↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/34

第ニ十七話 帰還

「お父様たちが帰ってきたわ!!」


 シリアの弾んだ声が、薄暗い研究施設の広間に響いた。思考を止めて思わず顔を上げると、先ほどまで静まり返っていた奥の通路から、複数の足音が近づいてきていた。


 コツ、コツ、と硬い靴音が石造りの床を打つ。それに混じって、鎧の擦れる音や、誰かが言葉を交わす声が聞こえてくる。やがて、廊下の奥にぼんやりとした人影が浮かび上がった。


 先頭を歩いていたガイアスの顔が見えた瞬間、ヴィオラの身体に張りつめていた緊張がほんの少しだけほどけた。手にした魔導灯の淡い光が、その厳しい横顔を照らしている。その後ろには数名の騎士と調査員たちが続いていた。


 未知の場所での探索を終えたためだろう。誰もが疲労の色を浮かべている。それでも足取りには乱れがなく、調査団としての規律を崩してはいなかった。


(……ランは?見つかったのかしら?)


 胸の奥が、きゅっと締まった。期待と不安が入り混じる。どうか無事でいてほしい。ただ、それだけを願っていた。


「……あれは?」


 シオンが、ふと声を落とした。ガイアスの後方をじっと見つめる。騎士たちの間から、ひときわ大きな人影が現れた。ロウだ。


 巨体を揺らしながら歩く彼の腕には、一人の少女が抱えられていた。小柄な身体に力なく垂れた腕。泥と埃にまみれた衣服。乱れた髪が顔の一部を覆い、その表情までは、まだはっきりと見えない。ただ、その身体がまったく動かないことだけが分かった。


「……まさか……」


 遠目には眠っているのか、意識が無いのか、生死がはっきりしない。シオンの声が震え、嫌な予感が胸を駆け抜けた。近づくにつれて、その腕の中にいる少女の姿が少しずつ鮮明になる。


「……ラン!」


 ロウの傍にシオンが慌てて駆け寄る。抱えている少女を見ると、驚いた表情をして身体を強張らせた。


「只今、帰還した」


「お父様!!」


「奥の牢獄で少女を一名、保護した。命に別状はない。今は眠っているだけだ」


(……生きてる!)


 その事実が、何より嬉しかった。ここへ来てからずっと胸の奥に引っかかっていたものが、一つだけ取り除かれた。それだけで、ヴィオラの重く沈んでいた心が少しだけ晴れていく。


「ガッハハッハ!アークライト侯爵令息殿、心配するな。少し衰弱しているが、命には問題ない。この少女は知り合いだったか?」


 ロウが朗らかに問う。きっと、深刻そうなシオンの表情を見て、あえてそう言ったのだろう。何気ない気遣いに、彼の優しさが滲み出ていた。


「……ディフェンソル卿、大変失礼致しました。……知り合いかと思ったのですが、人違いだったようです」


「……ん?そうかぁ?まあ、そう心配しなさんな!」


「はい……」


(シオン?)


 どうしたのだろう?ランではなかったのだろうか?いや、未来視が間違うはずはない。しかし、シオンの様子は変だった。今朝は、ランに対してあんなにも露骨な執着心を見せていたのに、今はあっさりと引き下がっている。


 彼の表情を読み取ろうと試みたけれど、ヴィオラが座っている位置からは離れていて、わからなかった。


「ところで……」


 ガイアスの低い声が響いた。広間の空気が静かに変わり、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。まだ空間には、ところどころに魔力の残滓が浮かんでいる。結界が砕け散った場所には、淡い光の粒がまだ消えきらず、宙を漂っていた。


 そして、ボロボロに引き裂かれた外套を身に纏っているアージェンを視界に入れると、ガイアスの眉間に深い皺が刻まれた。


「我々が奥を探索している間に、何があったのだ?」


 問いかける声は静かだった。だが、その場にいた全員が、その言葉の重みを感じ取った。生徒会メンバーは顔を見合わせ、口を閉ざした。アージェンを抱く腕にわずかに力がこもっていく。


 何があったのか……説明しなければならない。けれど、どこまで話せばいいのだろう?アージェンから突然瘴気が溢れ出してきたこと、クロノス因子のこと、実験体のこと、そして未来固定化計画。この施設で一体、何が行われていたのか。それらを一つ一つ口にしてしまえば、もう後戻りはできない。それに、自分たちもこの状況をきちんと飲み込めていないのだ。


 何を説明すればいいのか。そんな迷いが生まれた時だった。


 「私から説明します」


 静かな声が割って入った。今まで一言も発していなかったザイデルバストが、一歩前へ出ていた。


(ザイデルバスト先生……?)


