第三十話 それぞれの思惑 2
「ユノ、僕も一緒に連れて行ってくれないかな?」
突然のシオンの言葉に、生徒会室の空気がぴたりと止まった。ペンを動かす音も、紙の擦れる乾いた音も一切消える。その場の視線がシオンに集中した。
普段なら、軽口を叩き場を和ませるような冗談ばかり言う男だ。その彼が、今は珍しく真剣な顔をしている。
「いいですけど……シオンさんどうしたんですか?」
「いや、少し気になることがあって……」
そう言いかけると、シオンは窓の外へ視線を向けた。いつものように笑って誤魔化すことも、おどけることもしない。外の喧騒を眺めながらどこか遠くを見るような目をしていた。
「この目で確かめたいことがあるんだ」
その表情はやけに真剣で緊張感を含んでいた。彼らしくないその姿に、ユノはそれ以上何も言えなくなった。
「それなら私も行くというお話!!」
「エレノア?」
今まで魔術書を読み漁っていたエレノアが、勢いよく声を上げた。その姿に、誰もが呆気にとられた。魔術書に夢中で、こちらの会話など一切聞いていないと思っていたからだ。
「リュウール伯爵領は、滅んだ時守の一族の里に一番近い領とされています。まだ推測の域ではありますが、調査をすれば時守の一族の里の跡地を見つけることができるかもしれないというお話!!」
完全なる私欲だった。そんなエレノアを見て、ルシアンはハッとした。
彼女は、非常に研究に貪欲だ。如何なる時も未知なる知識を求めて、探求を怠らない。そして、彼女は失敗を恐れて立ち止まることなど、ほとんどない。
ふと、胸の奥に何かが落ちてくるような感覚がした。そうだった。その気持ちを忘れていた。
(……彼女を二度と失わないと誓ったじゃないか)
胸の奥に、微かな熱が灯った。一度拒絶されたからなんだ。遠く離れた領地に帰ったからなんだ。彼女が一人で考えたいというなら、その時間を奪うつもりもない。答えを急かすつもりもない。
だが、彼女の傍にいることを諦める必要はない。
彼女が自分を『王族の人間』として見るのであれば、いつか一人の人間として見てもらえるように努力すればいい。拒絶されたならもう一度、それでも駄目なら、また時間をかけて、何度でも自分の気持ちを伝えればいい。
それが、今の私に出来ることだ。
「……私も行こう」
「ルシアン!?」
「……会長!?」
セシリアとユノが、驚愕の声を上げる。シオンは一瞬だけ目を丸くしたあと、耐えきれないような口元を緩めた。
「へぇ……会長も来るんだ〜?」
「ああ、やっと目が覚めたよ」
小さく息を吐くと、立ち上がって周りを見渡した。全員が絶句した表情を浮かべている。その表情とは裏腹に、ルシアンの心はすっきりと晴れ渡っていた。
「地下遺跡については、まだ分かっていないことが多い。リュウール伯爵は魔術師団長だ。今後の調査について、直接話をする必要がある」
「それは、別にルシアンが行く必要は無いんじゃないかしら?お父様に任せておけばきっと上手くやってくださるでしょう?」
セシリアがわざとらしく首を傾げた。いや、理由などいくらでも作れる。自分自身が一番よく分かっていた。だが、本当に会いたいのは――
(……ヴィオラ)
彼女のことを思い浮かべるだけで、胸の奥が強く締めつけられた。今まで、自分は何をしていたのだろう。もっと早く気づくべきだった。
彼女から離れよう。彼女の邪魔をしてはいけない。そう何度も自分に言い聞かせ、生徒会室で書類に向き合っていた。けれど、書類の内容など何一つ頭に入ってこない。
それは本当に、彼女のためだと思っていたのか。ただ、自分が拒絶されることを恐れていただけではないのか。もう一度、彼女に拒まれるのが怖かっただけではないのか。だから、彼女の望みを尊重するという言葉を盾にして、逃げていたのではないか。
(私が、本当に望んでいるもの……)
「いや、違う」
「私は、ヴィオラに会いたい。そして彼女を守りたい」
凛とした声が室内に響いた。今まで胸の中にあった感情が、ようやく一つの形になったように感じていた。
「だが、それは彼女の意思を無視してはならない。彼女が自分で選べるように、傍にいる。それが今の私にできることだ」
「……」
「だから、行かせてくれないか」
その言葉に、セシリアの目がゆっくり見開いていく。
「……ルシアン」
ルシアンの瞳には、先ほどまでの絶望の色はなかった。しかし、また彼女に拒絶されるという怖さもある。次に差し出した手を拒まれれば、今度こそ自分は壊れてしまうだろう。
