第三十三話 再会
重厚な扉が閉じる。静かな金属音が響いた途端、張り詰めていた空気がほどけた。
「……はぁぁぁぁ〜……」
ヴァイセルクが退出するや否や、シオンは肺の中の空気をすべて吐き出すように、盛大なため息をついた。糸がぷつりと切れたように、ソファに突っ伏す。
「疲れた……」
「お前は菓子を食べていただけだろう」
ガルディアスが苦笑いを浮かべ、呆れたように言った。シオンに限らず、全員が緊張していたのは事実だった。
「精神的に疲れたんだよ〜。あんな怖い伯爵様と会長の会話を黙って聞いてたんだから〜!」
「お前は途中から完全に寛いでいただろう」
「だってこのソファ、フカフカだよ〜!お菓子も美味しいし〜!」
シオンは悪びれもせず、テーブルに残っていた菓子へ手を伸ばした。
「まだ食べるのか」
「疲れたときには甘いものが必要だよ〜」
「そういう問題ではない」
二人の会話を聞いているうちに、張り詰めていた心がふっと解けていった。義父とはいえ、つい先ほどまで目の前にいたのは、王国一と称される魔術師団長だ。生徒会の面々が緊張してしまうのも無理はない。
それなのに今は、そんな空気などすっかり消えている。取り繕うことなく笑うシオンの姿に、胸の奥がほのかに温かくなった。
「そういえば……」
改めて、部屋にいる皆を見渡す。そしてヴィオラは立ち上がると、一礼をした。
「みんな、来てくださって……ありがとうございます」
地下施設の調査以来、こうして全員が揃った姿を見るのは久しぶりだった。
「もう!何言ってるの?当然じゃない!!ヴィオラもアージェンもいきなりいなくなったから凄く心配したんだからね!!」
セシリアが勢いよくヴィオラの肩に手を置いた。地下施設でもそうだった。心の底から自分を案じてくれる彼女の真っ直ぐな優しさが、嬉しいのに、どうにもくすぐったい。
「寮の部屋を訪れたら見当たらなかったので、心配しました。こちらに来るまで気が気じゃなかったのですが…本当に無事でよかったです!」
ユノもはにかみながら控え目に笑顔を見せた。その姿がまた愛らしくて、胸の奥がキュンとする。
「魔力の残滓が無かったら、誘拐かと思ったぞ」
「アージェンは大丈夫なの〜?」
「ヴィオラさん、時守の一族の里は近くにあるってお話、本当ですか?」
次々に声を掛けられ、ヴィオラは戸惑う。短い間に彼らはヴィオラを仲間として受け入れてくれていた。それが少し気恥ずかしくて、少し騒がしくて、少し遠慮がなくて。けれど、それが妙に心地よかった。
「みなさん、アージェンのお見舞いに来てくれたんですよね?」
「もちろん!!」
セシリアが笑顔で頷く。
「地下の施設から戻ってから、まだ目覚めていないようだったからな」
「そうそう。あんな状態で別れたら心配だもんね〜」
「……ありがとうございます。まだ目覚めていませんが、魔力が回復すればもうすぐ意識が戻るそうです」
ヴィオラの言葉に、ほっとするような雰囲気が広がった。誰もが胸に抱えていた不安が、少しだけ和らいだようだった。
「それにしても……どうしてザイデルバスト先生も一緒なんですか?」
「……」
問いかけると、ザイデルバスト先生がわずかに目を逸らした。
(……なんだろう……?聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がする)
その様子に、ユノが苦笑しながら口を開いた。
「実は、私はこの領地にある聖堂治療院の出身なんです。ちょっと調べたいこともあって、故郷に帰ろうと思っていたんです」
初めて聞く話だった。まさかユノと一緒の領地で過ごしていたなんて知らなかった。
「俺は単純に通り道だからだ。王都から俺の故郷へ向かうなら、リュウール伯爵領を通る。だから、ついでに寄ることにした」
「最初はガルディアス先輩と二人で来るつもりだったんです。けれど、話の流れで生徒会メンバー全員で来ることになりまして……」
納得しかけたところで、セシリアがため息をついた。
「みんなで一緒に行くことになったのはいいけど……待ち合わせの朝になっても、いつまでたっても二人が来ないの!」
「え……?」
「まさかと思って、乗合馬車の乗り場を見に行ったら、二人ともそこで待ってるんだもの!」
「すみません……セシリアさん。まさか私たち、王家の馬車に乗せてもらえるなんて思っていなかったんです」
「目的地は一緒でも、行き方は別々だと思っていたんだ」
「迎えに行ってよかったわ!それで、そこにザイデルバスト先生もいたってわけ!」
「先生もリュウール伯爵領へ向かうところだったらしくてな」
「……そこでセシリア嬢に見つかった」
ザイデルバストが遠い目をする。
「行き先が一緒なら先生も一緒にどうかなと思いましてね!」
「いや、私はただ巻き込まれただけなのだが……」
「それで、先生も一緒に王族の馬車へ乗せられたんだよ〜」
楽しそうにシオンが笑う。
「そうだったんですね……」
セシリアに捕まったユノとガルディアス。そこへ偶然居合わせて、巻き込まれたザイデルバスト。そのまま王族の馬車へ乗せられていく三人の姿が目に浮かぶようだった。
「それにしても、王族の馬車の乗り心地の良さったら!!あんなに揺れない馬車、初めて乗ったよ〜!!」
「あの馬車は最新の駆動原理を採用しているというお話!!」
エレノアが赤縁の眼鏡を押し上げ、得意そうに言った。
「車輪の回転運動によって生じる振動を魔力で相殺し、さらに車体そのものにも衝撃を和らげる魔術式が組み込まれているのです!!」
「エレノア、そこなの!?」
「はい!!重要なお話です!!」
「乗り心地の話だよ!?」
「ふふふ……乗り心地を左右する駆動原理についての術式がまた画期的で――」
「もういいよ〜!」
シオンの悲鳴が響く。二人の掛け合いがまた始まった。ヴィオラは堪えきれず、思わずくすくすと笑った。
その時、ふいに誰かの視線がこちらに注がれていることに気がついた。顔を上げると、向かいに座るルシアンが、じっとこちらを見つめている。
「……っ」
碧い瞳と視線が重なった瞬間、ヴィオラの心臓が、うるさいほどの音を立てて跳ねた。慌てて視線を逸らす。
(……どうして?)
