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第一話 未来が視える眼

 ハナミズキが彩る並木道を、朝霧をまとった風がゆっくりと吹き抜けていく。頬を撫でる冷たい風に、俯いていた顔を上げた。


 目の前にそびえ立つ巨大な魔法学園の尖塔は、空から降り注ぐ淡い金色の朝日に照らされ、白く輝いている。


 王立アウレア魔法学園――。


 ヴァンヴェール王国では、魔力を持つ子供は身分を問わず、十五歳になるとアウレア魔法学園に通うことが義務付けられている。


 強制でなければ、こんな学園になど通いたくはないのに。


 心の中で悪態をつきながら再び俯き、目立たないように静かに歩き出した。


 ヴィオラ・リュウール。


 黒縁眼鏡を目深にかけ、木枯らし色の長い前髪で顔を隠す。リュウール伯爵家の養女でありながら、学園では「存在感の薄い令嬢」として知られている。それが私だった。


 それで良かった。


 目立たず、知られず、平穏に学園生活を送り、無事に卒業して隠れて生きること。それがヴィオラの望みだった。


「義姉さん! やっと追いついた……」


 背後から聞こえる耳に馴染んだ声に、ヴィオラはびくりと肩を震わせた。


 せっかく寮を早く出たのに。過保護な義弟は、私を離してはくれないらしい。


 背後に視線を移すと、朝霧の中を駆けてくる人影が見える。朝日を浴びた彼の碧紫色の髪は、まるでシルクのように美しく輝いていた。


 アージェン・リュウール。


 ヴィオラの母親が引き取った、たった一人の家族だ。


 同い年ではあるものの、ヴィオラの方が先に生まれているため、アージェンを義弟のように接している。両親を亡くした後、二人は共にリュウール伯爵家へ迎え入れられた。


「……なんで僕を置いていったの?」


 アージェンは不満そうに眉を寄せる。


 そんな彼に、「あなたといると目立つからよ」なんて、口が裂けても言えない。


 昔はヴィオラより小柄だったのに、近頃は背がぐんと伸び、容姿端麗に育った。


 おかげで、令嬢たちから密かに人気がある。


 ただでさえ目立たないように学園生活を送りたいのに、アージェンと行動していては、逆に目立ってしまう。


 中には婚約者の座を狙う令嬢も多く、邪魔な義姉を貶めるために、『地味で意地悪な義理の姉が、見目麗しい義理の弟を扱き使って離さないらしい』と、変な噂まで広がっている始末だ。


「……別に。よく眠れなかったから、朝早く起きただけよ」


「もしかして、また過去を視たの?」


「……」


 どうして分かるのだろう。今朝見た、嫌な夢を思い浮かべる。いつまでも忘れられない。


 いや、忘れるわけにはいかない。そんな記憶だった。


「……視てないわ」


「嘘」


 即答だった。彼の直感は異様に鋭い。いくら誤魔化しても、すぐに見抜かれてしまう。


 何か特殊な能力でも使っているのだろうか。


「……少しだけよ」


 嘘をついた。目が泳いでいるのが自分でも分かった。


 アージェンはヴィオラの顔を覗き込み、分厚い眼鏡の奥をじっと見つめる。眉尻を下げて心配そうに見つめるアージェンに、ヴィオラは弱い。


「義姉さん、気づいてない? 無意識に僕のこと避けてる」


「……」


「大丈夫? 何度も言ってるけど、一人で抱え込まないでよ。僕に頼っていいんだから」


「……ジェー。……ありがと」


「うん。分かればよろしい」


 鼻の奥がつんと痛み、込み上げる感情を抑えきれずに俯いた。


 アージェンがヴィオラの頭に、ぽんと優しく手を置いて慰めてくれる。


 私は一人ではない。


 心配してくれる人がいる。だからこそ、言えないのだ。


「……っ」


 その瞬間、右目が微かに熱を帯びる。脳裏に、突如として映像が流れ込んできた。



 ―――――――



 学園中央広場の噴水。


 数人の貴族令嬢たちが、一人の女子生徒を囲んでいる。見下すような視線と鋭い嘲笑が、少女の身分を物語っていた。


 そして次の瞬間、扇を翻した令嬢の一人が、噴水に向かって彼女を突き飛ばす。


 悲鳴と共に少女の身体が噴水へ落ち、水しぶきが高く舞い上がった。


 嘲るような甲高い笑い声が、周囲に響く。



 ―――――――



(……なんて醜いのかしら……)


 ヴィオラは小さく眉をひそめた。


「――加速(プレスト)


 呪文を唱えた瞬間、身体がふわりと軽くなる。


「義姉さんっ!?」


 背後でアージェンが声を上げたが、ヴィオラはそのまま駆け出した。


 噴水広場は、校門を抜けた先にある。


 ヴィオラは生まれつき、“時間”を操る魔法を扱うことができた。自身に加速魔法を使えば、周囲の景色は鈍く流れ、人々の目にも気づかれにくくなる。


「あら? 今、誰か通りませんでした?」


「誰もいないですけれど……。気のせいじゃないかしら?」


 そんな生徒たちの呑気な声を背に、ヴィオラは校舎前を駆け抜ける。


 やがて視界の先に、脳裏に浮かんだ光景が現れた。噴水の前で怯えた表情の女子生徒を、数人の令嬢たちが取り囲んでいる。


「平民風情が生徒会入りなど、思い上がりも甚だしいですわ」


 中心に立つ令嬢が、扇を口元に当てながら嘲笑う。


「身の程というものを、教えて差し上げましょう!」


 彼女が女子生徒へ向かって手を伸ばした、その瞬間だった。


「――停止(フェルマータ)


 ヴィオラが静かに呟き、手をかざした。


 刹那、世界から色彩が失われた。噴水から跳ねた水滴は空中で静止し、笑いながら歩いていた生徒たちも、風に揺れていた木々でさえ、まるで写真に閉じ込められたように動きを止める。


 モノクロに染まった、静寂の世界。


「……義姉さん、何してるの?」


 呆れたような声と共に、アージェンが追いついてくる。ヴィオラは無言で噴水の方を指差した。


「あぁ……なるほどね。放っておけばいいのに」


 口ではそう言いながらも、アージェンは突き飛ばされそうになっていた女子生徒へ歩み寄り、立っていた位置からそっと身体を横へ移動させた。


 その時だった。


 ――誰かに見られている。


 ヴィオラは反射的に振り返った。辺りを見回す。


 動いている人間は誰もいない。そこはモノクロの静止した世界だった。


(……どうして?)


 時間停止の中で動けるのは、本来ヴィオラとアージェンだけのはずだ。


 それなのに、確かに視線を感じた。ぞくり、と背筋が粟立つ。


「ほら、義姉さん。早く行こう」


 アージェンに急かされ、ヴィオラは我に返った。力を抑えた状態での時間停止は万能ではない。長時間維持することはできなかった。


「……ええ」


 ヴィオラは小さく頷き、校舎に向かって歩みを進める。


 そして魔法が解けた、次の瞬間だった。


「きゃあああっ!?」


 派手な水音と共に悲鳴が響き渡った。


「エルドリア様!?」


 どうやら、突き飛ばそうとした令嬢自身が勢い余って噴水へ落ちたらしい。


 背後から聞こえる騒ぎをよそに、ヴィオラとアージェンは足早に校舎へと消えていった。



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