノアが勢いよく身を乗り出した。
「つまり、ユノさんは通常の魔力探知とは異なる方法で、生体魔力を視認できるというお話ですね!?」
「えっと……そう……なのかな?」
「通常、対象の魔力量や属性を感知することはできても、個人ごとのオーラを視覚的に捉えることはできません!!それを個人ごとに色分けして視認できるなんて、画期的なお話です!!」
「エレノア、気持ちは分かるけど、まずは落ち着いてよ〜」
シオンは興奮したエレノアを落ち着かせようと試みるが、失敗に終わった。
「落ち着いていられません!!とても凄いことですよ!!ものすごく珍しい能力だというお話です!!」
「私もそう思います」
ユノは苦笑した。そして、何かを決心したように顔を上げて、みんなの顔を見渡した。
「だからこそ、ちゃんと調べるため、ここに来たんです」
「調べる?」
ヴィオラが問い返すと、ユノは小さく頷いた。
「はい。私がこの力を持っている理由を、私は何も知らないんです」
寂しそうに自分の手のひらを見つめた。その声にはユノの葛藤が滲んでいた。
「物心ついた頃から、ずっと見えていました。人の身体を包む光も、魔力の流れも……私にとっては、それが普通だったんです。だから、誰かに話しても……きっと信じてもらえないと思っていました。変なものが見える子だと思われるのが怖くて、ずっと黙っていたんです」
不思議なものが見える。それはユノにとってどんな気持ちだったのだろう。幼い頃から、知らない過去や未来が視えるヴィオラだからこそ、その痛みや苦悩が分かった。それは、決して良いことばかりではなかった筈だ。
「でも私が育った聖堂治療院なら、……もしかしたら、何か記録が残っているかもしれません」
「聖堂治療院?」
「はい。そして……その聖堂治療院には、始原精霊王――ヴァルティア様がこの地に降臨したという逸話とともに、古くから祀られている御像があるのです」
「……ヴァルティアの像」
その名を聞いた瞬間、ヴィオラは目を見張った。地下施設の石板。ヴィオラが触れた瞬間に現れた文字。
『終焉を欲する者、クロノス。
終焉を拒みし者、ヴァルティア』
かけられた誓約魔法で、所々はっきりとは思い出せないが、確かにそう書いてあった。
「リュウール伯爵領の聖堂治療院には、ヴァルティア像があるというお話!?」
エレノアが再び叫んだ。興奮冷めやらぬ顔で、赤縁の眼鏡がきらりと光った。
「は、はい……」
「これは非常に興味深いお話です!!始原精霊王ヴァルティアは、ヴァンヴェール王国の建国にも深く関わったとされる精霊。しかも、生命と循環を司る精霊王というお話です。もし、その伝承が古い記録として残っているのなら――ユノさんの能力と、関係あるかもしれないお話!!」
「私の力と……?」
「ええ、もしかしたらヴァルティアから加護を与えられているかもしれないお話です!!ふふふふふ!!ああ、どうしましょう!!また研究対象が増えて幸せなお話です!!」
「エレノア、声が大きい」
ガルディアスが呆れながら諭すが、自分の世界に入っているエレノアは聞く耳を持たない。
その言葉を聞きながら、ヴィオラは無意識に自分の手を握りしめていた。生命と循環を司る、始原精霊王。そして、クロノスと対になる存在。
(偶然……なのかしら)
ユノがアージェンを救った力と、聖堂治療院に残るヴァルティアの像。そして地下施設から見つかった石板――その三つは、無関係には思えない。
「ユノ、私も聖堂治療院へ一緒に行ってもいいかしら?」
「もちろんです。明日、聖堂治療院へ行く予定だったんです。ヴィオラさんが一緒なら嬉しいです」
「それなら、私も連れて行って欲しいというお話です!!」
間髪入れずに声を上げたのは、もちろんエレノアだった。
「始原精霊王ヴァルティアに関する記録が残っているなら、ぜひとも確認したいです!」
「それが目的になっていない〜?」
シオンが呆れたように言う。
