第十七話 未来固定化計画
執務室を静寂が支配する。
ヴィオラは、信じられない事実に言葉を失った。耳を疑うほど、ルシアンの話は現実味がなかった。
(……そんな)
時守の一族は、人々を守るため存在する一族だった。時間の流れを見守り、世界の均衡を保つ。その為に、始原精霊クロノスから加護を与えられたのだと――。
幼い頃から母親にそう教えられてきた。
それなのに、王家と共に『未来固定化計画』へ加担し、その結果として時蝕を生み出した。
もしそれが真実なら、十年前サクスム子爵領で命を落とした人々も、故郷を失ったガルディアスも、記憶を奪われたロウも、すべては時守の一族が関わった計画の犠牲者だったことになる。
胸の奥が、音を立てて軋む。唇が小さく震えた。信じていたものが、心の中で粉々に砕け散っていく。
(私達は、本当に世界を守る一族だったの…?)
それとも、世界を壊した一族だったのだろうか。
『私達の呪縛をこれから解き放つんだ』
あの日、村が焼け落ちたあの夜。彼女は確かにそう言った。母親は何と戦っていたのだろうか。王国軍か、または別の何かか…。きっと理由がある筈だ。
国から禁忌と呼ばれ、滅ぼされた理由。
母が最後まで真実を語らなかった理由。
そのすべてが、少しずつ一つの真実へと繋がり始めていた。知らなかったでは済まされない。胸に重くのしかかる罪悪感に、息が詰まりそうになる。
そんなヴィオラの表情を見て、ルシアンは静かに口を開いた。
「誤解しないでほしい」
ヴィオラがゆっくりと視線を落とすと、膝の上の彼は、真っ直ぐこちらを見つめていた。
「私は、王家のしたことを正しかったと言うつもりはない」
ゆっくりと首を振る。その穏やかな声の奥には、自分自身を責めるような痛みが滲んでいた。
「けれど、悪だったとも言い切れないんだ」
「……」
「百年以上前、この国は幾度も滅びかけた」
静かな声が、執務室へ溶けていく。
「隣国との戦争、不作による飢饉、広がり続ける疫病。未来視によって危機を回避しても、別の場所では必ず新たな悲劇が起きる」
ヴィオラは黙って耳を傾けた。王族の重責は、計り知れない。
「一つの命を救えば、別の命が失われる。一つの戦争を止めれば、別の場所で民が飢える」
一つの未来を変えるたびに、新たな悲劇が別の場所で生まれる。未来を見る力は万能ではない。その現実に、王家は何度も打ちのめされたのだろう。
「だから、当時の王家は願ってしまった。『誰も犠牲にならない未来が欲しい。』と」
ルシアンは苦く微笑んだ。それは彼が本心から望んでいるようにも聞こえた。
「……」
「その願いから生まれたのが、『未来固定化計画』だったんだよ」
ヴィオラは胸の奥が締め付けられる。それは決して、権力欲でも支配欲でもない。
国を守りたい。
民を救いたい。
高貴なる者としての責務から生まれた願い。ただ、その思いだけを胸に抱いていたのかもしれない。
だからこそ、簡単に「間違っていた」と切り捨てることができなかった。
もし、自分が同じ立場だったら、母親を守るために、故郷を守るために、同じ願いを抱かなかったと言い切れるだろうか。
(……分からない)
今のヴィオラには答えが出せなかった。だから苦しい。
「未来を一本に定めれば、誰も迷わず、誰も争わず、最善の未来だけが訪れる」
「そう信じてしまったんだ」
「……でも」
ヴィオラは静かに呟く。
「時間は、人の願い通りにはならなかったのですね」
「そう」
ルシアンは頷いた。
「世界は、一つの未来だけでできているわけじゃない。無数の可能性があるからこそ、時間は流れ続ける」