けれど、それ以上に強いものがあった。ヴィオラを諦めたくないという、確かな意志だった。
「……ふふ」
「?」
「ようやく、いつものルシアンに戻ったわね」
「そうか?」
「ええ。さっきまで、抜け殻みたいな顔をしていたもの」
セシリアは柔らかく笑った。
「……そんなに酷かったか?」
「酷かったよ~」
「書類を三回読み直して、同じところに署名してたし」
「シオン」
「はい、黙ります」
反射的に口を閉じるシオンを見て、セシリアがくすりと笑った。
「ルシアンが行くならもちろん、私も一緒に行くわよ!」
「アージェンの様子も気になるし、私だってヴィオラにも会いたいもの!」
「よし!」
「では、決まりだな」
「じゃあ、みんなでリュウール伯爵領へ行こう〜!」
さっきまで重かった生徒会室の空気が、少しずつ明るくなっていく。
(待っていてくれ、ヴィオラ)
今度は、逃げない。彼女が答えを出すまで、無理に答えを求めたりはしない。ただ、傍にいる。
彼女が振り返った時、そこに自分がいるように。
(……私は、君を二度と一人にしない)
ルシアンは静かに目を伏せた。その胸に宿った決意を、今度こそ手放さないために。
「さて――」
セシリアが山積みになった書類を見渡した。
「まずは、これを全部片付けましょうか」
「…………」
全員の視線が、一斉に机の上へ集まる。そこには、休校に伴う大量の書類が山のように積まれていた。
「……今日中に終わりますかね?」
「終わらせるしかないわ」
「えぇ~……」
シオンが露骨に肩を落とした。
「僕たち、これから旅に出るんだよ? もっとこう……楽しい準備とか……」
「シオン」
ルシアンが微笑む。
「君には、この半分を任せよう」
「えっ」
「連れて行って欲しいと最初に言い出したのは、シオンだよね?」
「言ったけど!」
「ならば、その責任を果たしてもらわないとな」
「そんなぁぁぁ!」
生徒会室にシオンの悲鳴が響き渡った。セシリアとガルディアスが笑いながら書類を手に取り、ユノも小さく吹き出す。エレノアも、魔術書を置いて書類を手に取ってくれた。
そんな仲間たちの姿を眺めながら、ルシアンは微笑む。先ほどまで胸を覆っていた絶望は、もうどこにもなかった。
やるべきことは、決まった。まずは、この書類の山を片付ける。そして、ヴィオラのいる場所へ向かおう。
ルシアンは椅子に腰を下ろすと、手元の書類を一枚取り上げた。
「さあ、始めようか」
「……さっきまでとは別人みたいですね」
「恋の力って怖いねぇ~」
「シオン」
「すみません、仕事します〜」
生徒会室に紙をめくる音が響き始めた。窓の外では、夕暮れへ向かう初夏の空が、ゆっくりとその色を変え始めていた。
―――――――
『報告です
『地下実験室への潜入に成功しました。計画通り、対象に隙を見て瘴気薬を注入しました
『結界は失念していました
『いや、結果ではありません
『対象が結界を張ったんですよ
『ところが、瘴気に侵されてなかったんです
『瘴気だけに、正気でした
『ふざけていませんよ。真面目も真面目。大真面目です
『注入した量は、魔物になってもおかしくない量でしたから、理性を崩壊されるのが普通です
『瘴気で魔物になった対象に、暴れてもらう予定でした
『ええ、全員滅する計画が、全滅です
『……え?成功ですか?ぜんぜん功を立てていませんが
『まあ、クロノス因子が定着しているという意味なら、成功でしょう
『器が欲しい?何をいれるんですか?
『ああ、時間ですか!時間を入れる器なんて、随分器用ですね
『違う?ああ、対象のことですか。なるほど。対象を器として使用するわけですね
『時間がない?ああ、まだ器がないですからね
『そうじゃない?ああ、すみません。昔からちょっとおしゃべりなんですよ
『まあ、そう怒らないで下さい。仕事はきちんとしますから
『計画は頭に入っています。まあ、成功するかはいささか不安ではありますが。なんせ、行き当たりばったりですから、でもまあ、大丈夫でしょう
『私が主への忠誠心が高いのはご存知でしょう。主従関係には忠実で、誠実です。主だけに、これは譲れない主張です
『なんでしたっけ?そうそう、時守の魔女ですよ
『生け捕りですね。そこは忘れてはいけません
『なんせ私、手加減しないとうっかり殺しちゃいますから




