第ニ十一話 地下の実験施設
――コツ、コツ、コツ……。
蒼白い魔法灯の光が、地下へと続く長い階段をぼんやりと照らしていた。
一段、一段、階段を下るたび、靴音が石壁に反響し、静かに響き渡る。
階段の両脇には、むき出しになった岩肌が続いていた。ところどころに古い術式が刻み込まれ、その文字の隙間から淡い青白い光が漏れている。
下に行くほどに、空気が重くなっていく。闇の奥からは湿ったカビと鉄錆の匂いが淀み、不自然で無機質な空気が漂っていた。
誰も口を開かなかった。自然と足音まで小さくなる。この地下で何が起きるかわからない。皆、それを恐れているかのようだった。
「……深くて不気味ね。地上から、かなりの深度があるわ」
セシリアが小さく呟いた。生徒会役員たちも無言で頷く。自分たちが通う学園にこんな地下があるとは思いもしていなかった。
「これほどの施設を、学園の地下に造るとは……実に興味深い」
アルベルトが壁面へ目を向ける。好奇心に満ちた声だったが、その声音にはわずかな警戒が混じっていた。
「ここです」
先頭を行くガイアスが、階段を降りきった先で足を止めた。目の前には巨大な岩壁が立ちはだかっていた。
見た目だけなら、長い年月をかけて自然にできた岩盤にしか見えない。しかし、よく見ると不自然だった。
中央部分だけが、まるで扉を隠すように滑らかに整えられている。
「調査隊が何度か調べましたが、通常の魔法では動きませんでした。どうやら王家特有の特殊な封印が施されている形跡があります」
「特殊な封印……」
ヴィオラは岩壁を見つめた。表面には何の術式も刻まれていない。ただの岩にしか見えなかった。
「……殿下、よろしいでしょうか?」
「ええ。もちろんです」
ガイアスの隣にいたルシアンが前へ出る。黄金の髪が魔法灯の光を受けて淡く輝いた。彼は岩壁の中央へ右手をかざした。
「……!!」
次の瞬間だった。淡い金色の光が、掌から波紋のように広がった。
光は岩肌を走り、見えなかった術式を次々と浮かび上がらせていく。次第に掌を中心にして、幾重にも重なった術式が移動し始める。
そして、それらが中央へ集まると、眩い光を発しながら一つの形へと収束していった。
「……王家の紋章」
誰かが呟いた。
岩壁の中央に、ヴァンヴェール王家の紋章が浮かび上がっていた。そして、金色の紋章はゆっくりと回転し始めた。
――ゴゴゴゴゴ……。
地面が震える。砂埃が天井からぱらぱらと落ちてきた。やがて巨大な岩壁が左右へゆっくりと割れ、隠されていた通路が姿を現した。
「……王家の魔力で開くとは、なんという興味深さ」
アルベルトが眼鏡を押し上げる。
「ということは、ここは王家が管理していた場所だというお話?」
エレノアも不安そうに岩壁を振り返る。その言葉に誰も答えなかった。
王立アウレア魔法学園の地下に、王家の紋章でしか開けられない空間が存在している。
それだけで十分すぎるほど異常だった。
「……行きましょう」
ルシアンが静かに告げた。
開かれた岩壁の向こうから、冷たい風が流れてくる。それは地下の空気とは明らかに違っていた。
湿気を含んだ土の匂いではない。薬品のような、鼻の奥を刺激する匂い。そして、その奥に微かに混じる――鉄のような臭い。
(…嫌な予感がするわ)
ヴィオラの背筋を、ぞくりと悪寒が走った。
「第一班、先行。第二班は周囲を警戒。異常を確認したら即座に報告しろ」
「了解!」
調査団員たちが魔法灯を掲げ、先へ進んでいく。生徒会役員たちもその後に続いた。
ヴィオラもその後を追おうとした。すると後ろから声がした。
「義姉さん」
アージェンが手を差し出してきた。
「……ありがとう」
ヴィオラは迷いなくその手を取った。しかし、いつもなら暖かい義弟の手は、凍えるように冷たかった。
「ジェー?」
「……なんだか、ここ……とても嫌な感じがする」
アージェンが周囲を見回した。普段の彼なら決して見せない、怯えた表情だった。ぼんやりとした光に照らされたアージェンの顔色も、明らかに悪い。
「大丈夫?」
「うん。少し寒いだけ」
そう言って笑う。けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。
(……本当に大丈夫なのかしら)
ヴィオラが心配そうに顔を覗き込む。その時、前方から叫び声が響いた。
「団長!!研究施設を発見しましたっ!!」
「何だって!?」
一行が一斉に顔を上げる。調査団員たちが慌ただしく走り出した。ヴィオラもアージェンの手を引きながら、その後を追った。
通路を抜けた先に広がっていたのは――巨大な地下施設だった。
「……なんだぁ!? ここは!!」
ロウの声が広間いっぱいに響き渡る。
そこは、地下に造られた円形の巨大な空間だった。壁一面には、古代から現代まで異なる時代の術式が幾重にも刻まれている。淡い光を放つ魔法陣が壁から床へと伸び、その先で複雑に絡み合っていた。
壁際には無数の棚があり、そこには古びた魔導書や分厚い記録帳が並び、その隙間には大小様々な瓶が置かれている。
透明な瓶や濁った液体の入った瓶。中身がすでに蒸発し、空になった瓶。そして、魔石や何に使うか分からない金属製の器具もある。