なぜこんなにも胸がざわついてしまうのか、分からなかった。自分の感情に戸惑っていると、彼は驚きの混じった表情で、ぽつりと呟いた。
「……初めて、笑うのを見たよ」
「え?」
「ヴィオラが、こんなふうに笑うところ……初めて見た」
静かな声が、胸の奥をくすぐるように響く。嬉しいような、気恥ずかしいような、不思議な感覚が身体を駆け抜けた。
「僕たちにとっては、二回目だもんね〜」
横からシオンが、のんびりと口を挟む。
「……なに?」
ルシアンが、ぴくりと眉を動かした。
「地下施設のときも笑ってたよ〜」
「そうでしたか?」
「そうそう。僕、ちゃんと覚えてるよ〜」
「……ずるい」
「え?」
ぽつりと漏れた言葉に、ヴィオラは目を瞬かせた。ルシアンは唇を噛みしめたまま、悔しさを滲ませた瞳でこちらを見ている。その表情の意味が分からず、ヴィオラは困惑した。
「……気にしないでくれ」
何かを言いかけるように唇を動かしたあと、ルシアンは静かに目を伏せた。その顔が、ひどく切なく見えた。
(……まだ、気にしているのかもしれない)
『今は、一人で少し考えたいの』
あのとき、そう言って彼を遠ざけたのは自分だった。
心配してくれていたことも分かっていた。それでも、時守の一族に起きたことを知れば知るほど、誰かを信じることが怖くなっていた。
特に、王家に連なるルシアンに対して冷静に話ができる自信はなかった。
「……あ、あの!」
気づけば、声が出ていた。
王国が時守の一族にしてきたことを、許せなかった。失われた命も、奪われた日々も、消えてしまった故郷も、どれだけ時間が経とうと、忘れることなんかできない。
でも、私はずっと過去に答えを求め続けていた。なぜ、一族は滅ぼされたのか。誰が、何のためにアージェンを実験体にしたのか。その答えさえ見つければ、すべてを取り戻せるような気がしていた。
けれど 、どれほど過去を見つめても、そこへ戻ることはできない。もう、やり直すことはできない。それなら、これから先をどうするのか。それを決めるのは、自分自身なのではないだろうか。
『王家ではなく、私を信用して手を貸してくれないか?』
生徒会の執務室で、ルシアンはそう言った。王家の人間としてではなく、一人の人間として。
時間の歪みによって、滅んでいく世界を救うために――
憎しみを捨てる必要はないし、忘れる必要もない。だからといって、ルシアンは過去を変えようとしているのではない。過去を知ったうえで、その先にある未来を正そうとしている。
そんな気がしてならなかった。
(……私は、未来を選びたい)
胸の奥に、まだ小さな想いが灯っている。それが何なのか、今はまだ分からない。けれど、この想いまで過去に決められてしまうのは嫌だった。
だから、自分で確かめてみたい。自分の目で見て、自分の心で決めたい。
「……会いに来てくださって、ありがとうございます」
言葉にすると、胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。ルシアンがゆっくりと顔を上げる。ヴィオラはその瞳を、今度は逸らさなかった。
「……いや、ヴィオラが元気そうで安心したよ」
穏やかな声だった。けれど、その表情には、言葉だけでは伝えきれないものが滲んでいた。
泣きそうになるほどの何かを、胸の奥へそっと押し込めるように――ルシアンは、ふわりと笑った。
ひどく優しい笑顔だった。その瞬間、脳裏にひとつの光景が浮かんだ。
(どうして……)
白い幹が立ち並ぶ、ブナ林。木漏れ日の中で、こちらを見上げていた幼い少年。泣き腫らした瞳。そして、泣きながら見せた――あの笑顔。
(……まさか)
ヴィオラの胸の奥で、何かが小さく震えた。