「もちろん、ユノさんの能力について調べることも重要です!」
「後から付け足した〜」
いつものように言い合う二人を見て、みんなが吹き出す。エレノアとシオンのやり取りに、小さな笑いが起こった。
その和やかな空気の中で、ヴィオラはもう一度、眠っているアージェンへ視線を向けた。
「……アージェンも、連れて行けたら良かったのに」
「きっと、目を覚ましてくれますよ」
「……そうね」
ヴィオラは頷いた。その時だった。
「…………」
誰も気づかないほど微かな変化だった。眠っているアージェンの指先が、ほんのわずかに動いた。
「……あれ?今、一瞬だけ……アージェンさんのオーラが揺れました」
「本当?」
眠ったままのアージェンには、何の変化もない。穏やかな寝息を立て、静かに横たわっている。
「……きっかけか」
「会長?」
いつの間にか隣に立っていたルシアンに、鼓動が跳ねる。ルシアンは返事をせず、眠り続けるアージェンをじっと見つめていた。
「なるほど……」
「え?」
「ねぇ、ヴィオラ。リュウール伯爵が、婚約を許可するために出した条件を覚えているかな?『立場や権力を利用しないでヴィオラの心を掴むこと』だったよね」
「……会長、なにを?」
ゆっくりとルシアンが近づいてくる。手を優しく握られ、顔に熱が集中した。
「ここに滞在中は、沢山アピールするから覚悟してね?あ、もちろん明日の聖堂治療院には私も同行させてもらうよ」
「っ!?」
「……だめだ…………」
「……え?」
ヴィオラが振り返ると、アージェンの指が、シーツを強く掴んでいた。
「……動いた!」
セシリアが声を上げると、微かにアージェンの身体がピクリと反応した。その反応に、みんなの期待が膨らむ。
「オーラが……さっきとは比べものにならないくらい強いです!」
「そういうことか」
ルシアンが呟いた。その声は、どこか納得したようだった。
「どうやら、こちらの話は聞こえているようだね」
「会長……もしかして、アージェンが反応するために、わざと?」
「まさか」
ルシアンは微笑む。その笑顔にはどこか黒いものが潜んでいて、ヴィオラは苦笑いしかできない。
「私は本気だよ」
「会長、絶対確信犯だ〜!」
シオンが笑い出したその時だった。
「……義姉さん」
かすかな声が響いた。
「……っ!」
全員が息を呑む。アージェンの瞼が、ゆっくりと震えた。
「アージェン……?」
「義姉さん……」
銀灰色の瞳が、ゆっくりと開く。まだ意識が朦朧としているのか、焦点が定まらない。それでもヴィオラの姿を見つけた瞬間、その瞳に確かな光が宿った。
「アージェン!私が分かる?」
「……うん」
小さく頷いた。しかしヴィオラのすぐ隣に立つ、ルシアンを見るとそこで視線が止まり、アージェンの目が細くなった。
「…………」
「おはようございます、弟君。無事に目を覚ましてくれて安心しました」
「……なんで、会長が義姉さんの隣にいるんですか?」
「……義姉さんの隣は……僕の場所だ」
「おや、弟君。それはこれから分かりませんよ」
「…………」
部屋が静まり返った次の瞬間だった。
「ははははは!」
「ふふっ……!」
「くっ……!」
笑い声が重なり、部屋に明るい空気が満ちていく。アージェンが目を覚ましてくれた。それだけで、ヴィオラは胸が熱くなり涙が滲む。
自分を案じ、ルシアンに嫉妬する弟の姿は、眠りにつく前と何も変わらない。その当たり前の光景が、今は何よりも愛おしかった。
「……よかった」
ヴィオラはアージェンの手を両手で包み込んだ。
「本当に……よかった……」
「義姉さん……?」
「おかえりなさい、アージェン」
アージェンは少し驚いたように目を見開いた。それから、ゆっくりと微笑む。
「……ただいま、義姉さん」
その言葉を聞いた瞬間、ヴィオラは心から笑った。ルシアンも、そんな二人を静かに見つめていた。
ここにはちゃんとアージェンがいる。
ヴィオラにはその事実だけで、十分だった。