どれも長い年月を経ているはずなのに、不自然なほど整然と並べられていた。
「……っ!」
ヴィオラは息を呑んだ。部屋の中央には、巨大な台座が置かれている。
その周囲には何本もの金属製の柱が立ち、柱同士を繋ぐ管が天井へ伸びていた。床には細い溝が何本も走っている。その溝はすべて中央の台座へ向かって集まり、一本の巨大な術式へと繋がっていた。
「……血液?」
溝の一部には、黒ずんだ何かがこびりついていた。乾ききっていて判別はできない。けれど、ヴィオラには嫌な予感がした。
近くに寄ると、台座には円形の術式が刻まれていた。そして、その周囲には――無数の細い傷が走っていた。
「まるで……引っ掻いたような跡ですね」
ガイアスが低く呟いた。
調査団の間には異様な静けさが漂っていた。誰もが言葉を失い、壁際に並べられた器具や、床を走る魔法陣を見つめている。
何のために造られた施設なのか。
誰が、いつ、ここで何をしていたのか。
そして――なぜ王家の紋章によって封印されていたのか。
「……この施設、かなり古い」
アルベルトが壁面へ近づき、片眼鏡を指で押し上げる。術式を目で追っていき、一部を指先でなぞった。
「魔法陣の構造は古代式じゃが、ところどころ新しい術式が上書きされておる。誰かが長期間にわたって、この場所を使い続けていた可能性が高い」
「つまり……」
ルシアンが低い声で呟く。
「ここは閉鎖された施設ではない、と?」
「その可能性が高いという興味深さ」
アルベルトは床へ視線を落とした。
「むしろ、最近まで何者かが出入りしていた痕跡すら残っておる」
ヴィオラの胸がざわついた。今朝見た未来が脳裏をよぎる。冷たい地下空間で、牢に繋がれた少女が助けを求めていた。
(ランが……ここにいる)
根拠などない。それでも――ヴィオラには分かってしまった。
七年前、村が焼け落ちた夜。ランはヴィオラの身代わりとなって王国軍に捕らえられた。その後、彼女がどうなったのか誰も知らない。
もし、時守の一族を捕らえるために、この施設が使われていたのだとしたら。
もし、ランもここへ連れてこられていたのだとしたら。
胸の奥から、じわりと怒りが込み上げる。指先が震えた。
(……絶対に助ける)
その時だった。
「団長!」
施設の奥から、切迫した声が響いた。
「こちらへ来てください!」
「何を見つけた!」
「牢屋です!」
一瞬で空気が変わった。張り詰めたとした緊張感に包まれ、誰もが言葉を失い動きを止めた。
「牢屋……?」
「奥に鉄格子がいくつも並んでいます!」
続けて聞こえた声に、調査団員たちが一斉に奥へ駆け出した。
「待て! 勝手に進むな!」
ガイアスの制止も追いつかない。
「誰かがいるようです!」
「何だって!?」
ざわめきが広がる。生徒会役員たちも顔を見合わせた。ヴィオラの胸が激しく鼓動する。
(ラン……?)
「皆、落ち着け!敵が潜んでいる可能性がある。一旦、ここで待機!偵察班は奥を索敵し、魔術師は結界準備!騎士団は戦闘態勢を取れ!!」
「了解!」
団員たちが素早く散開する。生徒会役員たちの間にも緊張が走る。先日、地蝕で魔物たちと戦闘した彼らだが、実戦経験はまだ浅い。
「……生徒諸君は、この広間に残れ!ザイデルバスト先生、生徒たちの守護をお願いします」
「承知しました……」
ザイデルバストが穏やかに微笑む。
「どうぞ、ご安心ください。私が責任を持ってお守りします」
しかし、その言葉を聞き終えるより早く、ルシアンはガイアスの制止を遮った。
「私も行きます。ご心配には及びません。自分の身くらい、自分で守れます」
「殿下、しかし……」
「この場所が王家と無関係だとは、もう言えませんから。私はこの目で何が起こっているのか確かめたいのです」
その言葉にガイアスはしばらく黙り込み、やがて頷いた。
「……承知しました」
ルシアンは振り返ると、ヴィオラを見て微笑んだ。その顔を見ると安心感が湧いてくるから不思議だった。
(……ランのことよろしくお願いします)
願うように見つめれば、ルシアンが深く頷いた。胸がぐっと熱くなる。
「お父様!」
セシリアが声を上げる。
「……ご武運を!」
ガイアスは力強く頷くと、調査団員たちを率いて奥へ向かった。やがて、魔法灯の光が遠ざかっていく。
広間には、生徒会役員たちとザイデルバストだけが残された。
静寂が戻った。だが、先ほどまでとは違う。誰もが息を潜め、奥の通路を見つめている。
その時だった――。
「……うっ!」
隣から、小さな呻き声が聞こえた。
「ジェー?」
ヴィオラが振り返る。アージェンが胸元を押さえていた。
「……大丈夫」
「顔色が悪いわ」
「少し……気分が悪いだけだから」
「……っ!」
突然、身体が大きく揺れた。
「ジェー!」
ヴィオラが慌てて腕を支える。その瞬間、アージェンの身体の奥から、黒い靄がわずかに滲み出した。
「……え?」
ヴィオラの瞳が大きく見開かれる。ほんの僅かな量だが、見間違えるはずがない。
あの不気味で肌を這うような気配……。
「……瘴気?」
ヴィオラの声が震えた。アージェンは答えない。
いや、答えられなかった。




