第ニ十話 地蝕跡地
「シオンさん……?」
「おはよう〜、ヴィオラ嬢」
シオンは何事もなかったかのように手を上げる。
「朝から王子様と美少年に囲まれているなんて、随分と人気者だね〜」
「そ、そういう言い方はやめてください!」
「ははは〜。冗談だよ〜」
ヴィオラは眉間に皺を寄せる。掴みどころのないシオンのことが、少し苦手だった。
軽く笑い飛ばした直後、彼が一瞬だけヴィオラに鋭い視線を向けた。その変化を、ヴィオラは見逃さなかった。
「……ところで、ヴィオラ嬢」
「何でしょう?」
「どうして、ランを知ってるの〜?」
「……え?」
その時ーー右眼の奥が、かすかに熱を帯びた。
「……っ!」
頭の奥に鋭い痛みが走る。視界が大きく揺らいだ。まるで意識だけをどこか遠くへ引きずり込まれるような感覚がヴィオラを襲う。
次の瞬間、脳裏に鮮明な映像が流れ込んできた。
――――――――
暗く、冷たく、湿った空気が肌にまとわりつく。地下の、さらに奥の光さえ届かない場所に、冷たい石壁で囲まれた空間が広がっていた。
壁には無数の魔法の灯が取り付けられている。
しかし、その炎は弱々しく揺れるだけで、闇を完全に照らすことはできない。
その向こうに、小さな牢があった。床には薄い毛布が一枚敷かれているだけ。
そして、その上に、一人の少女が横たわっていた。
深緑の髪に質素な服。細い足首には重々しい鎖が繋がれている。
少女がゆっくりと顔を上げる。その顔には疲労が滲み、唇は青ざめている。瞳には、深い恐怖が浮かんでいた。
『……たすけて』
震える声は聞き覚えがあった。それは今朝、夢で聞いたばかりの声だった。
(ラン……!)
―――――――
「……!」
ヴィオラは息を呑んだ。反射的に右眼を押さえ、その場に崩れ落ちそうになる。
「ヴィオラ!」
「義姉さん!」
ルシアンとアージェンの声が重なる。二人に身体を支えられ、どうにか倒れずに済んだ。
「大丈夫?」
「……ええ」
アージェンに寄りかかりながら、ヴィオラはゆっくりと顔を上げる。
慌てて眼鏡の位置を直した。
「少し……眩しかっただけです」
「そう〜?」
シオンは笑っていた。
いつもの、何を考えているのか分からない笑顔。しかし、その目だけはまったく笑っていなかった。
「ランはね〜」
軽い口調のまま、シオンが告げる。
「僕の双子の妹なんだよ〜」
「……え?」
ヴィオラの呼吸が止まった。
シオンの笑顔が、ゆっくりと深くなる。
「だからさ〜」
その瞬間、彼の瞳から飄々とした光が消えた。
「隠してたら……容赦しないからね〜」
冗談めかした声だった。けれど、その瞳はぞっとするほど冷たかった。
ヴィオラは、シオンという少年の奥に潜むものを初めて見た気がした。
―――――――
学園の裏庭の地蝕跡地へ到着すると、そこはすでに大勢の人が集まっていた。
かつては木々が生い茂り、昼休みになると生徒たちが腰を下ろして談笑していた場所だった。
今、その面影はどこにもない。
大地は大きく抉れ、黒く変色している。地表からは大小様々な岩石が並び、根元から折れた木々が無残に倒れていた。
戦闘の後を物語るように、鼻を刺すような焦げた臭いが残っている。足元には細かな灰のような粉が積もり、風が吹くたびに舞い上がった。
「そこ、もう少し右に移動だ」
「魔力濃度が上昇中。結界魔術の展開を至急!」
「内部、結界術式の反応を確認しました!」
地蝕調査団の隊員たちが慌ただしく行き交っている。地面には複数の魔力測定器が設置され、青白い光を点滅させながら数値を刻んでいた。
白いローブを纏った魔術師が、地割れの塞がった地面に手をかざす。すると、淡い光が地中へと沈み、複雑な術式が地面の上に浮かび上がった。
ヴィオラはそれを黙って見つめていた。
(……ここに、ランがいる)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。先ほど見た光景が、何度も脳裏に蘇った。きっと彼女はこの地下のどこかに、まだ生きている。
そう考えた瞬間、胸の奥に小さな希望が灯った。
「ヴィオラ。大丈夫かい?」
隣から声をかけられ、我に返った。さらりと揺れる黄金の髪に透き通るような肌。そして、湖面のように静かな碧い瞳。至近距離で見るルシアンは心臓に悪かった。
「……はい」
「顔色が少し悪いようだよ?」
「平気です…」
無理して小さく笑った。昨日、執務室で交わした言葉が脳裏をよぎる。ヴィオラはその瞬間、何故か胸が熱くなり、慌てて視線を逸らした。
(駄目よ……意識してはいけないわ…)
そんなヴィオラの様子に気付いたのか、ルシアンは少しだけ柔らかく微笑んだ。
「私が傍にいられないから、無理だけはしないでほしい。」
「……ありがとうございます」
その言葉だけで胸が熱くなる。慌てて眼鏡の位置を直し、誤魔化した。
「おーい! みんな揃ったなぁ!」