 彼は落ち着いた表情で、迷いのない声で説明をし始めた。

 

「この施設に残されていた魔法陣の一つが突然暴走し、瘴気が溢れ出したのです」

 

「生徒三名がその影響に巻き込まれましたが、咄嗟に結界を張ったため、事なきを得ました」


 ヴィオラは目を見開いた。その説明があまりにも自然すぎて、逆にとても不自然に感じた。まるで、それが本当に起きた出来事であるかのように、淡々と説明している。

 

(……違う)


 そんな簡単な話ではない。ザイデルバスト先生も見ていた筈だ。それなのに、詳細や実態をヴィオラたちに確認をすることも、彼はしていなかった。


「我々が奥を調査している間に、こちらで魔力の異常反応を探知した。ヴィオラ嬢たちは、その影響に巻き込まれたというわけだな」


「はい。そうです」


「リュウール伯爵令息は怪我を負ったのか?」


 ガイアスの眉間に皺が寄る。自分が率いる調査団で怪我人が出たとなれば、責任問題にもなりかねない。ましてや相手は魔導師団長の令息だ。事態を大きくするわけにはいかなかった。


「いえ、怪我はありません。彼は自分の身を守るため、そして周囲を巻き込まないために結界を展開しましたが、魔力を使い果たしてしまったようです」


「……そういうことか。無事ならば、よかった」


 ガイアスはホッと一息を吐くと、表情を切り替えて辺りを見回した。


「要救助者二名の為、今日の調査はここで終了とする!陣形を整え、帰還する!!」


「はっ!!」


 地蝕調査団は手際よく撤退準備を行う。ヴィオラの膝の上で眠っていたアージェンも、屈強な騎士が丁寧に担いで運んでくれた。


 立ち上がると、ヴィオラは黙ってザイデルバストを見つめた。


 ――何かが、おかしい

 

 彼の説明は、嘘ではないのかもしれないけれど、真実でもない。アージェンの身体から瘴気が溢れ出した異変。全てをただの「魔法陣の暴走」で片づけるには、あまりにも強引だった。


 それなのに、ザイデルバストはそれ以上の説明をしようとしない。まるで、彼は何かを知っているようだった。そして、それを隠したがっている。そんな気がした。

 

「ヴィオラ!」


 突然名前が呼ばれ、反射的に振り向いた。こちらへ駆けてくる人影に目を細める。ルシアンだった。いつもなら決して乱れることのない端正な姿が、今は僅かに崩れている。


「ヴィオラ、大丈夫か!?」


「……会長」


 心なしかその声に焦りを感じる。彼はヴィオラの前まで来ると、息を整える間も惜しむように彼女の姿を見つめた。怪我がないか確かめるように、視線を走らせた。


「……顔色が悪い」


「少し疲れただけです」


「ならいいが……」


 ようやくルシアンが息を吐いた。その表情には、心からの安堵が滲んでいた。


「君たちが結界の中に閉じ込められたと聞いたときは、本当に心配した」


「……」


 ヴィオラは、何も答えられなかった。ルシアンは悪くない。それは分かっていた。彼はただ、自分たちの身を案じて駆けつけてくれた。第二王子としてではなく、ただ、一人の人間として。そのことは理解している。


 だからこそ胸が苦しくて、彼の顔を見ることができなかった。アージェンの言葉が、頭から離れない。実験施設、未来固定化計画、王国によって行われていた、残酷な実験。ルシアンは何も関係ない。それでも、信じたいと思う相手が、今はどうしても『王族』という存在と切り離せない。


「ヴィオラ?どうした?」


 ルシアンの優しい瞳が、自分を心配している。最初は彼からの好意に裏があると疑っていた。けれど、彼の素顔を見るうちに、徐々に彼の純粋な好意を素直に受け入れられるようになってきた。


 しかし、今は素直になれなかった。


「……ごめんなさい」


「え?」


 ヴィオラはゆっくりと目を伏せた。胸の奥に渦巻く感情を、どう言葉にすればいいのか分からない。怒っているわけではない。憎んでいるわけでもない。ただ今は、考える時間が欲しかった。


「今は少し一人で考えたいの」


 溢れる想いを抑え込むように、ヴィオラは俯いた。あまりに重なる出来事に、今は心が耐えられない。少し頭を冷やす時間が必要だった。


 ルシアンの瞳が大きく揺らぐ。何か言いかけて唇が僅かに動く。けれど、結局その言葉を飲み込んだ。


「……分かった」


 絞り出すような声だった。その声に、ヴィオラの胸が締めつけられる。顔を上げることができない。見ればきっと、後悔するだろう。それでも、視界の端に映った彼の姿は、ひどく寂しそうだった。


(……ごめんなさい、会長)


 心の中で、そう呟く。ルシアンが悪いわけではない。そんなことは、誰よりも分かっている。それでも今は、王国という存在そのものを、素直に信じることができなかった。そして、その事実が何よりもヴィオラ自身を苦しめていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。