第ニ十九話 それぞれの思惑 1
生徒会室の外から聞こえてくる喧騒が、やけに耳についた。
家へ戻る生徒たちの足音や笑い声、荷物を運ぶ音。休校が決まり、慌ただしく行き交う人々の気配が、窓の向こうから絶え間なく流れ込んでくる。
しかし、その陽気な雰囲気とは裏腹に、ルシアンの心の中を絶望感と自己嫌悪が支配していた。胸の奥が重く沈み、何か冷たいものがゆっくりと心の内側を侵していくようだった。
(……やはり、彼女の傍を離れるべきではなかった)
地下牢の探索へ向かったのは、自分の判断だった。第二王子として、学園の責任者の一人として。王家が関わっている可能性があるなら、なおさら、自分が確認しなければならないと思った。
それに、彼女を喜ばせたかった。牢に囚われている、生き別れた侍女を救出できれば、笑顔を見せてくれるのではないかと、思ってしまった。
(……私は間違ってしまったのか)
脳裏に浮かぶのは、ヴィオラの伏せられた瞳だった。
初めは警戒していた彼女の顔が、次第にほころんでいくのが嬉しかった。距離が縮まるたび、恥ずかしそうに頬を染める彼女が、どうしようもなく愛おしかった。
きっと彼女にとって、誰かを信じることは容易ではない。
固く閉ざされていた蕾が、春の柔らかな陽射しに包まれて、ゆっくりと花開いていくように、彼女の心も少しずつ開いていく。その変化を感じるたび、ようやくヴィオラの心に触れられたのだと、胸の奥が温かく満たされていった。
けれど、先ほどの彼女は違っていた。まるで何かに傷つき、何かを恐れるように、視線を逸らしていた。
『今は、少し一人で考えたいの』
責めるような響きも、怒りもない。だからこそ、その言葉は胸の奥深くに突き刺さった。
ヴィオラは、ルシアンから距離を置こうとしている。それだけは、疑いようがなかった。あれほど少しずつ縮めてきた距離が、一瞬にして遠ざかったような気がした。
そう、それは明確な拒絶だった。
胸の奥が、ひどく冷えていく。呼吸をするたび、喉の奥が締め付けられるように苦しかった。
(……私が、王族だからか)
その考えが脳裏をよぎった瞬間、胸が強く痛んだ。地下で何があったのかは分からない。だが、あの施設が王国と無関係ではないことくらいは、ルシアンにも察することができた。
アージェンは、命懸けでヴィオラを守ったのだろう。ボロボロに傷つき、魔力を消耗しきった彼の姿を見れば、それは容易に想像できる。その姿に心を痛めない彼女ではない。
慰めてあげたい。しかし、今の自分には、ヴィオラを慰める資格すらなかった。
「……はぁ」
深いため息が、生徒会室に落ちた。机の上には、処理を待つ書類が山のように積まれている。
休校に伴う各種手続きの変更、帰宅する寮生への安全確認や連絡事項、授業再開後の学園イベントの準備も行わなければならない。
どれも今日中に目を通しておかなければならないものばかりだ。普段ならすでに半分以上は片付いているはずだが、今日はさっぱり内容が頭に入ってこなかった。
「恋煩いね」
向かいの席に座って書類整理をしていたセシリアがふと呟いた。顔を上げて睨むと、彼女はニヤニヤと嬉しそうに笑っている。
「ルシアン、それ署名する場所違うわよ」
「……」
「ぷっ」
シオンが吹き出した。
「さては、ヴィオラ嬢にフラれた〜?」
「…違う。今は一人で考えたいと言われただけだ」
「……」
「それってフラれてるのと何が違うのさ〜?」
「シオン!」
セシリアが慌てて言葉を制すが、もう遅い。その言葉はルシアンの逆鱗に触れるものだった。
「……ほぉ?どうやらお前は自分の命が惜しくないようだな?」
「マズい……」
「天狼星の槍」
ルシアンが指先を掲げると、青白い光を纏った星の槍が、シオンの頬を掠めた。
「ひっ!!」
鋭い音を立てながら、背後の壁へ突き刺さり、次の瞬間には粉々に砕け散る。
「……あの〜?会長?」
「ああ、すまない。外れてしまったね。次は一撃で逝けるように手加減はしないよ?」
笑顔で答える。しかし目は笑っていなかった。その冷酷な視線がシオンを捉えた瞬間、彼は怯えて逃げ出した。
「ひぃぃぃ……冗談だって〜!!も〜やだなぁ〜!本気にしないでよ〜!ねぇ?エレノアも何とか言ってよ〜!」
「……誓約魔法の解除……対象媒体変更?……知能操作……記憶操作……なるほど。これなら……ふむ。闇魔法の術式……ふふふ……」
エレノアは、騒ぎなど気にせず分厚い魔術書を読み漁っている。どうやら、かけられた誓約魔法の解除に躍起になっているようだ。
「……ちょっと、エレノア。禁忌レベルに踏み込んでるんじゃ……」
「さあ、シオン。言い残すことは無いかな?」
「……ぎゃー!」
「シオン、いいヤツだったのに……余計な一言ばっかりに……」
「セシリアも見てないで助けて〜!」
