↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/33

プロローグ

 

 燃え盛る炎の中、私たちは走っていた。


 轟々と燃え上がる炎が夜空を赤く染め、熱風が肌を灼く。視界の片隅で黒い塊が崩れ落ち、焦げた臭いが鼻を突いた。


 恐怖でもつれそうになる足を必死に動かし、火の粉が舞う道をひたすら走った。


「……ねぇ……さん……」


 一緒に走っていた少年が呟く。


 今にも崩れ落ちそうなほど怯えた顔には、不安と絶望が色濃く浮かんでいた。


「……ジェー。大丈夫。きっと大丈夫だから。もう少し頑張って……」


 唇を噛み締め、彼の手を強く握りしめる。背後では炎が生き物のようにうねり、まるで私たちの逃げ道を奪うかのように迫ってくる。


 得体の知れない何かから逃げていた。怖くて、恐ろしくて、悲しくて、切ない。


 見慣れた道のはずだった。幹の形が揃った美しいブナ林は、私にとって宝物だった。大切だったその風景が、今は炎の中で悲鳴を上げるように燃えている。


 悔しくて、悔しくて、ただ強く唇を噛み締めた。


(助けて……助けて……助けて……)


 誰か――。


 必死に手を伸ばし、虚空を掴む。もがけばもがくほど、苦しくなる。どうすれば、この苦しみから逃れられるのだろう。


 汗と煤にまみれた身体を震わせながら、それでも私たちは走り続けた。必死に坂を駆け上がり、小高い丘の頂上を目指す。ここは、義弟のアージェンとよく遊びに来ていた場所だった。


 見晴らしがよく、領地と街道を一望できる、私たちのお気に入りの場所。春には金色のミモザが咲き乱れ、秋には紫色の竜胆が斜面を覆い尽くす。


 けれど――大好きだった美しい景色は、すっかりその面影を失っていた。見渡す限り炎に包まれ、辺り一面が地獄の業火と化している。その光景を目にした瞬間、全身から力が抜けた。


 握り締めていたアージェンの手が、するりと離れていく。


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


 肩で息をしながら、必死に空気を求める。いくら吸い込んでも、うまく息ができない。身体の感覚が徐々に遠のいていく。


 次の瞬間――。


 冷たい地面に身体を打ちつけられた。


「義姉さん!!」


 痛みと同時に、得体の知れない恐怖が押し寄せてきた。どうしようもない不安に押し潰されそうになる。

 込み上げる感情が涙となり、視界を霞ませていく。


「……ヴィオラ」


 名前を呼ばれて、顔を上げた。炎を背にして、誰かが立っている。


 顔は見えない。けれど、煙と熱風に煽られた美しい白銀の髪だけが、炎の向こうで揺れていた。


「……お……かあ……さま……?」


 彼女は私を抱き起こすと、力強く抱きしめた。

 その腕の中にいると、不思議と恐怖が薄れていく。


 私は安心して、その身体に身を委ねた。やがて彼女は私の顔を覗き込み、そっと額に口づける。紫水晶色と黄金色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。いつも強気で勝ち気だった母親の顔は、今は哀愁と悲哀に覆われていた。


「……ごめんね、ヴィオラ。これも運命なんだ。でも、これから運命を変えてくるからね」


「……運命?」


「ああ。私たちを縛る呪いを、これから解き放つんだ」


 真っ直ぐに炎の中を見据える母。その横顔を見つめていると、胸の奥がざわついた。嫌な予感がする。行ってはいけない。そんな気がしてならなかった。


 その瞬間――。


 右目が熱を帯び、まばゆい光を放った。そして、脳裏に映像が流れ込んでくる。


 母親が血を吐き、その場に倒れる姿。


「お母様! 駄目! 行っては駄目よ!!」


 必死に袖を握り、懇願する。けれど、そんな私とは裏腹に、彼女は穏やかな顔で微笑んだ。初めて見る表情だった。


「……未来が視えたんだね、ヴィオラ」


 その声は、不思議なほど穏やかだった。


「おまえは世界の希望だ。世界を救う鍵となる子だよ」


「嫌……!」


 彼女はゆっくりと立ち上がると、炎の中へ向かって歩き出した。


「お母様……!」


 腕を掴んで引き止めようとする。けれど、細く小さなこの手では、止めることなどできなかった。


「……アージェン。ヴィオラを頼んだよ」


「……はい。バーベナ様。」


 アージェンが真っ直ぐに彼女を見る。その瞳には涙が溜まっていた。それでも、必死にこぼれ落ちるのを堪えている。


「未来は決められるものではなく、選び続けるもの」


「ヴィオラ、これだけは忘れないで」


 そして、踵を返す。彼女の姿が炎の中へ消えていく。


「……待って!」


 必死に手を伸ばす。


「置いて行かないで! お母様!!」


 叫んでも、振り返らない。視界が涙で霞む。


「……義姉さん、駄目だ」


 追いかけようとする身体を、アージェンが必死に制止する。その間にも、母の姿は黒い煙の向こうへ消えていった。


 やがて――。


 何も見えなくなった。





 ―――――――





「待って!!…お母様!!」


 必死に手を伸ばすと、そこは見慣れた白い天井が広がっていた。魔法学園の寮の一室、そのベットの上に私は居た。


「…はぁ、はぁ…はぁ…」


 乱れた息を整えようと必死に空気を求めた。微かに熱を持った左目を押さえながら、独りごちる。悪夢を見たのだと。


 夢?いや違う。


 これは過去だ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。