「その流れを無理やり止めれば、歪みが生まれる。その歪みが、瘴気となり、時蝕となって世界を蝕み始めた」
その言葉で、母親の笑顔が脳裏に浮かぶ。
『時間は流れるから美しいの』
時間は川のようだ。流れているから命を育み、未来を繋ぐ。堰き止めれば、水は濁り、やがて堤を決壊させ、すべてを飲み込む。
だから時守は、未来を見ても支配しない。流れを見守るだけだった。
(どうして……)
胸の奥で疑問が渦を巻く。
(違う……。お母様達が、それを知らずに協力したとは思えない)
時守が、その禁忌を知らなかったとは思えない。それでも実験に協力したのが事実なら、まだ自分の知らない事情があったのではないか。
そんな気がしてならなかった。
「……それなら」
静かに問いかける。
「今回のアウレア学園の時蝕は、その未来固定化計画が再び始まったということなのですか?」
ルシアンはすぐには答えなかった。静かに天井を見つめ、小さく息を吐く。
「……分からない」
「え……?」
「サクスム領で起きた時蝕を受け、『未来固定化計画』は十年前に中止されたはずだった」
碧眼が真っ直ぐヴィオラを見つめる。
「再び王家が、未来固定化計画を始めたのか」
「あるいは…」
「誰かが、時間を固定し新たな歪みが生まれたのか」
ヴィオラの全身を悪寒が駆け抜けた。時間に干渉できる者など、この世界にはほとんど存在しない。もし本当に誰かが未来を書き換えているのだとしたら、その人物は、時守の一族と同等の力を持っているか――あるいは……時守の一族の生き残りかだ。
(そんな人が……本当にいるの?)
鼓動だけが、静かな部屋に響いているような錯覚を覚えた。恐怖が身体中を支配する。
「どちらにしても、確かに言えることがある」
ルシアンの表情から笑みが消える。
「アウレア学園で起きた地蝕は、自然現象ではない。未来が歪められたことで生まれた――時蝕だった」
世界は、自分が思っていたよりもずっと深く傷ついている。その傷は、今もなお広がり続けているのだ。
ルシアンは起き上がると、真剣な顔でヴィオラを見つめた。まるで懇願するような、切実な表情だった。
「…だからヴィオラ。王家ではなく、私を信用して手を貸してくれないか?」
「…どういう事でしょう?」
「何が起こっているのか真相を知りたい。それがたとえ、王家の陰謀や誰かの欲望だったとしても」
苦痛を浮かべたその顔には、威厳など無かった。ただ、悲痛の色だけが浮かぶ。
「このままでは、世界はいずれ滅びる。そしてヴィオラ、私は君を失いたくないんだ」
「!?」
そっとヴィオラの甲に口づけてから、至近距離で見つめる。熱を帯び、わずかに潤んだその瞳は、嘘をついているようには見えなかった。
(……なぜ、会長はそんなにも私に執着するのかしら?)
ヴィオラは悩んだ。先ほどまで、王家の人間は恨むべき敵なのだと思っていたのだ。簡単には信じられない。だけれど、素顔を見せてくれたルシアンは、悪人だとは思えなかった。
(……信じてもいいのかしら?)
「……私は…」
その時だった。
シュルルルル……。
静まり返った執務室へ、水が流れる澄んだ音が響いた。直後、幼い少女の声が部屋へ響く。
『会長、ヴィオラ嬢』
淡い水色の魔法陣が扉の前に浮かび、一筋の水が空中を流れ始める。
流水伝達魔法。
水面へ映し出されたのは、エレノアの姿だった。
『理事長室より、お二人へ至急のお呼び出しです。というお話』
その声は、強張っていた。赤縁眼鏡の奥の瞳が緊張を帯び、真剣な表情で告げる。
『……地蝕調査団が、重大な事実を確認したそうです』
ルシアンとヴィオラは、静かに顔を見合わせた。二人の胸に浮かんだ予感は、驚くほど同じだった。