涙目になりながらシオンが覚悟したその時だった。
――コンコン。
張り詰めていた生徒会室の空気を、控えめなノックの音が切り裂いた。ルシアンは残念そうに掲げていた指を下ろす。それを見たシオンは命拾いしたと、ホッと胸をなで下ろした。
「……どうぞ」
「失礼します」
扉を開けて入って来たのは、ユノとガルディアスだった。二人とも大きなカバンを持っている。
「失礼いたします。会長、お忙しいところ申し訳ありません」
「いや、構わないよ。少し害獣駆除に苦戦していただけだから。それより、どうしたんだい?」
「??」
「実は、お願いがありまして……私たち休校期間中に帰省をしたいと考えています」
「二人とも故郷が遠方で帰省に時間が掛かるからな。だから、生徒会業務の免除をお願いに来たんだ」
「ああ、もちろん構わない」
ガルディアスの故郷のサクスム子爵領は国境沿いにあるため、片道で四日ほど掛かる。しかし、ユノの故郷はどこだったのか。あまり彼女の話を聞いたはなかった。そんなことを考えていると、セシリアが絶妙なタイミングで質問を投げかけた。
「そういえばユノの故郷ってどこなの?」
「リュウール伯爵領です」
「リュウール伯爵領だって!?」
セシリアが目を瞬かせた。ルシアンの手も、書類の上でぴたりと止まる。
「はい私は、そこの聖堂治療院で育ちました」
「聖堂治療院……」
それぞれの領に一つは存在する聖堂治療院は、怪我や病気を治療することができる施設だ。基本は、町の中心にある聖堂に併設された施設で、治癒魔法を使える司祭や治療師が、町の人の治療を行う。貴族専属の医師や治療師とは異なり、庶民が気軽に利用できる、身近な医療施設だった。
聖堂治療院の中には、孤児院も併設されている所も多く、身寄りの無い子供たちが集まる。ユノもその一人で、よく治療院の手伝いをしていたという。
「薬草の扱い方や、治療魔法もそこで教わったんです」
「へぇ~、ユノのこと全然知らなかったなぁ〜」
ユノはシオンの言葉に苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「孤児だったことは、あまり話したくなかったので……でも今回のことで、自分の出生を少し調べてみようと思ったんです」
視線を落としながら話すユノを見て、生徒会室が神妙な雰囲気に包まれた。
「実は、昔からリュウール伯爵家でメイドをされている方がよく支援をして下さっているんです。だから、今回ヴィオラさんと一緒に帰省できないかと思ったんですが……」
「どうかしたの?」
「寮の部屋へ訪ねたのですが……ヴィオラさんの姿が見えなかったんです」
「え?」
「男子寮は家族であれば女子の立ち入りも認められているので、ヴィオラさんならアージェンさんのお見舞いに行っているのだと思ったんです。だからガルディアス先輩に頼んで、一緒に帰れないか伝えて貰おうと思ったのですが……」
「ところが、アージェンの部屋にも、ヴィオラはいなかったんだ」
「……何?」
思いがけない言葉に、言葉を失う。彼女はどこに行ったのか。ルシアンは強い焦燥感を覚えた。
「それだけではありません。アージェンさんの姿もなかったんです」
「……っ!」
ルシアンが弾かれたように視線を上げた。さっきまで穏やかだった生徒会室の空気が、一瞬で緊迫した空気に支配される。
「だが、部屋には転移魔法の残滓があった」
「部屋全体に広がるほどの転移魔法陣を展開できる魔術師など、そう多くはいない」
「……リュウール伯爵」
「ああ」
「魔術師団長であるリュウール伯爵なら可能だ。だから、ヴィオラ嬢とアージェン殿は、もうすでに領地へ戻ったのだろうと判断した」
(……もう行ってしまったのか)
まともな言葉を交わせぬまま、彼女は去ってしまった。その事実が、思った以上にルシアンの胸へ重くのしかかった。ヴィオラと共に、彼女の心まで去ってしまったような虚無感に苛まれる。
「つまり、二人はリュウール伯爵が迎えに来て、領地へ戻っているのね?」
「ああ、だから俺がユノと一緒に帰ろうと思ってな。なに、どうせリュウール伯爵領を通ってサクスム領に行くからな」
「お言葉に甘えて護衛をお願いしたんです」
「なるほどね。そういう事情だったのね」
セシリアがルシアンを見るが、蒼白の顔を見て苦笑いをした。
「二人とも気を付けて帰るのよ」
「ありがとうございます、セシリア先輩」
ユノが深々と頭を下げる。しかし、その直後シオンが何かを思いついたように、ぱっと顔を上げた。
「……待って」
「どうしたの?シオン」
先ほどまでのおどけた様子が嘘のように、シオンは黙り込んだ。そして、何かを確かめるようにユノとガルディアスを交互に見つめる。
「僕も、リュウール伯爵領に行くよ」
唐突な宣言だった。