豪快な声が広場に響いた。振り返ると、ロウが大股でこちらへ歩いてくる。その巨体が近づくだけで、周囲の空気が少しだけ明るくなった。
隅で調査団の様子を窺っていた生徒会役員たちも、次々と姿を現す。
皆、緊張した面持ちだった。当たり前だ。これから未知の世界に踏み出そうとしている。不安にならないわけがない。しかし、全員が知りたいと思っていた。自分達の通う、王立アウレア魔法学園の地下で何が起きているのかを。
「地蝕跡の瘴気濃度は、今のところ安定している」
神妙な声で、地蝕調査団団長のガイアス・ローズマリーが告げた。黒い魔力外套を重々しく纏い、その表面には複雑な防護術式が刻まれている。
「しかし、瘴気が地下に滞留しているとも限らない。生徒諸君には、この防護外套を着てもらう」
ガイアスの合図で、隊員たちが全員に外套を配った。学園の授業で使う簡易的な魔法服とは明らかに違う。
布地には細かな魔法術式が幾重にも刻まれ、触れるだけで微かな魔力の流れを感じる。それを手にした瞬間、身体が強張った。
これから向かう場所が、どれほど危険なのか。その事実を、改めて突きつけられた気がした。
「ガッハッハ。まぁ、そう硬くなるのも無理もねぇがな!大丈夫だ!何かあったら俺らが守ってやるから心配するなぁ!」
(……ロウおじさま……。)
緊張した空気の中、ロウ・ディフェンソルが朗らかに言う。彼特有の安心感が空気を変えた。
「……お父様と同じ外套を着るなんて、武者震いがするわね!」
セシリアが外套の紐をきつく締めながら言う。迷いなく前を見据える横顔は、凛々しく勇ましい。
「そうだな。師匠の手腕を近くで見られるいい機会だ。しっかりこの目に焼き付けなくてはならないな」
真剣な表情をしたガルディアスが呟く。彼にとってロウは、崇高なる存在なのだろう。
「うふふふふ……わくわくしますね……。未知の地下……。未知の研究……。未知の術式……。ふふふふふ……」
エレノアは、俯きながらブツブツ呟いている。もうこの境地に入った彼女は怖い。ヴィオラは遠目で見ながら苦笑いした。
「……ヴィオラ嬢、分かってるよね〜?」
シオンが飄々と笑いかける。ランの事だろう。ここに来る間、彼には視えた未来について話していた。無言で頷くと、満足そうに微笑んで歩いて行った。
「………」
しかし、この場で一人だけ真っ青な顔をしているメンバーがいた。ユノ・ルシエラ。平民出身の聖魔法の遣い手の少女だ。
外套を羽織り胸の前で両手をぎゅっと握り締める彼女は、どこか苦しそうだった。
「……大丈夫ですか?」
ヴィオラが声をかけると、ビクッと肩を震わせて振り向いた。怯えているというよりは、何かを警戒しているようだった。
「……ヴィオラさん……」
ヴィオラの顔を見てほっとしたような表情を浮かべた。そして周囲を見渡す。近くに人影がないことを確かめると、そっとヴィオラに耳打ちした。
「……地蝕があった日の朝、噴水広場で助けてくれたのはヴィオラさんだったんですね?」
「え?」
唐突に言われた言葉に酷く動揺する。今まで、時間魔法を使ったことに気づかれたことなど、一度もなかったからだ。
「ありがとうございます。ずっとお礼が言いたかったんです」
花のように笑う。その一言がヴィオラの心をくすぐった。
「……どうして?」
「私……見えるんです」
ユノは少しだけ視線を伏せた。その横顔には、どこか切なさが滲んでいる。
「見える……?」
「はい」
ユノは自分の手を見つめて、力なく笑った。そして、ゆっくりとヴィオラを見る。
「魔力の残滓……とでもいうのでしょうか。オーラのように、魔力そのものの色が見えるんです」
「え?」
「ヴィオラさんの魔力の色は、虹色でとても綺麗だから……すぐに分かったんですよ」
ユノの瞳が、淡く揺れた。その声は、どこまでも優しかった。
ヴィオラは言葉を失った。自分でも知らなかった魔力の色を、この少女は見ていた。
けれど、ヴィオラには分かってしまった。ユノが望んでこの力を持っているわけではない。その瞳に浮かぶ切なさは、誰にも理解されない力を抱えて生きてきた者だけが持つもののように思えた。
「……気を付けて下さい」
「え?」
ユノは声を潜めてヴィオラに告げる。
「人の魔力には、それぞれ色があるんです。でも……あの方の色は、人のものとは少し違います。まるで、何か別のものが混ざっているみたいで……」
「…っ!」
ユノの言葉にヴィオラは戸惑った。ユノの視線を追うと、その先にいた人物と目が合った。
(……こちらを見ていた?)
「これより地下空間への突入を開始する!」
ガイアスが高らかに声を上げた。
遠くでは、地蝕調査団の魔法灯が一斉に青白く点滅する。崩れた地面に、ローブを纏った魔術師たちが手をかざす。複数の術式が地表を走り、やがて地面の一部がゆっくりと開いていった。地下奥に、階段が続いていくのが見えた。
その地下の入口の前に、地蝕調査団と一緒に神妙な顔のルシアンが立っていた。




